ようこそ、みなさん。
はじめに
先日の記事の続きになります。
一気に「今川と云う古物商が何かを掴んだであろう会話」の部分に飛んでも良かったのですが。
その時の「会話相手」である人物の人柄が伝わるエピソードもご紹介しておいた方が「より理解が深まる」と思いましたので、ご紹介させていただきます。
※ この部分だけで「何か」に触れられる方もいっらっしゃられるかも?
『鉄鼠の檻』という小説の「あらすじ」をご紹介させていただきますと
とある商談のため、箱根山中の旅館「仙石楼」に滞在していた骨董商、今川雅澄は『姑獲鳥の夏』の一件以来東京を離れて同旅館に居候していた久遠寺嘉親と出会う。時を同じくして、仙石楼へとやってきた中禅寺敦子と同僚の記者・飯窪、カメラマンとして同行した鳥口守彦。彼女らは科学雑誌「稀譚月報」の取材のため、「明慧寺」を訪れようとしていた。だが、その「明慧寺」は京極堂こと中禅寺秋彦ですらその存在を聞いたことがないという寺でもあった。
そんな中、仙石楼の庭園に忽然と僧侶の死体が現れる。周りに足跡はなく、不可解な現場に旅館は騒然となる。更には、神奈川県警の横暴な捜査に業を煮やした久遠寺老人は榎木津に調査を依頼し、関係者一同で明慧寺に乗り込む。そこには外界と隔絶された閉鎖的で独自の社会が形成されていた。同じ頃、京極堂は友人からの依頼で古書を運び出すため、箱根山を訪れていた。
関口をして「檻」と形容せしむる明慧寺。その中で次々と僧侶たちが殺されてゆく。警察にも手に負えない明慧寺に憑いた闇を京極堂が落とす。
鉄鼠の檻 - Wikipedia より抜粋
このようなものになるのですが。
今川という骨董商と商談をするはずだった小坂了稔(忽然と現れた僧侶の死体)という人物について、謎の寺である「明慧寺」にて繰り広げられる会話になります。
この場面での登場人物は
- 関口巽(せきぐち たつみ)妻・雪絵、京極堂夫妻と共に箱根へ旅行する。そこで久遠寺嘉親と再会する。
- 中禅寺敦子(ちゅうぜんじ あつこ)とある取材で、鳥口守彦を伴って明慧寺を訪れる。
- 鳥口守彦(とりぐち もりひこ)赤井書房の編集者。撮影協力として、敦子・飯窪に同行。
- 小坂了稔(こさか りょうねん)60歳。四知事・直歳。臨済宗。外界と関わりを持つ唯一の僧侶で、他の知事からは破戒僧と言われていた。今川と骨董品の受け渡しを約束していたが、奇妙な形で殺害された。第1の犠牲者。
- 大西泰全(おおにし たいぜん)88歳。最初に明慧寺に入山した人物であり、最年長の老師。飄々とした面があり洒脱で、他の僧侶たちと比べると話が通じる。
- 加賀英生(かが えいしょう)18歳。祐賢の侍僧。入山4年で最も新参の僧。
- 益田龍一(ますだ りゅういち)神奈川県本部捜査一課刑事。山下の部下で階級は巡査。民間人に慣れ親しむのは得意だが、不測の事態にはすぐに慌てる小心者。山下の命令で、仙石楼の取材班への監視と聞き取りを担当する。
鉄鼠の檻 - Wikipedia より抜粋
それでは早速お楽しみください。
「臨済打爺(だや)の拳」
英生に依ると老師は小坂了稔と殊更懇意にしており、ぜひ話がしたいと自ら云い出したらしい。
私達は全員でぞろぞろと英生に従った。
案内されたのは『理到殿(りちでん)』と云う建物だった。
老師はその名を大西泰全と云う。
煤(すす)けた袖無(そでなし)を羽織っただけの枯れた老人である。
きらびやかな袈裟を纏った高僧の姿を勝手に想像して畏まっていた私達は完全に肩透かしを食った。
「今晩は」
挨拶もまるで好好爺(こうこうや)だった。
「愚僧は見ての通り老(お)い耄(ぼ)れで、まあ長く坊さんしておるので、老師などとは呼ばれておるが、ただの爺(じい)でございますわい。自由気儘なものですわ。その、まあお勤めなんかはちゃんとやりよりますがな、作務はない。だから座ってるか経誦(よ)んどる以外は暇なもんですわい。それにしてもまあ若い女人を目の当たりにするのは何年振りですかのう」
好好爺からはからからと嗄(か)れた声で哄笑した。
『鉄鼠の檻』P287. より
この後しばらくは、老師の口から「明慧寺発見の経緯」と「僧達がいかなる理由で集ってきたのか」に関する説明が続きます。
飯窪は手帳を取り出して捲り、何軒か寺名を挙げた。老師はふんふんと納得したような声を出した。
「ほう。あそこが指(さ)したか。あそこならやりそうだわな。それとも ー うん。そこならもしや了稔さんが手でも回したのかもしれんわいな。あの人はそこの和尚とも懇意にしてた筈だ」
「了稔さん?了稔さんがなぜそんなことを?」
飯窪は混乱を示した。
「ち、一寸待ってください。ええと、老師さん。それはどう云うことです? ー 」
益田が身を乗り出して尋いた。
「 ー 害者は慥か、取材調査推進派だった訳ですよね?今のお話し振りですと、更に踏み込んでその取材調査自体を画策されたのが害者自身である ー と云うように聞こえたのですが」
「その疑いはある、と思いますなあ」
「だからなぜですか」
益田は食い下がった。すこし刑事らしい。
「何ね。了稔さんはこの寺を壊したかったのですわい。あの人は他の連中と違ってここの暮らしが気に入らなかった。だから世間に曝(さら)してやろうと思うたのじゃなかろうかな。教団の鼻を明かしてやろうと思うたか。だからその、お嬢さんにこの明慧寺の名を漏らした寺の者に、予(あらかじ)めここのことをわざと喋るように根回ししてた可能性はあるですな。そう云えば了稔さんは、今回の調査依頼のことも前以て知っておったきらいもありましたなぁ」
「ふうん。しかし、ここが気に入らなったと云うと ー 例えば害者は修行が厭になったとか?」
「そうではないですわい。まああの男は風狂の僧ではあったがなあ。修行が厭になったなら乞暇(こうか)願いでも出してさっさと山を下りりゃいい」
「はあ。ううん、その ー 」
益田が更に膝を乗り出して詰問した。
「 ー その、もっと詳しく聞かせてください。小坂了稔と云う人はどう云う人だったのです?」
『鉄鼠の檻』P306. より
この老師は多分この山の中で一番話が通じる ー 益田はそう思ったのに違いない。事実私もそう感じていた。事情聴取からはまるで被害者の人物像が浮かんで来なかったのだ。仮令(たとえ)誰に何を尋いたところで、僧達の回答は漠然としていて聞けども聞けども生身の小坂了稔は藪の中である。大体僧との会話自体が成立しない。問いに対する答えはあるが、答えに対する再びの問いはないのだ。答えが理解できないからである。私などは傍(はた)で聞いていただけだったから、余計に解らなかった。
老師は少し声の調子を変えて答えた。
「あれは面白い坊主だったなあ。何につけても反発する。否定してかかる。だから ー 元元は鎌倉のさる立派な寺の僧だったようだが、上に疎(うと)まれたらしい。それでここに島流しだ」
「捻(ひね)くれていたのですか?」
「違うよ。禅と云うのはな、否定せんことには始まらない。仏に逢っては仏を殺し、祖に逢っては祖を殺し、親に逢っては親を殺し ー 何もかも捨てて、何もかも否定せんことには始まらない。そうせんと己が何者かは解らんだろう。あの男はそのまんまの男でな。何だ、悟ってなどやるもんかい、ちゅう豪快なところはあったな」
「親を殺す?物騒な教えですな」
「殺すったって殺しはしないですわ。こりゃまあ喩(たと)え ー 否、そう思われてもいかんなあ。まぁ、親にしても師匠にしても况(まして)や仏にしても、それらが作った道に沿って生きていてはいかん、とでも云いますかなあ。所詮は他人の褌(ふんどし)で相撲(すもう)はとれん。仏様はこう云いました、先生はこう仰いましたつうのは他人の意見だ。それじゃあ己はどうなんじゃい、と、そこが問題なんだなあ。だからそんなものは殺してしまう。幾ら正しくとも、幾ら仏の道でも、束縛されてはいかん。自在な精神を以って絶対的な主観たらねば、禅の修行は完成しない ー 」
「解るような解らないような ー 否、解りません」
『鉄鼠の檻』P307. より
益田がそう云うと老師は笑った。
「いやいや、そう簡単に解られちゃたまらんわい。はっはっは。それを解るために修行しますのじゃ。理屈や言葉で解るもんじゃあないわい。况(まして)や刑事さん、今日初めて禅寺に来たあんたが、一寸(ちょっと)聞いたくらいで解りますかい」
「はあ、そんなこと云われましてもなあ。教えてくださいよ。僕にも解るように」
老師の語気が急に荒くなった。
「それ以上尋くと、例えば愚僧はあんたを叩く」
「た、叩く?」
「修行もせずに仏法的的(ぶっぽうてきてき)の大意(たいい)を質すなど、打ち据える以外に何の答えがあろうか!」
老師は拳骨を振り上げた。
益田は首を竦(すく)め上半身を後ろに引いた。
「冗談だ。冗談。修行者でもない者を打っても詮方(せんかた)ないわい。打って悟るなら打ちもするがな。あんた打っても痛がるだけだ。刑事なんぞ叩いたら逮捕されるわい。まあ聞きなさい」
老僧は居住まいを正した。
「そうよなあ。何を話したもんかいなあ。そう ー 愚僧は臨済僧ですからな。さっきも説明しました通り、臨済宗にも色々あるが、辿り辿って行けばその先には臨済義玄に行き着く。当たり前だな。その臨済が悟った時の話をしようかの。これもさっき云ったがな、臨済和尚は黄檗和尚の門下だった。真面目な坊さんだったようですな。三年修行した。三年目に首座(しゅそ) ー こりゃまあ修行僧の中で一番の責任者ってとこですかな。この首座の睦州陳尊宿(ぼくしゅうちんそんしゅく)がな、臨済にそろそろ参禅せい、と勧めた」
「参禅とは?」
「師匠のところに行って問答することだな。まあその参禅を勧められてな、臨済は黄檗のところへ行ったんだな。そして尋いた。丁度さっきのあんたみたいにな。仏法の根本義とは何ですか ー とな。その言葉が終わらんうちにな、臨済は棒でぶたれた。すごすご戻ると首座がまた行けと云う。また行くとまた打たれ、都合三回行って三回打たれた。臨済はがくりと萎(な)えて、首座に暇(いとま)を願い出た。私は修行が足りないから打たれるだけでは解らん ー とな」
「当然でしょう。ぶたれちゃ適(かな)わない。ねえ」
益田はそう言って周囲に同意を求めた。
「そりゃそうだ刑事さん。痛いですからな。臨済もそう思ったようですわい。首座はな、それなら高安大愚(こうあんたいぐ)のところへ行けば導いてくれよう、と勧めた。大愚と云うのは黄檗の兄弟子だ。臨済は云われるままに大愚のところへ行った。大愚は臨済に、黄檗はどう云う教え方をしたのか ー と尋いた。臨済は正直に、三回尋いて三回殴られたと云い、自分にどんな落ち度があったのか解らないが、まあ自分が阿呆なのかもしれず、でもただ叩かれた解らないから何卒お導きください ー と、大愚に丁寧に頼んだ。それを聞いて大愚は怖い声でこう云った。黄檗がそれ程まで老婆心切(ろうばしんせつ)に教えているのに、お前はこんなところまで来てそうやって自分の過失を問うのか、この大馬鹿者! ー と」
「酷いなあ。それじゃあ臨済さんも大変ですよ」
鳥口がまるで友達を哀れむようなことを云った。
「ほっほっほ、しかし臨済さんはそこでハッ、と悟ってしもうたのですな」
「悟った?どうして」
「どうしてと聞かれましても悟ってしまったものは仕方ないですわい。それで臨済和尚は、ああ、黄檗の仏法は明白であった ー と云いおった。それを聞いた大愚は、今度はな」
老師はそこで声の調子を変えて続けた。
「この小便垂れが!今の今まで愚痴愚痴と自分に落ち度はあったとかどうとか云っていた癖に、今度は黄檗は正しかっただと!さあ、お前何ぞに何が解ったと云うのだ、云え! ー 」
益田と鳥口は吃驚(びっくり)したようだった。老師は元の声に戻り、手振りを加えて更に続けた。
『鉄鼠の檻』P308 - 309. より
「 ー と、こう臨済を押えつけたですな。酷いでしょう?」
「は、はあ。酷いですな」
「臨済はどうしたと思いなさる?」
「勘弁してくれと謝ったんでしょうね。それじゃあ訳が解らないですからねえ」
「いいや。その時臨済は既に悟っていたのですからな。謝ったりはしないですわ。臨済は大愚の脇腹をこうガンガンガン、と三回突き上げた」
「反撃に出た訳ですか?」
「ははは、そりゃ違うわい。私はこう悟ったのだ ー と大愚和尚に教えたんじゃ。小突かれた大愚はな ー お前の師匠は黄檗だからそんなことは知らん、帰れ!と臨済を突き放した」
「何と乱暴な ー そんなこと近頃だってしませんよ」
「ふふふ。それでな、臨済は黄檗の元に帰った。それでことの次第を子細に報告した。黄檗はな、大愚の奴はけしからん、儂が棒で打ち据えてやる、と云った」
「ははあ。弟子を殴られて怒ったのでしょう」
「それも違うわい。それを聞いて臨済はな、その必要はない、今この場で殴っちゃる、と ー 」
老師はひと息吐(つ)いた。
「黄檗を殴り飛ばしたんだわな」
「そりゃ無茶だ。無茶と云うより無茶苦茶だ。なぜぶつのです?意味が解らないです」
「意味などないぞ。これを臨済打爺(だや)の拳(けん)と云う」
「待ってくださいよ老師。だから何でそこで黄檗を殴るんです?そうか、そりゃ最初に三発殴られた意趣返しですな?それ以外の動機はない」
「意趣返し?何で仏の道に導いてくれた師匠に意趣返ししなけりゃならない?」
「だって悟ったのはその大愚ですか?その人のお蔭でしょう?黄檗は悟る役に立ってない。最初に話も聞かずにぽかぽか殴っただけじゃないですか。臨済さん、遺恨を持っても当然ですよ」
「悟ったのは大愚のお蔭でも黄檗のお蔭でもない。臨済が自分で悟ったんですわ。関係ない」
「解らないなあ。ねえ、関口さん、解ってるなら教えてくださいよ」
益田は今度は直接私に尋いて来た。
私はしどろもどろになったが、それでも答えた。
「だから今の益田さんみたいに ー 解らないから教えてくださいよ、と云う姿勢を二人の師匠は糾(ただ)したのではないでしょうか。言葉ではなく躰で。そして臨済は解ってしまった。それをやはり躰で示した ー ううん、言葉では云い難いですが」
答えたものの実は私にも善く解っていない。だから益田の質問自体を否定してやっただけである。でもそう云ってしまうと合っているような気もした。しかし一方で外れているような気もまたした。
「はあ、なる程。じゃあ僕なんかは ー やはり叩かれるんだ」
益田は釈然としない顔で老師の方に向き直った。
老師は泰然として云った。
「そちらはまあ、少しはお解りじゃな。ただそう言葉にされてしまうと、やはり違うとしか云いようがないが、もしかしたらお解りなのかもしれん。いずれにしてもこの臨済大悟のくだりにゃ一切の説明は無用だ。否、凡(すべ)ての禅の公案に説明は不要なんですわい。意味づけは蛇足、言葉は無用だ。言葉に溺れ知識に振り回されるは黒漫漫地(こくまんまんじ)なりきですな」
「まあ、良く解りませんがね。言葉で通じないのじゃあ何で知ればいいんですか」
「だから言葉では何も伝わらないちゅうことですわい。言葉を越えたところ、意味を越えたところで法脈は繋がっておる訳ですな。まあ、今刑事さんが云うた通り、こりゃ傍(はた)から見れば飛んだ暴力沙汰ですな。体罰だ、反抗だと云うことになる。動機があって復讐したと云うことになる。しかしそれは違う。違いますのじゃ」
『鉄鼠の檻』P310 - 311. より
最後に
いかがでしたでしょうか?
「何か」に触れられた方もいらっしゃるかも知れませんね?
私もよく、無意識のうちに「他人を打ち据えるようなこと」をしているようです。
もちろん「物理的」にではなく、あくまで「言葉で」ですが。
その人が「望んでそうな場合」は、特に。
勝手な思い込みかもしれませんけどね、私の。
黄檗さんのように実際に打たれることはありませんが「平手打ちしてやる」ぐらいは言われたことあります(笑)
いや、笑いごっちゃないですが。
そろそろ「近々、本当に殴られるかも知れないな」と、私は戦々恐々としています。
それならそれで喜ばしいことです。
初めてこの本を読んでから、長い月日が経ちましたし、先程、購入したのが何冊目か忘れましたが、手元にある本が真っ二つになってしまうほどには読み込んでますので、老師ほどではないにせよ「そこそこ」にはなれててほしいものです。
私が過去に書いたものだと
kazzhirock.hatenablog.jpkazzhirock.hatenablog.jp
この辺りのお話と通ずるエピソードでした。
また。
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仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺し、始めて解脱を得ん
ja.wikipedia.orgja.wikipedia.org
仏教の学問を修めてきた臨済禅師が、黄檗のもとで修行していました。
のちに当時の自分の心境を「黒漫漫地」と表現されているように、真っ暗な中を模索しているような状態でした。
多子無し | 臨済宗大本山 円覚寺 より抜粋
[1] 〘形動タリ〙 明らかなさま。※性霊集‐八(1079)林学生先考妣忌日造仏飯僧願文「的々星菓、今告」※洒落本・一事千金(1778)二「かつ山がざしきの風流、的々(テキテキ)として明月輝き」 〔淮南子‐説林訓〕[2] 〘名〙 (形動)① 仏語。仏法の内容の明らかで正しいこと。その正しさ。② (━する) ⇒てきてき(嫡嫡)kotobank.jp より