ようこそ、みなさん。
私の手元に一冊の雑誌があります。
皆さんは「Spectator」という雑誌はご存知でしょうか?
こういう「ちょっと変わったサブカル雑誌」です。
※ 「だいぶ変わった」かもしれません。
私は「自分がどれほど世間ズレしてるのか?」はわかりません。
※ なんせ「自分のこと」だから。
東京の大きな書店ならば、雑誌コーナーの一角にひっそりと置いてあります。
100万都市ぐらいにある、大型書店のチェーンにもギリあります。
地方都市の郊外型モールの大型書店のチェーンにはありません。
お取り寄せです。
あなたのお住みの街の「ヒッピー寄りな」お洋服屋さんなどには置いてあることがあります。
多分、それぐらいのマニアックさです。
私はこの雑誌が並んでるカフェなどを見つけると「おっ?わかってんねぇ(ニヤリ)」となる気持ち悪い生態を持っています。
最近は購入していませんが、かなりのバックナンバーを揃えています。
「ZEN」
さて、お話を私の手元にある号に戻しまして
冒頭でもご紹介した通り「ZEN」に関する特集号です。
「ZEN」とは「アメリカに渡った『禅』」のことです。
ビートルズの影響を受けていたはずなのに、いつの間にインドに影響を受けていた。
印象派の絵画に影響されていたはずなのに、知らずに北斎に影響されていた。
などなど。
文化とは、そうやって行きつ戻りつ交わりつつ溶け合いつつ。
様々に混じり合って存在しているものです。
「禅」もまた然り。
ゴータマさんで始まったものが、中国で進化し、最終的には日本で花開いた。
しかし、それはまだ終わりではなく。
海を越え、東に渡り、アメリカ文化の根っこの部分にも影響を与えていた。
そんな気の長くなるようなお話です。
手元の一冊を基に、少し重要なポイントを抜き出してみたいと思います。
鈴木大拙
このお話の「核」とも言える人物。
英語が堪能で「禅」を「日本から西洋へ発信する」役割を果たすことになった第一人者。
鈴木 大拙(すずき だいせつ、本名:貞太郎(ていたろう)、英: D. T. Suzuki (Daisetz Teitaro Suzuki)[2][3][4]、1870年11月11日(明治3年10月18日) - 1966年(昭和41年)7月12日)は、禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。梅原猛曰く、「近代日本最大の仏教学者」。[要出典]1949年に文化勲章、日本学士院会員。
名の「大拙」は居士号である。同郷の西田幾多郎、藤岡作太郎とは石川県立専門学校以来の友人であり、鈴木、西田、藤岡の三人は「加賀の三太郎」と称された。また、金沢時代の旧友である安宅産業の安宅弥吉は「お前は学問をやれ、俺は金儲けをしてお前を食わしてやる」と約束し、大拙を経済的に支援した[5]。
生前、1963年にノーベル平和賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している[6]。
大拙の本はどれも面白いです。
ちなみに、金沢には「鈴木大拙館」があります。
とてもこじんまりとした建物ですが、設計は「谷口吉生」さん。
※ 世界的に評価されている美術館建築に定評のある方。
薄く水の貼られた「水郷の庭」を見ているだけで癒されます。
※ 私「水郷の庭」的なの大好きです。
一時期「建築家になりたかった」ぐらいに「なりたいものが多すぎた子供」だった私は、建物にいるだけでも幸せだったものです。
ちょっと博物学的にご紹介することになりますが
金沢に旅行されることがありましたら、是非とも訪れてみていただきたい場所です。
21世紀美術館も市民の方が普段から頻繁に利用されている雰囲気があり、金沢は「ああ、アートが根付いた街なんだな」という風情があり大好きです。
さすが加賀百万石。
谷口さんが建築された建物の数々も素晴らしく、死ぬまでに一度は訪れて見たいところばかりです。
とにかく、そんな鈴木大拙が渡米し著作を発表することで「カリフォルニアを中心に」した「ZENブーム」が発生します。
ビート詩人たち
そんな「ZEN」にいち早く興味を示し多大なる影響を受けたのが、当時の「ビート詩人」たちです。
その中でも偉大な三人が存在します。
アレン・ギンスバーグ
アーウィン・アレン・ギンズバーグ(Irwin Allen Ginsberg, 1926年6月3日 - 1997年4月5日)は、アメリカの詩人、活動家。ジャック・ケルアックとともにビート文学の代表者のひとり。
ニュージャージー州パターソンにロシアからのユダヤ系移民のルイス・ギンズバーグとナオミ・リーヴィの子として生まれる。アイビー・リーグの構成校の一つとして名高いコロンビア大学を卒業。アメリカの詩人のウィリアム・カーロス・ウィリアムズやウォルト・ホイットマンなどは彼の詩文の書き方に影響を与えた。 代表作は『吠える』(Howl)。
朗読の名人であった。1997年4月5日、ニューヨークのイースト・ヴィレッジで肝炎の合併症による肝臓がんで息をひきとった[1]。70歳没。
ジャック・ケルアック
ジャック・ケルアック(Jack Kerouac、1922年3月12日 - 1969年10月21日)は、アメリカの小説家・詩人で、ビートニク(ビート・ジェネレーション)を代表する作家の一人。『路上』(『オン・ザ・ロード』)、『孤独な旅人』などの著作で知られる。大半は、コロンビア大学を中退して以来のアメリカ放浪と遍歴の生活をそのまま下敷きにしたもの。出生時の名前はジャン=ルイ・ルブリ・ド・ケルアック(Jean-Louis Lebris de Kérouac、Jean Louis Kerouacとも言われる)。
ゲーリー・スナイダー
ゲーリー・スナイダー(Gary Snyder、1930年5月8日 - )は、アメリカ合衆国の詩人、自然保護活動家。20世紀のアメリカを代表する自然詩人。カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ。
代表作の詩集『亀の島』ではピューリッツアー賞を、『終わりなき山河』ではボリンゲン賞を受賞。アレン・ギンスバーグやジャック・ケルアックなどとの交友関係は有名で、(しかし本人は、自身をビートと結び付けたがっていない)1950年代前半には「ビート・ジェネレーション」の詩人として活躍した。
1956年から1968年までの期間の大半は京都に滞在し、相国寺や大徳寺で臨済禅を学んだ。この時期には宮沢賢治の詩の翻訳も試み、「春と修羅」などの一連の作品の英訳が『奥地』(The Back Country)に所収されている。また、ナナオサカキ、山尾三省らと鹿児島県のトカラ列島に属する諏訪之瀬島にコミューンを作り、移住した。
アメリカに帰国後は、地域に根ざした環境保護運動、カリフォルニア大学デービス校の教授など多彩な活動を展開した。スナイダーの作品は、人間と自然との関係をテーマにしたものが多く、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの作品を原型とする自然文学、いわゆる「ネイチャーライティング」の系譜に位置づけられる。
※ おや?ここにもソローの名前が。
特に「ゲーリー・スナイダー」さんなんかは、実際に京都で修行までしちゃってます。
当時のヒッピーたちはマリファナ片手に「何やら悟ったつもり」になっていたそうです。
※ 批判的意味だけじゃなくて、この「つもり」ってのが意外と大事。ツモリ・チサト。
その他知識人など
ジョン・ケージ
ジョン・ミルトン・ケージ・ジュニア(John Milton Cage Jr.、1912年9月5日 - 1992年8月12日)は、アメリカ合衆国出身の音楽家、作曲家、詩人、思想家、キノコ研究家。実験音楽家として、前衛芸術全体に影響を与えている。独特の音楽論や表現によって音楽の定義をひろげた。「沈黙」を含めたさまざまな素材を作品や演奏に用いており、代表的な作品に『4分33秒』がある。
www.youtube.com※ 「無音」なのに「最高音質」なのが最高にシュール。
これは私なりに解説させていただきますと。
「無音」なのは、厳密に言えば「音楽(楽器)が鳴っていない」だけです。
環境音などはしています。
「静寂を聴く=禅」という解釈ですね。
リチャード・バックミンスター・フラー
リチャード・バックミンスター・フラー(Richard Buckminster Fuller, 1895年7月12日 - 1983年7月1日)は、アメリカのマサチューセッツ州出身の思想家、デザイナー、構造家、建築家、発明家、詩人。
人物概要
フラーはその生涯を通して、人類の生存を持続可能なものとするための方法を探りつづけた。全28冊の著作によって、「宇宙船地球号」、エフェメラリゼーション、シナジェティクス、デザインサイエンスなどの言葉を広めた。デザイン・建築の分野でジオデシック・ドーム(フラードーム)やダイマクション地図、住宅のプロトタイプであるダイマクション・ハウスなど数多くのものを発明した。
彼の生涯は、商業関係のさまざまな仕事を転々としたあと、1922年に、安あがりで効率のよい屋根を作るための構造システムの仕事を始めるが、それは建設に手間がかからないと同時に軽量で、大きなスパンを覆うことのできるものを目指していた。その成果が、第二次大戦後に展開された一連のジオデシック・ドームである。それらは、スペース・フレームの原理にのっとって、木材、合板、アルミニウム、ペーパーボード、プレストレスト・コンクリート、さらに竹、など多種多様の材料で作り出したものであった。その最大のものは、ルイジアナ州、バトン・ルージュにあるが、直径は384フィートで、1958年に作られたものである。
その他にも、テンセグリティや、今日一般的に見られるドームスタジアムの開発・設計、オクテットトラス構造の特許を取得し、世界各地にオブザーバー、提案者として請われ広範に活動した。
また、彼はその生涯においてクロノファイルと名づけた詳細な自らの活動の記録(日誌)を膨大な量残したことでも知られる。それらは、バックミンスター・フラー・インスティテュートに保管されている。
晩年には世界中で講演し、また数多くの名誉博士号を受けた。しかし、その業績は然るべき評価を受けたとは言い難く、彼の発明のほとんどは生産されず、また関わったほとんどの分野(建築など)では厳しい批評に晒されるか、ユートピア主義者とされ無視された。
しかし、彼の特許やそうでなくても、提案されたコンセプト等は現在の社会の大きな要素となっているものも少なくない。
「炭素60」(C60)と呼ばれる炭素のクラスター状分子はジオデシック・ドームと同じ構造を持つことから、彼にちなんで「バックミンスターフラーレン(フラーレン)」または「バッキー・ボール」と命名された。
「宇宙船地球号」という呼び方の生みの親。
私が富士山に登った(小5)時、頂上には「ジオデシック・ドーム」の観測所がありました。
※ 現在はありません。移設されたのかな、確か?
個人的には「ダ・ヴィンチ」とか「ガウディ」にも通じる人だと思っています。
J・D・サリンジャー
ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー(Jerome David Salinger、1919年1月1日 - 2010年1月27日[1])は、アメリカ合衆国の小説家。『ライ麦畑でつかまえて』などで知られる。
※ ご存知「ライ麦畑でつかまえて」
※ 巻頭に「隻手音声(せきしゅおんじょう)」という公案が掲載。
白隠が修行者たちを前にしてこう言った。
「隻手声あり、その声を聞け」 (大意:両手を打ち合わせると音がする。では片手ではどんな音がするか、それを報告しなさい。)
みなさんならどう答えますか?
私は、今の気分なら「虚しく響くのみ」と答えます。
※ 公案には「これが正解!」てないですからね。
アラン・ワッツ
Alan Wilson Watts (6 January 1915 – 16 November 1973) was a British writer and speaker known for interpreting and popularising Buddhism, Taoism, and Hinduism for a Western audience. Born in Chislehurst, England, he moved to the United States in 1938 and began Zen training in New York. He received a master's degree in theology from Seabury-Western Theological Seminary and became an Episcopal priest in 1945. He left the ministry in 1950 and moved to California, where he joined the faculty of the American Academy of Asian Studies.[2]
Watts gained a following while working as a volunteer programmer at the KPFA radio station in Berkeley. He wrote more than 25 books and articles on religion and philosophy, introducing the emerging hippie counterculture to The Way of Zen (1957), one of the first bestselling books on Buddhism. In Psychotherapy East and West (1961), he argued that Buddhism could be thought of as a form of psychotherapy. He considered Nature, Man and Woman (1958) to be, "from a literary point of view—the best book I have ever written."[3] He also explored human consciousness and psychedelics in works such as "The New Alchemy" (1958) and The Joyous Cosmology (1962).
アラン・ウィルソン・ワッツ(1915年1月6日 - 1973年11月16日)は、仏教、道教、ヒンドゥー教の解釈と普及で知られるイギリスの作家であり、講演者である。1938年に渡米し、ニューヨークで禅の修行を始める。シーベリー・ウェスタン神学校で神学の修士号を取得し、1945年にエピスコパル司祭となった。1950年に聖職を退き、カリフォルニアに移り、アメリカ・アジア研究アカデミーの教授に就任した[2]。
ワッツは、バークレーのKPFAラジオ局でボランティア・プログラマーとして働いていた時に人気を博しました。彼は宗教や哲学に関する25以上の本や記事を書き、仏教に関する最初のベストセラー本の一つである禅の道(1957年)に新興のヒッピーのカウンターカルチャーを紹介しました。心理療法の東と西(1961年)では、彼は仏教が心理療法の形態として考えることができると主張した。彼は、自然、男と女(1958年)は、 "文学的観点から私が今までに書いた最高の本 "であると考えられている[3]彼はまた、そのような "新しい錬金術"(1958年)とジョイナスコスモロジー(1962年)などの作品で人間の意識とサイケデリックを探求した。
「アラン・ワッツ」の日本語版wikiがないのは、ちょっと驚きでした。
「ブルース・リー」にも影響を与えた人なのに。
※ 「ラットレース or ヨットレース ?」て村上春樹だっけ?フィッツジェラルド?
ブルース・リー
ブルース・リー(英語名:Bruce Lee、漢字名:李小龍(レイ・シウロン、リー・シャオロン[2])、出生名: 李振藩(レイ・ジャンファン、リー・ジェンファン[3])、1940年11月27日 - 1973年7月20日)は、香港の中国武術家、武道家、俳優、脚本家、映画プロデューサー。截拳道(ジークンドー)を創始したマーシャルアーティストとしても知られる。墓碑銘は『FOUNDER OF JEET KUNE DO』。リンダ・エメリーとの間に一男一女。息子はブランドン・リー、娘はシャノン・リー。
Don't Think, Feel !!!
でおなじみ。
リーはアラン・ワッツに影響され、ジークンドーに取り入れています。
ほんとは「スティーブ・ジョブズ」までお話は続きますし、雑誌の内容はまだまだ濃ゆいですが。
今日はこれぐらいにしておきます。
アメリカ由来の文化だと思っていたら、なんとそこには「ZEN」があった。
日本でこれだけiPhoneが人気なのも頷ける話ですね。
ジョブズがこの世を去ってからは「デザインどうなの?」て感じですが。
ちなみに
「禅」は「メディテーション」と訳され、その「メディテーション」が日本に入ってくるときに「瞑想」に訳されました。
なので「座禅」と「瞑想」は違うものです。
※ 厳密に言えば。
「マインドフルネス」なんかになってくると、さらに違います。
簡単にいうと
「瞑想/マインドフルネス」は「効果を期待して」行われるもの。
「禅/座禅」は「効果すら期待せずに」ただやるもの。
要は
「現世利益があるのか?ないのか?」の違いがあると個人的には思っています。
このあたりも、また詳しく書くかもしれません。
また。
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