ようこそ、みなさん。
ちょっと、まさに今「無意識から意識」に「立ち昇ってきたこと」というものをメモ程度に。
先日の「未来から過去に時間は流れている」という話にも共通するかとは思うのですが。
私たちは「決定的な間違い(正しくない認識作用)」でもって「この世界を語ろうとする」のでいつまでも「間違い続ける」のかもしれません。
もしも、私が言ってるように「未来から過去へ時間は流れている」のならば「『過去から未来へ時間が流れている』という世界観によって構築されてきた理論」というものやらは、すべて「間違っていた」ということになってしまいます。
暴論を書きますと「西洋的な思想」というものは、その「有効性」というものを「すべて失ってしまう」とも言えます。
もしも、私が思うように「独立して存在する『魂』などはない」とすると、これまた「多くの東洋的なもの」すらも同じことかと思います。
「あなたには心がない」と言われても、実際に「固定され、かつ独立した心という存在をあなたが思い浮かべてそう私に言っているのであれば、確かに私には『心はない』と言えます」ということになり。
「私にあるのは『刹那の反応』の積み重ねであるものの『総体』だけであって、それは常に『流動的』であり『固定化』はされていません」ということになっています。
このタイミング?
この時代?
そういう意味で
「それらを理解している(するようになる)人々」と「そうではない人々」とに「二極化していく」のかもしれないなぁ、と。
また。
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