ようこそ、みなさん。
眠いのですが、どうにも寝れないのでダラダラと。
外宇宙と内宇宙の交信が時間の正体?
先日から「時間は未来から過去に流れているのではないだろうか?」ということについて、ダラダラと考え続けておりますが。
私は「物理学的現実世界」を「(自我に対する)外宇宙」とし、「脳が作り出している世界」を「(自我が住む)内宇宙」としているのですが、この考え方でいくと、もっとわかりやすくなるんじゃないかなぁ?と思うようになりました。
まぁ、そもそもの「私(自我)」というもの自体が「脳が作り出した仮初の存在」だとする考えです。
※ 「私の身体」は、ちゃんと「外宇宙」に存在しています。
ある物体を私が見ているとしましょう。
人間の感覚で言えば「おそろしく短い時間」といえども、その物体から発せられた光が「外宇宙に存在する私の網膜」まで届くのには「僅かばかりの時間」を必要とします。
さらに、その光が「外宇宙に存在する私の視神経を通り、それが脳で処理され電気信号になるまで」にも、これまた「僅かばかりの時間」が必要です。
そうやって「内宇宙の私の『今』というもの」が出来上がります。
と、いうことは?
「内宇宙の私」が「今」だと思っている時、その時には既に「外宇宙の私の身体」は「内宇宙に対して『ほんの僅かばかり未来』に存在している」とは言えないでしょうか?
そんなわけで「外宇宙(内宇宙より未来)で起こった出来事」というのは「確定」していて、それが「内宇宙で再構成される」ので「時間が未来から過去に流れていると言える」のではないでしょうか?
この考え方だと、「外宇宙」においては従来通りに「時間が過去から未来に流れている」という世界観だとしても、何も問題がないように思えます。
「私たちは永遠に、正しく外宇宙を観測することはできない」ということにもなりかねませんが、そこは「悟り(脳の埒外に出る体験)」でもってして「体感すること」は出来ると思います。
「外宇宙の情報を脳内処理によって再構築し創出した内宇宙の消失=自我の消滅」によって「存在そのものとなること」によって。
※ 「悟り」ってのはコレだけじゃないと思いますけども。
単に「視点が変わる」だけです、時間の捉え方に関しては。
透明の電車に乗っているところを想像してください。
あなたは「未来に向かって」進んでいます。
※ 外宇宙は従来通り「過去から未来に時間が流れている」という世界観のまんまなので「未来に向かって進む」と表現しました。
自分が動いているのか?景色が流れてくるのか?
その違いだけですね。
「自分が動いている」とすれば「過去から未来へ移動している」と言えます。
※ 「外宇宙」と「内宇宙」を「同一視」している間はこの世界観になるのかな?
「景色が動いている」と考えられるようになるには、正しく「外宇宙」と「内宇宙」を「区別できる」ようにならないといけないのかもしれません。
でも、これ(外宇宙は「時間が過去から未来に流れている」まんま)だと「外宇宙で『過去から未来に流れていた時間』が、内宇宙に入ってきた途端に『Uターンしだす』」みたいなことになるので、やっぱり「外宇宙での時間も未来から過去に流れている」と考えたほうがスッキリしそうではあります。
そもそも「私(内宇宙在住)は本当の意味で『外宇宙を正しく知覚すること』はできない」という、ある意味で「恐ろしい考え方でもあるもの」になってしまうのですが、量子力学やらなんやらかんやらを考慮していくうちに、どうしてもこういう考え方になってしまうのですよね。
※ だからと言って「この世界はすべて意識が作っている!」と言い切ってしまうのは「大袈裟すぎる説明だ」とも思いますが。
検索サイトで「時間は過去から未来に流れている」みたいなワードで検索して出てくる色んなブログやサイトを読んでみただけでは、やっぱり「なぁ〜んか俺の言いたいのと違う!」と感じますので、まだまだこの問題については考え続けることになるかと思います。
やはり「体感」を「言葉の次元まで引き摺り下ろす」だけでも大変ですが、さらにそれを「多くの人に伝わるように表現する」というのは、非常に難しいものだと痛感する次第であります。
メモ書き程度なんで、わかりにくくてすみません。
また。
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