ようこそ、みなさん。
はじめに
みなさんは「チョギャム・トゥルンパ」という人をご存知でしょうか?
私は、先日まで「まぁ〜ったく」知りませんでした(笑)
知ることになったキッカケはTwitterでした。
※ 「アルゴリズムに任せてみる」ってのも、いいかもですね。
チョギャム トゥルンパ(1939年2月 - 1987年4月4日)は、チベット仏教の行者で学者、かつ師、詩人、芸術家。チベット仏教行者や学者たちからは、チベット仏教の偉大な師であり、ヴァジュラダーツと ナーローパ・ユニバーシティ、 シャンバラ・トレーニング・メソッドを設立し、西洋へのチベットの仏教の普及に大きく貢献した人物として知られている。 彼の教えは 西洋人の仏教徒から見た"狂気の智慧(crazy wisdom)"のスタイルで有名である。 心不全により48歳で他界した。
ja.wikipedia.org より抜粋
著書には
このような本があるようです。
Twitterより
で、私は「この方をまるで存じ上げなかった」わけですが、TwitterでTLに表示された「この方の発した(とされる)言葉」というものに、いたく感じ入ることがありまして。
いくつか?ご紹介させていただきたいと思います。
コミュニケーションはいらだちを超越しなければならない。さもなければ、茨(いばら)の茂みに快適な寝床を作ろうとするようなものだ。
— チョギャム・トゥルンパ bot (@realtantra8) 2021年2月2日
私たちは、物事を本当にありのままに『感じ』なければならない。それに『空』というベールを掛けてしまうのではなく、物事がまさにそこに在る、その本質を『感じる』のだ! それこそが、正確な世界の見方である。
— チョギャム・トゥルンパ bot (@realtantra8) 2021年2月2日
これは、私も本当に「そうだと感じ」ます。
『空』をあまりロマンチックに考えると、罠にはまってしまう。
— チョギャム・トゥルンパ bot (@realtantra8) 2021年2月2日
「空を感じる=悟り」だとしても、それを「感じたから」といっても「超人」になれるとかではありません。
自分の中の隠れた願望や恐怖、軽薄さや神経症に出会うきまりの悪さに直面することはとてもむずかしい。(略)だが同時に、きわめて豊かなディスプレイでもある。太陽とつきあうつもりなら、それをおおい隠している雲ともつきあわねばならないというのがその底にある発想である。
— チョギャム・トゥルンパ bot (@realtantra8) 2021年2月2日
私、最近毎日のように取り組んでおります。
心理的な修養を、自意識を維持したり自己を感覚することにしがみつくための方法として用いるならば、それは「意の大王」が私たちの心を支配していることだ。ドラッグ(幻覚剤)もヨーガも祈りも瞑想も恍惚境も、さまざまな精神療法も、すべてがこのように用いられる可能性をもっている。
— チョギャム・トゥルンパ bot (@realtantra8) 2021年2月2日
究極的には「『自己』を手放す」ことです。
現象世界を操ることで、心の混乱を何とかしようとしても、そうはいかない。
— チョギャム・トゥルンパ bot (@realtantra8) 2021年2月1日
「心が現象を作り出している」わけではありませんが、どのような現象も「心が処理」しているのです。
そこに器があれば、それは必ずあなたの<月のような本質>を映し出す。器がなければ影は映らない。器が半分欠けていれば半分欠けた月が映る。それは器次第だ。月であるあなたはただそこに在る。開いている。器がその影を映すこともあれば映さないこともある。
— チョギャム・トゥルンパ bot (@realtantra8) 2021年2月1日
湖に月が映ることもあればうつらないこともあります。
私たちが初めて本当に正確に物事を見るとき、それは異常なほど精妙な『ありのまま』であるため、もはや『山は山でなく水は水にあらず』ということになる。
— チョギャム・トゥルンパ bot (@realtantra8) 2021年2月1日
「すべて(そのもの)」が見えます。「別れて」いない。
頭で考える言葉や概念を超えて、あるがままの自分に入っていく。自分自身に向かって完全に自分を開くことこそ、世界に向かって自分を開くことだ。
— チョギャム・トゥルンパ bot (@realtantra8) 2021年2月1日
別の言い方をするなら「脳の埒外」へ。もしくは「内宇宙と外宇宙の境界がない」状態へ。
自己という感覚は、本当はつかの間の出来事にすぎない。にもかかわらず、混乱した心にとっては、固定した継続的なものに見える。この混乱した視点をリアルなものと見なすから、固定した自己を高めようなどと考えてしまうのだ。
— チョギャム・トゥルンパ bot (@realtantra8) 2021年2月1日
「事故という感覚」が「常に変化し続ける数式」だとしたら?そして、そこに「代入される数値も常に変化している」のだとしたら?
自分の知恵を疑ったり心配することなしに、求められることをやればいい。あなたはそうするほかはない。ただ、状況の道具として働くのだ。
— チョギャム・トゥルンパ bot (@realtantra8) 2021年2月1日
私は「求められること」には対応(反応)しますが、基本的に「自分から求めること」は苦手です。ダメなんでしょうし、寂しい在り方なのは知っていますが。
自我という点から見れば、悟りとは自己の究極的死、私というものの死、見張り人の死である。
— チョギャム・トゥルンパ bot (@realtantra8) 2021年1月31日
それはたえず仮面をはぐこと、
何層もの仮面を一枚一枚むいていくことである。
「自我の死」は「そのものの誕生」です。
満月の光も、大都市のゴミの山も、すべてはあるがままのものだ。あらゆるものが同じであり、『色』であり、ただ在るものだ。それらに付け加える評価は、後から私たちの心の中で作られたものでしかない。もし真にありのままに見るならば、それらはすべて『色』である。
— チョギャム・トゥルンパ bot (@realtantra8) 2021年1月31日
この辺りのお話をお読み頂ければ、より深まるかと。
kazzhirock.hatenablog.jpkazzhirock.hatenablog.jpkazzhirock.hatenablog.jp
相手の考え方を自分の考え方と同じものに変えたいという衝動に逆らうのが非常にむずかしい。しかしこちらからのコミュニケーションがあまりに相手の重荷になりすぎないよう、注意しなければならない。そのためにできることはただひとつ、どのように空間と開放を供給するか
— チョギャム・トゥルンパ bot (@realtantra8) 2021年1月31日
なかなか上手くできません。
「私」と「他」という二つの派を識別しなければ、あなたは開放された広大無辺の状態に達する。至福というのは分離した個の体験だ。至福を体験する主体もいなくなるという、まさにその事実によって、至福そのものが無意味になる。
— チョギャム・トゥルンパ bot (@realtantra8) 2021年1月31日
「特定の人(他)」とは「自他の別なし」みたいな幸せを感じることができる瞬間も多いのですが、ここは私もまだまだです。それがなくなると「とても寂しい」です。
心の混沌を排斥する必要はない。またそれを混乱への会期とか、退行的だと考えるのも的外れなことだ。心のどんな動きも大切にされねばならない。混乱は比類なき吉報とみなされるべきである。
— チョギャム・トゥルンパ bot (@realtantra8) 2021年1月30日
「死ぬまでにより心を震わせた人間の勝利」とは、私の言葉です(笑)いや、人生に「勝ち負け」はないのですが。
自分の知的洗練度はさておき、謙虚になるべきだ。そして、自分の心を実際に自覚することにかけてはまるで原始的だということを認めるべきだ。
— チョギャム・トゥルンパ bot (@realtantra8) 2021年1月29日
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ですね、日本的に言えば。
自分を特定の役割に押し込める必要はない。自分を管理する必要もない。コントロールを捨て、自分を『信じる』のだ。調整しようとすればするほど、物事の自然な展開を阻んでしまう。
— チョギャム・トゥルンパ bot (@realtantra8) 2021年1月28日
なんだかんだ言って、私は小さい頃から「最期は満足して旅立てる」というような「確信めいたもの」は持っていた気がします。少なくとも「なりたくない人にはならないようにしてきた」つもりではいますので。
意識は、感情と不規則な思考パターンからなっており、それらが混ざり合って、私たちの心を占めているそれぞれ異なった幻想世界の形をつくり出しているのだ。感情は、エゴのハイライトであり、エゴ軍団の司令官である。意識下の思考や白昼夢やその他の思考が、ここの感情をつないでゆく
— チョギャム・トゥルンパ bot (@realtantra8) 2021年1月27日
前に書いたかもしれませんが、私は「心(感情)」と「思考」が接する場所を「意識」だと思っていたります。
誰も真にあるがままの世界を見ない。何かを知覚しそれから眺めるというのがほとんどだ。この場合の眺めるというのは、名前をつけたり関連づけたりすることである。
— チョギャム・トゥルンパ bot (@realtantra8) 2021年1月27日
私たちは「そのもの」を味わうことでなく、常に「分けてしまいがち」ですね。
真の思慮深さには、多くのエネルギーと知性が必要だ。他人の領域に踏み込んでゆくよりも自分の領域を解放してゆく必要がある。他人をおびき寄せたり、追い散らしたりして遊ばないこと。自分の領域に電線や磁石を張り巡らさないこと。そうすればわずかながらも何か他人の役に立つ可能性が出てくる。
— チョギャム・トゥルンパ bot (@realtantra8) 2021年1月26日
なかなかしんどい「在り方」です(「人間」としては)。エネルギー不足の時は、優しさに寄りかかりたくもなります。
などなど。
から、一部をご紹介させていただきました。
最後に
いかがでしたでしょうか?
というか、ここに至って気付きました。
1974年、ナーランダ財団、ナーローパ研究所(のちのナーローパ大学)を創立。『タントラへの道ー精神の物質主義を断ち切って』『タントラ-狂気の叡智』を出版した。流暢な英語を話し、通訳なしで西洋の学生たちに法を説き語ることのできる最初のラマだった彼は、アメリカでの人気が急上昇し、 一躍、精神世界のリーダーとして注目されるようになる。フランチェスカ・フレマントルと共同で「チベット死者の書」の新訳を出す。
ja.wikipedia.org より抜粋
チョギャムさんが出した「新訳:死者の書」が「ティモちゃんに影響してたんだ!」ということを。
kazzhirock.hatenablog.jpkazzhirock.hatenablog.jpkazzhirock.hatenablog.jpkazzhirock.hatenablog.jp
通りで...
そりゃ、私にとってチョギャムさんの言葉は、すんなりと「腑に落ちるもの」だったわけですね。
最近、私はますます「結局、世の中の問題ってものは、最後は『心の問題』に還元される」という思いを強めています。
特に「『陰謀論』と『スピリチュアル』を繋ぐもの」である「コンスピリチュアリティ」という新しい概念と、その根元にあるとされる「スキゾタイピー」という「精神的な傾向の一つ」のことを知ってから。
「スキゾタイピー」でTwitterを検索してて見つけたTweetですが、本当に私もこのように思います。
— あなたがあなたの救世主 (@kazzhirock1) 2021年2月12日
「人間の世界の問題」は、結局のところ、全てが「人間の心の問題」に還元されます。
「人間の心が世界を作り出している」というのは、実際に「半分本当」だと思います。
その人の「内宇宙」の話です。 https://t.co/3M30rNFvD4
なんでもそうですけども。
— あなたがあなたの救世主 (@kazzhirock1) 2021年2月12日
「それダメ!おかしいよ!悪い!」って騒いでばかりでなく
「こうしよ?こっちのが良くない?」って代案の方を
世の中に広める努力した方が余程良いのになぁ、とは思います。
何より「反対してる本人が悪魔化する」ので。
単に「何かを怖がっている(だけの)人」は
— あなたがあなたの救世主 (@kazzhirock1) 2021年2月12日
「こうした方が良くない?」が言えないのかもですね。
「ワクチン怖い!(色んな理由で)」だったら
「まず自分の免疫でどうにかしよ?」って
冷静に
多くの人に
穏やかに
語りかければ
いいのでは?
私の「言葉」ではなく、「想い」が伝われば良いのですが...
また。