ようこそ、みなさん。
少し時間が空いてしまいました。
※ 「噛みしめて」いただくために、ですが。
kazzhirock.hatenablog.jpkazzhirock.hatenablog.jpこれらのエピソードの「続き」になります。
それでは早速どうぞ。
益田は神妙な顔になった。
「その話は ー 老師さん。その、害者 ー 小坂了稔さんが殺された理由は、ええ、我我凡人が考えつくような通り一ぺんのものとは違う ー と云ったような意味なのですか?まあ太鼓だか大悟だか僕には解りませんが、修行僧の間には慥かに僕等の理解し得る範疇を遥かに越えたコミュニケーションが成り立っていることだけは解りました。ええと、ですからその一般的に暴力行為と見做(みな)されるような行為も、何と云うかなあ ー 」
老師は軽く躱(かわ)した。
「難しい話は解りよらんのですわい。愚僧は世間知らずの年寄りでございますからなあ。そのコミニケだの云われましてもさっぱり」
「はあ。僕もその、難しい漢字の言葉は解らないんですがね。その、例えば僕等刑事は殺人事件なんかの場合ですね、物的証拠だの証言だのは勿論重要視しますがね、それと併せて、納得できる動機と云うのも考えるですよ。犯人はなぜそのような凶行に及んだのかと云う」
「はいはい」
「普通はね、怨恨とか痴情の縺(もつ)れ。それから営利目的。保身。後は事故、はずみ ー 」
「最近では殺人淫楽症つうのもありますな。分裂病的殺人者もいる。そしてテロリズム。政治的宗教的信念に基づく狂信的犯行とか ー 」
鳥口が捕捉したのか雑(ま)ぜっ返したのか解らないような発言をした。益田は鳥口を横目で見て、やや鼻の下を伸ばしてからこう続けた。
まあ、そうですね。そう云うのもある。しかしその程度の動機までなら僕等の常識の範疇に取り敢えず収まるんです。だが今回の場合、そのいずれにも当て嵌まらないかもしれないと云う ー そう云う可能性があるのじゃないか、と」
「はいはい。例えば警察は、そう、了稔さんが下界で女を囲っておって、その上浮気をしてそれがバレ、囲い女が凛気(りんき)を起こして了稔さんを殺しんさったとか ー 了稔さんに弱みを握られた誰かが邪魔な糞坊主を始末しんさったとか ー あんたがたは、そう云う理由を望んでいらっしゃると」
「別に望んじゃいませんが ー 」
否、望んでいる筈だ。
私にはそう思えた。それは益田刑事にとって ー 否、警察にとって一番楽な ー 世間を一番納得させ易い類の ー 理由だからである。
しかし実際は、そんな明確な動機の下に粛粛と行われる犯罪などない。特に殺人事件など、その殆どは突発的な、痙攣(けいれん)的なものだ。そして動機と云うのは後から幾らでも上手に出来上がるものだ。
私はそれを幾つかの事件で学習した。
ただ訳もなく殺した ー では社会も、犯人自身も収まりが悪い。だから、両者が納得できるような動機を後付けで作り上げて、それぞれに折り合いをつけているだけなのである。どうしても折り合いのつかぬ場合は、異常と云うラベリングが為される。京極堂などはそれらの行為を、犯罪を穢(けが)れとして祓い落とそうとする愚かしい行為だ ー と糾弾する。私は当初友人の意見に若干の抵抗があったのだが、今は割とすんなり受け入れるようになった。
益田はやや躊躇して続けた。
「 ー もしそう云う凡庸な動機が見当違いであるのなら、その、早いうちに軌道修正しておかなければ早期解決は望めません。例えば鳥口さんが云ったような、狂信者による犯行だったりする場合、その狂信者の信奉するものの正体を知っていなければ解決の糸口は見つからないのです。ですから僕は ー そこが知りたい。禅僧ならではの動機と云ったものは考えられないのでしょうか」
「禅僧ならではの動機? ー 」
老師は顔を天井に向けた。ただでさえ微暗(ほのぐら)い朦朧とした顔が、完全に闇に溶ける。
「 ー そんなもんはないです」
『鉄鼠の檻』312 - 313p より
「ないですか?」
「ははは、何だかよう解りませんがな。禅坊主ならではの同期中のはなあ。そんなもんは考え難いでしょうや。例えば了稔さんを怨んどった者が下界に居るかどうか、こりゃ解りませんわい。あの人の下の暮らしは愚僧等は誰も知らんからなあ。だからさっきあんたがお云いんさったような動機を持った関係者 ー 了稔さんを怨んどるとか、憎んどる云う者はおったかもしれん。だからその ー 」
「その?」
「例えば妬気(とき)に駆られた女が犯人だったとして、なんで樹の上に遺骸を捨てますかな?」
「捨てないでしょうね。ですから ー 」
「否否、そこが違う。女は捨てない、じゃあ僧侶だったら捨てる ー そんなことはないですわい。幾ら坊主だってそんなところにそんなものは捨てんでしょう。禅僧だからおかしなことをすると云う理屈なんぞないし、していいと云う道理もない。だから禅僧ならではの同期なんてものはあり得ない」
「あり得ませんかねえ。今さっきの、臨済さんの悟った時の話なんかをお伺いする分には何となくありそうな気がしますけど」
「だから先程の話はな、仮令(たとえ)どんな破天荒な暮らし振りであっても、僧侶として失格だとか、生臭坊主は死んでしまえとか、そう云うことにはなりませんぞ ー と、こう云う意味にとって貰わにゃ」
「すると全く逆で?」
「そうそう。殴ったの蹴ったの、戒律を破ったの、一般的には酷いと思われる所業も、修行ちゅう観点から観る限りは悪いことでもない ー そう云う場合があるちゅうことだ。修行者以外の人間の目には随分と自堕落な姿に映ったとしても、このお山の中ではそう奇天烈(きてれつ)なことでもなかったりする。だからそう云うのは犯罪の動機になり得ないと云うことを愚僧は云いたいのですな。その辺りを弁(わきま)えて貰わないと困りよる。あんたらは慈行三田の祐賢さんだのを見ておるようだから、前走と云うのは皆ああ云うきっちりとした者だと思い込んでおったのではないのかな?前走と云うても色色なんだ。修行の形は千差万別。百人百様じゃ。同じ禅坊主だからと云うだけでひと括(くく)りにされちゃ適(かな)わんです。了稔さんが殺されたんはあくまで了稔さんの個人の事情だ。そりゃ先程刑事さんが云うたような理由で殺されたのかもしれん。違うかもしれん。しかし禅坊主だから殺された、禅坊主だから殺した ー そんなことはある訳ないですわ。禅はそんなものじゃない。だから、おかしな予断を持たれちゃいかんと、こう思うたのですわい」
「ははは。なる程」
益田は腕を組んで云った。
「なる程なあ。ものは受け取りようですな。そうして聞くと慥かにそう思えて来ます。今のお言葉は是非菅原刑事に聞かせてやりたかったです。あの人はここのお坊さんを丸ごと疑ってたからなあ」
「そうじゃろう。愚僧はそれを危惧しておったのですわい」
そこで老師はほっほっほ、と笑った。
「 ー ええ。しかし、そうするとですね。僕等はもっと、その被害者の個人情報を知る必要がある訳です。まあ町でのことは所轄が調べるでしょうが、こちらでの生活に就いては何も判らない。できればそこをお教え願いたいです。老師さんは被害者と懇意にされていたとお聞きしましたし」
「この寺に対する、否、禅坊主に対する妙な誤解を解いて戴けたならお話しましょうかなあ」
老師は柔らかな口調で云った。
泰全老師の話法は他の僧のそれと比べると幾分京極堂の巧弁に近いような気がした。
本題と掛け離れた脈絡のない内容の話を嫌になる程延延聞かせ、いざ本題と入った暁にはそれらの無駄話が有効な伏線となって結論が覆し難くなっている ー と云うのが友人の多く採る戦法である。
『鉄鼠の檻』314 - 315p より
実際泰全老師の話に依ってあれだけ胡散臭(うさんくさ)かったこの寺も(成立に関する歴史的な謎は残っているものの)今ではそれ程怪しげな寺で亡くなっている。現在の明慧寺に対する疑惑 ー 収入源や僧達の来歴など ー はほぼ解消しているのだ。
その上禅僧(被害者)の奇矯な行為はある程度正当化され、それでいてその行為は禅寺内に於いては犯罪と結びつく類のものにはなり得ないと宣言されてしまった以上、私達は無闇に彼等 ー 明慧寺の僧侶達 ー を疑うことができなくなってしまったことになる。菅原刑事のように寺全体を疑ったりすることはないだろう。そう云う環境がいつの間にか整っているのである。もしや我我
は知らぬ間にこの老獪(ろうかい)な好好爺の手中で弄ばれているのやもしれぬ。
「先程 ー 」
敦子が慎重に発言した。
「祐賢様は了稔様を一休禅師に喩(たと)えていらっしゃいましたが、その ー 」
「一休さんか?わっはっは、そりゃいいなあ。了稔さんは生まれこそ高貴な方じゃあなかったが、そう云えば顔も似とる」
「やはりその ー 女犯(にょぼん)を?」
そう尋いたのは今川だった。
「女犯?ああ、あの人は慥かに女好きだったようだわいな。しかし妾を囲っとるとか云うのは嘘ですぞ。了稔さんは外との連絡係だったからな。善く山を下りた。だから僻(ひが)んでる者が云っとるだけだ」
「連絡係?それは知客の慈行和尚の仕事じゃないのですか?」
「ありゃあ監院だ。知客ちゅうのは来た客を接待するんだ。了稔さんは下界に出て各宗派教団と連絡を取り、金を持ってくる役をしておった。ずっとそうだった。それに、例えばここには郵便は届かない」
「え?しかし ー 」
今川と飯窪が同時に変な声を出した。
「 ー 手紙は」
「手紙はな、したの大平台にな、了稔さんが家だか部屋だかを一つ借りておってな。全部そこに届くのですな。ここはあんた、山奥だから配達来よりませんのじゃ。月に一度、あの人が下山して取りに行きよったのじゃな。だから手紙出すのも一緒だ。月に一度あの人が纏めて持って行く。だから余程のことがない限り、返事を出すのはひと月以上かかる訳だな」
ここはやはり住所のない環境 ー だったのか。
「中中ご返事が戴けなかったのはそう云うご事情だったからなのですか ー 」
飯窪は納得し、郵政省支持派の益田はぽかんと口を開けた。ただ今川だけが怪訝そうだった。
古物商は相変わらずのもたつく口調で云った。
「しかし僕のところへはすぐに返事が来たのです。年末にお手紙を出して、松が取れるとすぐ ー 」
「あんた、噂に聞く古物商の人かな?」
「ええ、まあそうなのです。噂かどうかは知りませんが、僕は古物商なのです。今川と云います」
「ほうか。じゃあ返信も早かろう。私信だったら了稔さんは、その場で返事を書きよるわい」
「ああ」
自分宛ならば返事もその場で書ける。ものの道理である。老師は尋いた。
「ところであんた、今川さん。了稔さんからはどんな返事を貰いなさった?」
今川はこの場に及んで漸(ようや)く入山の目的を遂(と)げるべき状況を得たことになる。異相の古物商はもぞもぞと尻のポケットを弄(まさぐ)り、少しひしゃげた封筒を出して畳の上に置くと、老師の方に妙に恭(いやいや)しく差し出した。老師はふう、と息を吹き込んで封筒を膨らまし、中の書簡を抜き出した。
老師が燭台を手元に寄せる。影の形が変わる。顔の陰影が明瞭(はっきり)する。私は初めて泰全老師の容貌を確認した。皺の多い、水気の少ない顔だった。
『鉄鼠の檻』316 - 317p より
少しだけ飛ばします。
「それじゃあなぜ売ったのです?」
「そんな美術品骨董の類は禅寺には無用じゃ、あるだけ無駄だと云うておった。謂(い)わば強い信念を持った宗教的な行動ですわい」
「待ってください ー 」
今川が割って入った。
「 ー 禅と美術芸術は深い関わりがあるではないですか。破墨(はぼく)、潑墨(はつぼく)、頂相(ちんそう)、道釈画(どうしゃくが)に禅機画(ぜんきが)に書、石庭に漢詩、茶道とて侘び寂びとて元を辿れば皆禅から始まるのではありませんか?禅寺に無用無駄と仰るのは、僕にはどうもよく解らないです」
「そうじゃなあ。その通りだ今川さん。古来優れた禅匠は皆優れた芸術を物しておる。仙涯義梵(せんがいぎぼん)然り。五山文学の祖と云われる夢窓疎石(むそうそせき)然り。臨済中興の英傑、白隠慧鶴(はくいんえかく)然り。先の一休さんとて詩を数多く残しとるし、書も達者じゃな。だがな、今川さん」
「はい?」
「それらは確かに芸術と呼ばれておる。美術品としても高い評価を得とるようだわい。しかし、それなら尋くがな。芸術とはなんだ?」
「は ー 」
今川は実に奇っ怪な表示になった。
「いや芸術とは何なのじゃ、と伺っておる」
「美の ー 表出ですか」
「美とは?」
「綺麗なもの ー す、ぐれた、も、の?」
「綺麗とは如何なるもの? 優れているとは何に比べて優れておるのか?」
「そ、それは、そ、の」
追求され続けると返答はどんどん愚鈍になって行くものである。私も今川同様に考えてはみたが、いずれ似たり寄ったりの解答しか浮かばず、それから先は云わずもがなで、問いに対する答えはなかった。
私達は普段芸術という言葉をまるで当たり前のように口にしている。しかし私などは何も理解せず、何も考えずにただ使っているだけだった ー と云うことなのだろうか。
「はっはっはっ、そう困ることはない。別に苛(いじ)めてる訳ではありませんわい。そう、それなら綺麗なもんでいいわい。しかしな今川さん。芸術は綺麗なものばかりとは限らんのではないかな?」
「は ー 」
今川は奇妙な顔のまま固まってしまった。
「そうですよ今川さん。あなた昨日(きのう)、綺麗ばかりが良い写真じゃない、と僕に仰った」
鳥口が後ろからそう語りかけたが、今川にその言葉は届いていないようだった。
「そうそう。古寺の手垢(てあか)のついた欄干は全然綺麗じゃないが、皆美しいと云いよるわい。朽ちて鼻の欠けた仏さんを芸術だとも云うようじゃな」
老師は再び声の調子を変化させた。
「つまり芸術なんてものは何でもいい訳ですわい。綺麗だと思えば埖(ごみ)でも綺麗だし、素晴らしいと思えば屎尿(しにょう)でも素晴らしい。絶対美だの絶対芸術だのなんてものはないのですな。主観の問題でしかない。だからと云って誰にも理解されんものを作りよる者はやはり芸術家とは呼ばれますまいな。それは当然だ。しかし、ひとり二人しか褒めんようなうちは、こりゃまた芸術とは呼ばれん。じゃあ大勢が良いと思うもんが芸術なのかちゅうと、そりゃそれでいいが、他人に好まれるものを多く作る者が芸術家と云われちゃこりゃ少しばかり変ですわなあ ー 」
『鉄鼠の檻』320 - 321p より
今川の返答を待たずに老師は続けた。
「芸術と云うのは、こりゃ社会だの、そう云う背景があって、それと如何に折り合いをつけとるかと云う問題でしてな。社会対個人みたいな図式がないと芸術にはなり難いようですわい。こりゃいずれにしろ愚僧達には無関係でな。禅匠の造る者は説明でも象徴でもない、勿論理屈はいらん。絶対的な主観ですな。世界をぽんと鷲掴みにしてどんと出すだけでな。他人がそれを美しいと感じることがあったとしても、造った禅匠には無関係だ。世間様がそれを芸術と呼ぼうが美術と呼ぼうが知ったことじゃあないのですわい」
「はああ ー 」
今川はだらしなく口元を緩ませて、丸い目を見開いている。まるで自我崩壊したような表情であるが多分今、彼は猛烈に考えている。
「喝!」
「は」
老師が一喝した。今川は ー まるで夢から覚めたように戻って来た。
「考えることはありませんぞ。解ろうとしてもいかん。あんたはもう解っている。言葉にしようとすると逃げて行きますぞ」
「はい」
今川はすうと躰を前に倒し、畳に両手をついた。
老師はその様子を見てからゆっくりと云った。
「だからな、そんな美術品など禅寺には無用だと、了稔さんは申したのですわい。だから出て来る度に売ってしまった。所詮それだけのもの、有難いと尊ぶよりは、下賤な金に替えてしまった方が良いと ー あの人はそう思ったのだな。何のご縁かは聞かなんだが、あんたの従兄弟に売りよったのです」
「すると戦後ずっと音沙汰がなかったのは」
「皆売ってしまったからですな」
「解りました。有り難うございます」
『鉄鼠の檻』322p より
ここまでにしておきます。
この後日談?があるのですが、それはまた今度。
「言葉にするな、言葉にすると逃げて行く」です。
私の無駄話も、最終的には「どこかへ」繋がっているのかもしれませんね。
また。