ようこそ、みなさん。
「自分に必要なものは、必要なタイミングで、まさに正しく、やって来る」ような話になります。
※ 「私にとって」ですけどね。
たぶん(笑)
はじめに
先日のことですが、ある方と色々とお話ししていた時にこんな話題になりました。
私:「そう言えばさぁ?教授(坂本龍一氏)が、その昔、こんなこと言ってたよ?『この世界にオリジナルなものなどない』って。偉大な音楽家たちだって、みんな『過去の優れた音楽からインスピレーションを得たんだから』的な?そんな感じのことを」
ある方:「知識を飲み込んで、それが体から染み出すってことでしょ?」
と、こんな感じのやり取りがありました。
教授の発言は、確かNHKで放送されていた『スコラ』と言う番組での発言だったと記憶していますが、その動画をYouTubeで見つけられなかったので、私の勘違いかもしれません(笑)
※ NHK公式さん、是非再放送か円盤化をお願いします。
と、思いながらネットを検索してみたら「記憶したまんまの言葉ではなかった」にせよ、近しい発言をされていました。
音楽に、完全なオリジナルティはこの世には存在しない。一曲の中で5%は個人の本当のオリジナル。95%は伝統。自分は5%のおもしろい部分に興味がある。
他にも
『音楽』が救いというのはあんまり言いたくないけれど、そういう役割というのは絶対にありますね、音楽は。
みたいな名言がありますが、いつ発言されたものなのかの記載がないので「教授が本当に言ったのか?」までは確認できませんが(笑)
※ 「戦メリ」弾ける男になりたくて、ベタですが。
※ 「アンビエント寄り」な教授も良いものです。
オードリー・タン
私、最近「ツイ廃(Twitterばかりしている人)」になりかけなので、自分でも「注意しないとな」と思っているところです(笑)
アメリカ大統領選挙関連の情報(1/20以降の展開まで含めて)を気にしていると、どうしても「即時性」と言う意味では「Twitterが早い」もので、ついつい「使いにくいUI」で、おまけに「欲しい情報に辿り着きにくい」にも関わらず使ってしまっております。
そんな中、フォローいただいた方のプロフィールを眺めておりますと、こんなことが書かれていました。
「素養を涵養するような教育」にハマっています!
と。
「なんかニュアンスわかるぅ〜!」とは思ったのですが「はて?誰か言ってた気はするけどなぁ?誰だったかな?」と検索してみたら、コチラのインタビューが出てきました。
――日本では2020年度から小学校でもプログラミング教育が導入されるなど、IT教育への関心が高まっています。
プログラミング教育は、問題を解決するための手段にすぎません。デジタルスキルとプログラミング教育はまったく別のものだということです。プログラミング教育に反対はしませんが、第2外国語の学習と同じで、学んだとしても結果的に使えなくては意味がありません。
私は、プログラミング教育よりも「素養」(教養)を涵養するような教育を重視すべきだと考えています。台湾ではこれまで「競争力」を重視するかのような教育が行われてきましたが、現在では「素養」を重視するように教育方針が変わりました。自発的で、ともに助け合い、共通の利益を求めるという3つの要素を重視する教育への転換です。日本の教育政策の方向性は正しいと思いますが、台湾ほどのエネルギーは発していないかもしれません。
「あ〜、タンちゃんね?はいはいはい」と。
※ 友達かよっ!
コロナ騒動初期に「台湾のコロナウイルス対応は、彼の国の若手IT大臣が素晴らしいシステムを開発し、その迅速な対応のおかげもあり、被害を最低限に食い止めることに成功している」みたいな話がありましたが、その「若手IT大臣」であるのが、タンちゃんです。
「IQ180ぐらい」らしいタンちゃんの、詳しい経歴はWikiをご確認ください。
さすが天才です、言うことが違う。
「涵養するようなものが大事だ!」と言ってるわけです。
※ ニュアンス、分かりますかね?
ちょっと、辞書で引いてみましょう。
[名](スル)水が自然に染み込むように、無理をしないでゆっくりと養い育てること。「読書力を
涵養 する」kotobank.jp より抜粋
水文学において涵養(かんよう)、または地下水涵養[1]は、地表の水(降水を主としてほかにも、湖沼水・河川水、貯水池・雨水浸透ますなどの水、その他)が地下浸透して帯水層に水が供給されること[2][1][2]。その供給源を涵養源[3]、供給元となっている河川域を涵養域(英語 recharge area)[4]という。
対義語としては「流出」あるいは「湧出」を用いる[2]。涵養の起こる場所は「涵養域(かんよういき)」といい[2]、対して、流出・湧出の起こる場所は「流出域」もしくは「湧出域」という[2]。こちらの語意でも用いるのは日本語だけで[要出典]、中国語では「地下水補給」などという。現代日本語の公文書等では「涵」の字を「かん」とし混ぜ書きすることがある(用例:水源かん養保安林)。英語では "groundwater recharge[1]" などという。
最後に
要するに、知識は年月をかけて「あなたに染み込み」、それが「知性」というか、「智慧」というか、「品性」というか、「教養」というか、まぁ「そのようなもの」として「滲み出てくる」のだと、私もそう思います。
将来的に、映画『マトリックス』で描かれていたように「知識(情報)を脳みそに直接ダウンロードできる」ようになっても、すぐには「滲むもの」にはならないのではないでしょうか?
そんなことを思ったのでした。
あなたには「あなたにしか紡げない物語」があるはずなのです。
— あなたがあなたの救世主 (@kazzhirock1) 2021年1月28日
と、私は今日こんな感じで偉そうに書きましたが、この言葉にも「元ネタ」が存在しておりまして。
※ 「俺にしか組み合わせられない、言葉のコネクター」
「詩人の言葉よ、内側に届けっ!」ということで、素晴らしい言葉の奔流に、どうかあなたも飲み込まれてみてください。
https://twitter.com/kazzhirock1/status/1354623094933975040?s=20
「音楽的な文脈」というか、「音楽の歴史の流れ」みたいなものを深く理解することは、「この世界の流れそのもの」をより理解することに繋がると思います。それこそ「音楽は、この世界の表層への表出である」とも言えるわけです。勝手な妄想ですが。
— あなたがあなたの救世主 (@kazzhirock1) 2021年1月28日
「まだやり残したことがあるんだ」
また。