ようこそ、みなさん。
本日は、あまり耳馴染みのない言葉かもしれませんが「思考を支える思考」について書かせていただきたいと思います。
「心」と「意識」と「脳」の関係
そもそも「思考」とはなんでしょうか?
「どこ」で「どういう原理」で「発生」してるんでしょうか?
先ずは「思考」を辞書から引用させてもらいます。
思考
思惟ともいう。はっきりした定義はないが,一般的には,ある対象,事態ないしはそれらの特定の側面を,知覚の働きに直接依存せず,しかもそれと相補的な働き合いのもとで,理解し把握する活動または過程をさす。その活動には,判断作用,抽象作用,概念作用,推理作用,さらに広義には想像,記憶,予想などの働きを含む。また連想心理学では,観念の連鎖をさす。思考は古くから心理学の研究対象として取上げられ,問題解決場面における意識過程の分析や行動の解析が行われてきたが,最近ではコンピュータを用い,シミュレーションなどによる研究もなされている。
次に、私が思う「心」と「意識」と「脳」の関係に関する仮説です。
脳
人間の「臓器の一つ」であり、主に「情報処理を統合」している役割を持つ。
意識
「脳」が行なっている「情報処理の総体」であり、「心」と「脳」の「橋渡し役」である。
心
なんだか「よくわからない」し、とても「厄介」なもの。人間の細胞の「ひとつひとつ」に宿ってるっちゃ宿ってる「ようなもの」と仮定してみる。
関係性をまとめてみると、「物質である脳」と「物質ではなさそうな心」が「接触している場所が意識」ということことでしょうか。
基本的に「私の考える世の中の理屈」というのは「この原理」から構築されます。
「人間」という「現象」について
ここまでの仮説をもとに、私が思う「人間という現象」について書いてみます。
人間は「五感」を通じて物理現実社会からの情報を取得し、それらの情報を「脳が処理した結果」としての「内宇宙」に住んでいます。
私は物理現実社会の方を「外宇宙」と呼び、人間が脳内で作り上げた世界を「内宇宙」と呼ぶことにしています。
「内宇宙」のことを他の人は「マトリックス」や「仮想現実」と呼ぶのかもしれませんし、「情報空間」と呼ぶのかもしれませんが、基本的には「呼び方が違うだけ」だと思っています。
そういう意味では「私の身体」というのはあくまでも「物理現実空間」に存在していますが、「私の世界」は「仮想空間」に存在しています。
※ 既に「マトリックスの中に生きている」と言う人がいるも、当然ですね。
ある意味では「私たちは物理現実空間を正しく認識することができていない。」と言うことです。
※ このあたりの問題の解決方法が「悟り」だと思っています。(なら、早よ書けや!)
さて、「外宇宙に在る私たちの身体」は常に新陳代謝などを繰り返し「入れ替わり続けて」いるわけですが、どういうわけか「ずっと変わらない確固たる存在」であると私たちは誤解しています。
厳密に言えば「1秒前の自分と、今この瞬間の自分」は「別のもの」とも言えると思いますが、そのように「毎秒のように『脳みそ』が『自分と認識しているもの』を『再構成』し続けるような『情報処理』をしないといけないと、非常に膨大なエネルギーを使うので、そのような『毎秒ごとの処理はしないこと』にした。」と思います。
そんなわけで「私という確固たる存在」という「誤解」が生まれているわけです。
「細胞のひとつひとつに心らしきものが宿る」と考えると、そりゃ「常に入れ替わって変化し続けている」から、心が「よくわからん、掴み所のないモノ」なのはしょうがないでしょう。
※ 川の流れのように
「川」という「概念」は、「水」という「小さな一粒」が集まったものです。
上流から下流へと、水の分子は流れていきますし、そうやって常に変化しています。
それでもやはり「川と私たちが感じる存在」はあるわけです。
だって「川は川じゃん!あるじゃん!」としか言えません。
実際には「外宇宙」において「毎秒変化し続けている水分子が入れ替わり続ける現象」があって、それを私たちは「内宇宙」において「川という固定化された存在」と「認識しているだけ」なのですが。
「人間」というのは「外宇宙」においては「現象」として存在しているのです。
それを「内宇宙」が「私」として「固定化している」ので「私がいる」わけです。
「思考を支える思考」
さて、ちょっと本題に触れる前のお話が長くなりすぎるのでこれぐらいにして。
※ 徹底的に書こうと思うと、いくらでも書けるので。
今までお話ししてきたような「仮定」に基づいて考えますと、「思考」というのは「主に意識の活動」であると言えると思います。
じゃあさらに「その思考」を「支えている思考」ってなに?
とりあえず「思考そのもの」と「思考を支える思考」は「同じ次元にはない」と思ってください。
「思考」はどちらかと言えば「脳と意識」の方で発生しており、「思考を支える思考」というのは「意識と心」の方のお話です。
ベタな例えをします。
あなたが「お金が欲しい!」と思ったとします。
その時に何が起きるか?
思考:(いろんな理由で)「お金が欲しい!!!」
思考を支える思考:「お金が欲しい」と思うてことは「お金を持ってない!!!」
思考:「あれも欲しい!これも欲しい!もっと欲しい!もっともっと欲しい!」
思考を支える思考:「どれも持ってない!!!」
と、まぁ、「願えば願うほど、自分は現在そういう状態ではない」ということが「無意識領域とでも呼ぶべき場所」に叩き込まれるわけです。
「心が『足りない何か』の充足を願う。」
「意識が『お金で満たされる』と勘違いな思考をする。」
「脳みそが『お金を稼ぐためにはどうすればいいか?』を計算しだす。」
それを繰り返すうちに「心で『足りない気持ち』だけが膨れ上がる。」
みたいなことでしょうか?
あなたの「思考」は、実は「真逆の思考」も含んでいるわけです。
おまけにその「真逆の思考」である「思考を支える思考」というのは、普段「我々がなかなか意識できない領域」に存在することになります。
このあたりの原則を悪用して「思考が現実を創る!」とか「引き寄せの法則でお金持ちに!」とか、スピリチュアル界隈で「現世利益を追求する教え」というのが広まっているわけです。
あとは最近流行りの「目覚めなさい詐欺」とか。
とりあえず今日は「思考を支える思考」についてのお話の導入なので、これぐらいにしておきたいと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
また。
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