あなたがあなたの救世主

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「悟り」のこととか、この世界から「戦争」「差別」「暴力」を本当になくすという無謀な挑戦とか

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「スコトーマ」の外し方:その1

Hatena Feedly

ようこそ、みなさん。

 

昨日は「スコトーマ」という考え方についてお話しさせていただきました。

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記事はコチラ 

kazzhirock.hatenablog.jp

簡単にまとめると

 

あなたは、あなたが重要だと思っているものしか見えて(意識して)いない。

 

例えば

 

あなたがお部屋に入った瞬間。

 

目に飛び込んでくるのは「あなたの眼球が捉えた”お部屋全体の”情報」です。

 

しかし、まずは「眼球自体での選択」によって情報は減らされます。

 

その情報を脳で処理しているわけですが、ここでも「既に記憶にある情報は、あえて処理しない。」という処理が入ります。

※ 脳の省エネ機能。

 

そしてさらに「あなたが重要だと思っているモノ」に対してのみ、あなたの脳が注意を向けます。

※ これが「スコトーマの原理

 

お部屋に入った瞬間に、あなたはどこに目が行きますか?

 

その「あなたが目を向けているモノ」以外の「脳が再構築したお部屋の景色」のほとんどは、あなたの脳が「過去の記憶から補完して」映像を組み立てているでしょう。

 

 「短期記憶」を担当する「海馬」と、「長期記憶」を担当する「側頭葉」の機能のズレによって生じる現象と言えるかもしれませんね。

ja.wikipedia.orgja.wikipedia.org

RAS(ラス)って?

ちょっと寄り道から。

 

みなさんはRAS(ラス)という言葉を聞かれたことはありますか?

 

日本語だと「網様体賦活系(もうようたいふかつけい)

 

英語だと「Reticular Activating System(レティキュラー・アクティベーション・システム)」のことです。

※ 頭文字をとって『RAS」

 

bsd.neuroinf.jp

簡単にこのRASの機能を説明すると

 

その人の興味や関心があることに対して、脳は情報を活発に収集する。」といったところでしょうか?

 

誰かに恋をした時に「あの人のことはなんでも知りたい!」と思いませんか?

※ 極端な例です。(笑)

 

素敵な曲に巡り合った時に「もっとこのアーティストの他の曲も聴いてみたい!」って思うでしょ?

 

そういうことだと思ってもらっていいと思います。

 

RASを変えていくことがスコトーマを外すことに繋がる。」とも言えます。

 

外し方 

 

じゃあ、どうやったら外せるようになるのよ?」ってお話で。

 

正直なところ、色んな方法があると思います。(笑)

 

代表的な例を書いていきたいと思います。

 

1. 「ゴール(人生の目標)」をより高く設定する。

 

あなたの「人生の目標」はなんですか?

 

お金持ちになること?

 

多くの人を喜ばせること?

 

誰かの役に立つこと?

 

健康な生活を送ること?

 

欲望の限りを尽くすこと?

 

人には色んな「人生の目標」があると思います。

 

その目標、ワンランクもツーランクも高く設定してみちゃいましょ?

 

例えば

 

お金持ちになりたい!」とあなたが思っていたとします。

 

なんのために?

 

自分だけが幸せになるために?

 

お金持ちになりたい!」とだけ思っていると「スコトーマの原理」が働き、「なんのためにお金が欲しいのか?」という大事な部分が見えなくなります。

 

強く願えば願うほど、見えなくなることも多くなります。

 

本当は「家族が幸せに暮らすためにお金が欲しい。」と思っていたはずなのに、「お金が欲しい!」ということばかりに注意が集中してしまうと、元々の理由だったはずの「家族が幸せに暮らすために」の部分が見えなくなってしまいます。

 

幸せを求めていたのに、本当に大事なものを見失う。

 

本末転倒とは、まさにこのことですね。

 

怖いですね。

 

もしもあなたが「お金持ちになりたい!」と漠然と思っているだけだとしたら、こう思うようにして見てはどうでしょうか?

 

家族を幸せにしたい!だからお金もある程度以上は稼ぎたい!」とか?

 

福祉施設とか図書館とか寄贈したい!人の役に立つことをしたいからお金持ちになろう!」とか?

 

目標設定を正しく行う」とか「目標設定を最適化する」とも言えるかもしれませんね。

 

これを行うためには、以前にお話させていただいた「思考を支える思考」も大いに関係してきます。

※よろしければ過去記事もお読みください。

 

記事はコチラ

kazzhirock.hatenablog.jp

kazzhirock.hatenablog.jp

 

ちなみに、私のゴールは「この世界から『戦争』『暴力』『差別』を本当の意味でなくす。」という、とんでもないものです。(笑)

 

散々アピールしてきましたが、私は子供の頃からジョン・レノンの大ファンです。

ビートルズ自体のマニアですが。

 

なんなら「俺、ジョンの生まれ変わりなんじゃね?」と一時期本気で思っていた、頭の痛いお子様でした。(笑)

 

今では「そういう子供で良かったな。」と思えます。

 

人間、なんだかんだで「なりたかった姿」に近づくように自分を導いてるのかもしれません。

※ 程度はどうであれ。

 

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※ 俺、一生独身だろうけど。こんな画像には負けないっ!(笑)

 

 2. 習慣や選択を変えてみる。

 

 「そんなの当たり前じゃん?」とか「普段から心がけてますけど、何か?」と思われた方!

 

あなたは素晴らしい!(笑)

 

本当に当たり前と言えば当たり前のことなんですが、これを「意識的に」やれる人ほどスコトーマが外れやすいと思います。

 

例えば

 

学生の頃に修学旅行に行かれましたか?

 

当時はあまり興味もない土地に連れて行かれたかもしれません。

 

何を見てもどぉーでも良かったかもしれません。

 

でも、振り返って見てどうでしょうか?

 

今あなたが関心を持っていない他の都道府県よりも、修学旅行に行った思い出の土地の方が関心は高かったりしませんか?

 

そこに旅してみませんか?

 

例えば

 

働いてらっしゃる方でしたら、毎日同じような通勤ルートを通われていますか?

 

東京でしたら移り変わりも激しいので、毎日目にする景色に若干の変化があるかもしれません。

 

地方都市で車通勤などされてると、毎日同じルートだと景色にほとんど変化はないでしょう。

 

たまにはちょと変えてみませんか?

 

飽きませんか?

 

私は飽きます。


ADHD気質なもので。

※ 「狩猟採取型生活とADHD」についても、またそのうち。

 

基本的に「常に新しい発見」に飢えています。


ルーティン化している日常を変えてみましょう。
 

新しい発見こそ、スコトーマを外す効果がある。

 

と言えるのだと思います。

 

見えなかったものを見えるようにしてくれる。

 

普段しない行動を「自発的に」やってみる。

 

普段選ばないモノを「自発的に」購入してみる。

 

ほんの小さなことからでいいと思うんです。

 

ここからまた自分語りですが、私は旅行するのが大好きです。

 

東京に住んでた頃などはどこに行くにも交通の便がいいので、全国各地に旅行に行ってました。

 

決して贅沢な旅行ではありません。

 

いい歳こいてるのに、東京から京都まで夜行バスで行ってみたり、時には青春18切符でのんびり各駅停車の旅しながら四国を巡ったり。

 

長野に行って上高地を散策してみたり、レンタカー借りて福島県内一周を1日でやってみたり。

 

泊まるのはだいたいゲストハウス。

※ 流行りにすぐ乗るタイプなので、ゲストハウスブームにはモロ乗りました。(笑)

 

ゲストハウスプレス 日本の旅のあたらしいかたちをつくる人たち

 

学生の貧乏旅行に毛の生えた程度のものです。

 

それでも毎日が発見の連続でした。

 

知らない街、知らない景色、知らない道。

 

旅は人生の道しるべ」という言葉があります。

 

英語だと「Life Is A Journey Towards The Guiding Light」でしょうか?

 

この言葉は、私が高校生の頃ぐらいから大好きだった「ハリウッド・ランチ・マーケット(HRM」というブランドのブランドメッセージでもあります。

※ 世代的にアメカジ直撃世代なもので。「アメリカ文化」大好きっ子だし。

H.R.REMAKE (HRリメイク) ミックスパッチワーク HパッチTシャツ Men's 【700076662】[正規取扱] (L, D WHITE/デニムH)

※ 私はスケベニンゲンです宣言。スケベニンゲンって土地が実在したはず。

 

 マルセル・プルーストの名言にも、こんなのがあります。

 

本当の旅の発見は新しい風景を見ることではなく、新しい目を持つことにある

 

この言葉に尽きます。

※ とは言いつつ、旅に関する名言もいつかやりたいと思います。

ja.wikipedia.org

失われた時を求めて 8 第四篇 ソドムとゴモラ 2 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫)
※ どちらの表紙も好き。

 

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※ 旅の良さをアピールする記事にはってありがち画像。

 

3. 自分の視点や立場を変えてみる。

 

固定観念こそがスコトーマを強化する。」と言っても過言じゃないでしょう。

 

自分の視点や立場を変えてみるのに、一番簡単で、なおかつ効果的なのは「読書をする。」ことだと思います。

※ 今だと「ブログを読んでみる。」のもアリですね。

 

読書というのは素晴らしいものです。

 

小説などを読めば、主人公の感情や人生を追体験することができます。

 

自分じゃない人」が何を思い、何を成したのか?

 

バーチャルリアリティーは既に実現しています。

 

読めば読むほど、興味や関心の幅も広がるでしょう。

 

知らない言葉を知り、それに関連することを知り。

 

私は「言葉は自分の内宇宙を定義するコードである。」というような捉え方をしています。

 

まさに「はじめに言葉あり。」ですね。

 

言葉を知ることで、世界は確実に広がります。

 

今まで知らなかった「概念」を知ることができます。

 

宇宙に関する本から、政治・経済、偉人の伝記、妖怪に関する本、陰謀論や都市伝説やオカルトやら。

 

文字が書いてあったらなんでもいい。」ってぐらい、四六時中何かの活字を読んでいます。

 

読書は新しいプログラミングコードをあなたにインストールしてくれます。

 

私の尊敬する人に「松岡正剛」という方がいらっしゃいます。

 

まさに「博覧強記」の「現代の知の巨人」とでも呼ぶべき人でしょう。

 

素晴らしい書評をネットでおびただしいほど読むことができます。


時間がないから本なんか読んでる暇ないよ!」という方にもオススメです。
YouTubeに増えてきた「聞き流す系の要点まとめ」は使い方次第です。

 

サイトはコチラ

1000ya.isis.ne.jp

他にも「一人ディベート」なども役に立つと思います。

 

ディベート(debate)とは、ある的な主題について異なる立場に分かれ議論することをいう(広義のディベート)。討論(会)とも呼ばれている。

ディベートは、厳密にはディスカッション(discussion)や単なる議論とは異なるものであるが、一般にはこれらの区別なく「ディベート」ないし「討論」と呼ばれることが多い(最広義のディベート)。この語法は既に定着している部分もある[1]が、誤った使い方であるとの見方も根強い。

様々な教育目的のために行われる教育ディベート(educational debate)が、単に「ディベート」と呼ばれることもある(狭義のディベート)。特に、教育ディベート関係者の間では、「ディベート」といえば通常は教育ディベートを指す。

教育ディベートでは、その多くが説得力を競い合う競技の形で行われる。競技として行われるディベートを競技ディベート(competitive debate)という(最狭義のディベート)。多くの異なったスタイルがあり、目的に応じて選択される。

ディベート - Wikipedia より

 

簡単に言うと、「ある立場」と「その逆の立場」に別れて、意見を戦わせることです。

 

競技形式なので「説得力に勝った方が勝ち。」というものです。

 

例えば

 

あなたは「個人的な感情としては死刑廃止」の立場です。

 

でも、ディベートでは「死刑制度継続の立場」で「死刑制度反対派に対して、死刑制度は必要であること」を「三者に対して、より説得力を持って説明すること」が求められます。

 

個人の「感情」は切り離して、完全に「論理」で訴える必要があります。

 

ちょっと違うのかもしれませんが、弁護士がやってることの練習みたいなことです。

 

個人的には許せない犯罪を犯した人の弁護もしないといけない。

 

またまた自分語りですが、私の通っていた小学校はちょっと変わっていまして。

 

とある地方都市の国立大学附属の小学校でした。

 

ある意味で「その国立大学の教育学部の研究対象」みたいなもので。

 

毎年のように教育学部の大学生たちが「教育実習」を積みに来るのでした。

 

普段の授業も、おそらくは他の公立の学校とは違い、先進的というか?風変わりというか?

 

私立ほど「受験対策」に偏り過ぎることもなく、「知識の詰め込みだけに捉われない試み」が数多く試されていたのだと思います。

 

その中の一つに「小学生にディベートやらせる。」というのがありました。

 

小さい頃から癖づけられたのは非常にありがたかったと思います。

 

常に「反対の立場の人はなんと反論してくるだろう?」とか「さらにそれに反論した上で、第三者に説得力を持たせるにはどう反論したらいいだろう?」と考えるようになったので。

 

これを私は「一人ディベート」と呼んでいます。

 

ただ「論理的に相手を上回ればいい。」というわけではありませんが、少なくともこのような思考方法を採用することで「二元論」や「弁証法」というものに耐性がつくと思います。

※ このお話は相当根深い「人類の課題のひとつ」だと思いますので、また詳しく。

 

関連する面白い話があります。

 

1960年のアメリカ合衆国大統領選挙でのこと。

 

ニクソンvs ケネディ」という両名で争われていた選挙ですが、この時「世界初のテレビ討論」が行われることになりました。

 

討論内容で上回ることが勝利に繋がる。」と考えたニクソン

 

かたや「いかに視聴者にアピールするのか?」を考えたケネディ

 

ニクソンの敗北の最も重大な要因は最初のテレビ討論だった。」と今に伝えられる結果となりました。

 

討論の内容はニクソンが勝った。」と考える人が多かったようですが、結果的には「ケネディの国民に語りかける姿(その姿勢や容姿も含め)」に好印象を抱き、その人々がケネディへ投票したと考えられます。

 

ディベート」の場合は「三者が論理的説得力のみ」で採点してくれます。

 

現実はそうもいかないのが面白いとこですね。

※ なので「余計に厄介だ。」とも言えますが。

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さて、いかがでしたでしょうか?

 

具体例(私の個人的経験)」を入れた方が、よりみなさまに伝わりやすいと思い、ツラツラと書き進めて参りましたが、このペースで行くととんでもなく長い記事になってしまいそうですので、この辺りで一区切りさせていただきます。

 

先日、YouTubeのコメント欄で「お前は文章が下手で何が言いたいのかわからん。」と言われてしまい、ちょっと心配になっています。(笑)

 

まぁ「科学」と「化学」の違いも理解されてなさそうな方からのご意見でしたので、「俺のせいじゃない!相手の読解力の問題や!」と開き直っていますが。(笑)

※ 嘘。もっと論理的にバシッ!と書きたいです。

 
どぉーしても「あれやこれや、自分の頭の中にあるものが連鎖しちゃって、しまくっちゃって」「何かを選ぶ」のが難しくなるんですよねぇ。

あ〜、この考えを伝えるには、この感触を伝えないとダメだなぁ。」とか。

 

あ〜、あれとこれを関連づけたから、俺はこう考えるようになったなぁ。」とか。

 

結論だけを論理的に並べ立てても、結局相手に「考え方の過程そのもの」がトレースされていかなかったら意味がないと思うのですよねぇ?

 

読む。

頭で声にしてもいいし、しなくてもいい。

でも、私と同じような思考の過程を辿ってもらえる。

 

コラム?みたいな形式の良いところはそれだと思うのです。

※ 個人ブログだしね。論文じゃないし。あ、論文書いたことねぇや!(笑)

 

そんなこんなで、明日もまたわかりにくい文章かもしれませんが、続きを書かせていただこうと思いますのでよろしくお願いいたします。

 

 

Indigo Jam Unit / Raindrops

youtu.be※ 雨が降り続いていますが、被害が最小でありますように。

 

 

また。

 

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