みなさん、ようこそ。
本日は「ティモシー・リアリー」(以下、ティモちゃん)の人生とその文化的影響について、もう少しだけ掘り下げてみたいと思います。
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カウンターカルチャーのグル(導師)として
1963年になり、ジワタネホに滞在中のティモちゃんに「ハーバードから解雇された。」という通知が届きますが、これは「既に退職済みだったティモちゃんの評判を落とすために行われたこと」だとされています。
※どこの世界にでもあるんですね、こういうことってば。
同年9月、出資者であるペギーが弟である「アンドリュー・メロン家の跡取りであるビリー」にLSDを与えたところ、すっかりお気に召したのか?ニューヨーク州ミルブルックにあるメロン家の別荘に研究センターが置かれることとなります。
こうしたティモちゃんの活動は様々な範囲に影響力を及ぼして行くことなりました。
この頃、「オルダス・ハクスリーが危篤になった。」という知らせがあり、ハクスリーからティモちゃんに「『チベット死者の書:サイケデリックバージョン』でLSDのセッションをしてくれないか?」との依頼があります。
※ティモちゃんはその依頼を断り、死の際にハクスリーの奥さんにやってもらうことにしました。
そして1963年11月22日、ジョン・F・ケネディ暗殺のニュースが世間を駆け巡る中、その夜にハクスリー死亡の知らせが届きます。
※ジョン・F・ケネディについてもそのうち。
ハクスリーの妻ローラは、旅立たんとするハクスリーに「あなたはまっすぐ前に、そして高みへと向かっているの。今まで感じたことのない、大いなる愛に向かって。」と語り続けたと言います。
※これはかなり感動的です...安らかにハクスリー、もう大丈夫だからね。
話はティモちゃんに戻りまして。
1964年には、モデルのナネットという女性と出会い結ばれますが、これまたすぐ離婚。
※相変わらずの情緒不安定かよ。
ちなみに、ナネットと出会ってからしばらくして「ケン・キージ(『カッコーの巣の上で』の作者)」一行がLSD実験を繰り広げていたバスでティモちゃんに会いに来ており、触発されたティモちゃんは「俺たちも視野を広げるために世界旅行しようぜ!」と提案し、ナネットや仲間たちと共に旅立ちます。
※でもすぐ夫婦仲が冷めて離婚。
ケン・キージーのバス:FURTHUR号
Jmabel, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2333320による
※キージー率いるツアーは「アシッド・テスト」と呼ばれ、後にビートルズの「マジカル・ミステリー・ツアー」のモデルとなったとされています。
The Beatles / Magical Mystery Tour
※ "I am he as you are he as you are me and we are all together"
The Chemical Brothers / Acid Test
※ケミカルなブラザーズがアシッドテスト。まんまですね。
(閑話休題)
ケミカルブラザーズは"Tommorow Never Knows"に影響されまくった"Setting Sun"やら"Let Forever Be"いう曲もリリースしておりまして、そこにゲストヴォーカルとして参加しているのは、当時Oasisというバンドにまだ所属していたノエル・ギャラガーさん(別名:眉毛兄)でした。
「俺の血の中には、ビートルズとオアシス(オウェイシスな)が流れてんだよ!」と宣言してしまうぐらいには大好きなバンドたちなのでした。
まぁ、何が言いたいのかと問われるならば、「それぐらいティモちゃんの影響力は後世まで伝わってるんだ!」てことです。
話を戻しまして。
アメリカに戻ったティモちゃんは「音と光でLSD体験を引き起こす」というワークショップを行うなどの活動をしていましたが、「マリファナの所持で逮捕、からの裁判」の流れを複数回体験します。
同じ頃、マーシャル・マクルーハン(「メディア研究」の権威)にメディア戦略についてアドバイスされ「Turn on, tune in, drop out」というスローガンを思いつき、それをサンフランシスコで開催されていた「ヒューマン・ビーイン」で宣言しました。
※マクルーハンもそのうちやります。
マーシャル・マクルーハン / グーテンベルクの銀河系 - 活字人間の形成
※タイトルが素敵。活版印刷が開発され「情報空間」は銀河系となりました。
そんなこんなでティモちゃんは、合衆国政府によって60年代後半から打ち出された「LSDを麻薬と認定し使用を禁止する方針」と戦い続けながら時代は進みます。
※「LSDは人間の精神を解放する!」と考えてるので当たり前ですね。
1968年、反戦運動が起こる中、マーティン・ルーサー・キング牧師やロバート・ケネディの暗殺が続き、ティモちゃんは「この暴力的な世界から逃げるために」農場に引っ越しをしました。
その年のクリスマス、ティモちゃんは警察に尋問された際に「お前、逮捕な!」と突然告げられ、なんとその警官は自分のポケットからマリファナを取り出し、ティモちゃんは逮捕されてしまうのでした。
※一時間後には保釈されましたが、こうなったら裁判ですよ。
最高裁で「マリファナ法が違憲」とされたことにより、ティモちゃんにはメディアからの取材殺到。
そしてそこから謎の「ティモちゃん、カリフォルニア州知事選挙でます!」宣言。
※JSK(常識)をぶっ壊〜す!
キャンペーンソング?をジミ・ヘンドリックスなどの豪華ミュージシャンをバックに作製し発売までしています。
Timothy Leary / You Can Be Anyone This Time Around
※まさにサイケデリック!という感じですが、一般の方にはオススメしません。
その翌日、ジョン・レノンとオノ・ヨーコから「ティモちゃん!ウチら『ベッド・イン』てイベントやるから手伝ってよ!そこで『平和を我らに』て曲もレコーディングするからよろしく!」と電話がある。
さらに次の日、ジョンが選挙の応援ソングを作ってくれることになる。
※それが"Come Together"でした。
※「ベッド・イン」の様子。真ん中がティモちゃん。
Plastic Ono Band / Give Pease A Chance (平和を我らに)
※冒頭にちょっとだけティモちゃんが映っています。
The Beatles / Come Together
※イントロの「シューッ」は「シュートミー(俺を撃て)」でおなじみ。
ここまでの私の感想:
ティモちゃん、あんたガチだね。
脱獄したり亡命したり
カリフォルニア州知事選キャンペーン中のティモちゃんでしたが、訴訟を起こされ逮捕されることになります。
※もちろんキャンペーンは中止
特に教訓深い逸話だと思うのですが、ティモちゃんが受けた刑務所でのテストは「その多くが、ティモちゃん自身が開発したもの」だったので、模範的な人物を演じることでセキュリティーの甘い刑務所に移ることができました。
※ここから学ぶべきことはなんでしょう?
その刑務所からの脱獄に成功し亡命生活を送りますが、再び逮捕され起訴されます。
※服役中にチャールズ・マンソンと隣の監房になったことがあるらしい。
刑務所内で「神経政治学」という著書の構想を練りつつ、1976年に自由の身となります。
※「宇宙移民」などの構想を含みます。
ティモシー・リアリー / 神経政治学
※日本語版は絶版かな?
映画:インターステラー / 監督:クリストファー・ノーラン
※大好きな映画です。「星を渡る者」そして「愛は次元を超える」
1973年には4人チームで「テレパシー実験」を行い、「スターシードからのメッセージを受け取った。」と主張しました。
※「バシャール」などに代表される「高次元とのコンタクト」の始まり。
ここまでの私の感想:
ティモちゃん、後の世で誤解されてるよ!
サイバーパンク時代の到来
そもそも「サイバーパンク」ってなんぞ?
自然科学の理論に基づく従来からのサイエンス・フィクション、これを厳密化したハードSF、非現実な要素を加えたスペースオペラ、サイエンス・ファンタジーなどに対するカウンターとしての思想、運動であり、それらを体現する小説に盛り込まれた要素・スタイルを抽出し、これをサイバーパンクと呼ぶ。
サイバーパンク - Wikipedia より抜粋
「フラワームーブメントの時代」は過ぎ去り、時は1980年代。
ティモちゃんの興味は「幻覚剤」ではなく「コンピューター」に移行していました。
かつてはIBMのようなコンピューター大企業を「CIAのような情報機関で 脅威的である。(ビッグブラザー!)」と捉えていたティモちゃんでしたが、ヒッピー文化で育った「スティーブ・ジョブズ」が「アップルコンピューター(現:アップル)」を立ち上げたこともあり、興味を移していったようです。
Matthew Yohe, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10584359による
※iPhone4を発表するジョブズ。
彭家杰 - Apple logo, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=74413323による
※「知恵の実」齧っちゃいました。
※「Think Different」 時を超えて繋がる何かしら。
1983年には「フューテック社」を設立し、「マインド・ミラー」という「自己診断と意思決定のための」ソフトウェアを発表します。
また、ティモちゃんの熱意は「モンド2000」という雑誌をキックオフさせ(これが現在の「WIRED」誌に発展。)さらには「ウィリアム・ギブソン」を「SF作家からサイバーパンク作家に転向」させることになりました。
※「WIRED」と伝説の雑誌である「ホール・アース・カタログ」の関係とかも面白いです。現在からすれば「ペーパーバック版のWWWだった。」とも評される雑誌でした。
※傑作でしょう。
ここまでの私の感想:
ティモちゃん、どんだけ影響与えとんねん。
そして訪れる「死」
晩年は年間30〜40校のペースで、様々な大学での講義をして回っていたティモちゃんでしたが、1995年初頭のこと。
「手術できない状態まで進行した前立腺癌である。」という宣告を受けます。
ティモちゃんはそのことを「ラム・ダス(ヒッピー文化での聖書『ビー・ヒア・ナウ』の著者)」らの古い友人に告げ、「Designer Dying」と呼ばれるプロセスをスタートします。
ラム・ダス / ビー・ヒア・ナウ
※このメッセージについても、またいつか。
ティモちゃんの遺作として発表された「Design for Dying」という著書の中で、彼は「死」について新たな見方を示しています。
それは「死とは『生命の過程、その全てと溶け合うことである。』」でした。
ティモシー・リアリー / 死をデザインする(Design for Dying)
※最終的には「ミニマル」に達するのですね。
1996年5月31日、享年75歳。
最期の姿は、彼の息子ザッカリーによって伝えられています。
拳を握りしめ、「Why?」と呟き。
そして拳を緩め、「Why not?」と呟き。
同じフレーズを異なるイントネーションで繰り返し。
そして息を引き取ったそうです。
最期の言葉は
「美しい。」
だったそうです。
1997年4月21日。
遺灰はロケットに乗せられ「宇宙葬」となりました。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
次回はティモちゃんの著書の内容と絡め、もう少し書きたいと思います。
また。
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