ようこそ、みなさん。
本日は「意味を引き剥がすこと」について思ったことを。
またもや「コイツ、何言ってんだ?」と思われた方も多いかとは思いますが、まぁお付き合いくだされば幸いです。
虹は瑞兆(ずいちょう)なのか?凶兆なのか?
ところで、みなさんは「虹」はお好きですか?
私は好きです。
「雨上がりの空に架かる虹」も好きですし、小雨が降る中に「局所的に架かって見える虹」も好きですし、厳密には「虹じゃない」のかもしれませんが、山などで見られる「ブロッケン現象」も好きです。
ブロッケン現象(ブロッケンげんしょう、英: Brocken spectre)とは、太陽などの光が背後からさしこみ、影の側にある雲粒や霧粒によって光が散乱され、見る人の影の周りに、虹と似た光の輪となって現れる大気光学現象。
ちなみに。
完全に余談ですが、「雨上がり」と言えば「決死隊」
ではなく(笑)
忌野清志郎さん(個人)が組んでおられたバンド『RCサクセション』に『雨上がりの夜空に』という名曲があります。
※ 「どうしたんだヘヘイ、ベイベェ〜?バッテリーはビンビンだぜぇ?」でお馴染みの、実は「とってもセクシャル」な名曲。
『ローリング・ストーンズ』を彷彿とさせる軽快なリフに「男女関係の隠喩として」綴られた「俺と愛車の物語」が載る名曲な訳ですが、この曲の歌詞の中にこんな部分があります。
Oh 雨上がりの夜空に輝く
Woo 雲の切れ間に散りばめたダイヤモンド
こんな夜に お前に乗れないなんて
こんな夜に 発車(発射)できないなんて
「雲の切れ間に散りばめたダイヤモンド」がキラキラ輝いてる様子、見たいものです。
脱線ついでに『雨上がりの夜空に』の「元ネタとされている曲」はコチラ。
※ 思わず「まんまやんけ!」と言ってしまいそうなインスパイアっぷり(笑)
さらに余談ついでに、なかなかご紹介することもないと思いますので。
『モット・ザ・フープル』と言えば、この名曲。
※ デヴィッド・ボウイさんがモットに提供した「ボウイ節全開」な名曲。
で、もっとマニアックなことまで書かせていただきますと。
Oasisというバンドの名曲『Whatever』の下敷きになっているのは、この『All The Youg Dudes(すべての若き野郎ども)』と、ビートルズの『Octopus's Garden』なわけなのですが。
ノエル(眉毛兄)さんが「パクってますけど、何か?」を全開にして歌ってるライブ音源があります(笑)
『Whatever - All The Young Dudes - Octopus's Garden 』の順にメドレー形式で歌ってるライブ音源(俗にいう海賊盤ですね)もあるのですが(私は持ってます)残念ながらYouTubeにはUPされてないみたいで残念です。
なんの話でしたっけ?(笑)
虹の話でしたね(笑)
話を戻させていただきますと、現代の日本で暮らす人たちの大半は「虹はおめでたいもの(瑞兆)だ」と認識されておいでだと思います。
がしかし、同じ日本でも「昔は『虹は不吉なもの』とされた」と聞かされると、みなさんはどう思われますか?
信じられますか?
齊木さん「確かに、古代の日本では、虹は不吉なものとされていました。虹の語源は諸説ありますが、『万葉集』では、虹は『ヌジ』、平安時代初期の説話集『日本霊異記』では『ニジ』とあり、池や沼にいる主(ぬし)の語源と一緒という説があります。昔の人は、虹を恐ろしい霊物に例えていたのでしょう。
また、沖縄では、虹は『雨呑み者(アミヌミヤー)』と呼ばれる赤まだらの蛇だとされていました。このアメヌミヤーが天の泉の水を飲んでしまうため、下界に雨が降らなくなるという言い伝えがありました。すなわち、虹は干ばつの前触れと思われ、不吉なものとされていたのです」
もしも、古代の人を虹を眺めているあなたの隣に連れてくることが出来たのなら。
あなたが「キレイな虹だなぁ(良いことありそう)」と思ってるその横で、古代からやって来た人は「むむっ!なんと不吉な!災いが起こるかもしれぬ!」と思うことでしょう。
黒猫は不吉なのか?
※ 通りますよぉ〜っと?
同じようなことは「黒猫」にも言えます。
「黒猫が目の前を横切ると不吉なことが起こる!」と私は教えられました。
「あんなに可愛いのに、んなわきゃねぇだろ!」と思ったものです。
これはどうやら「西洋由来」の迷信が「輸入されたもの」であり、元来日本人は江戸時代あたりまで「黒猫=福猫」と考えていたようです。
西洋では「黒猫=魔女の使い魔」的な捉えられ方をしており、その迷信が明治あたりに日本に流れ込んで来たようですね。
※ そもそもの「魔女」も迷信と言えば迷信なのですが。
※ ふ〜ん、そうにゃのぉ?関係ニャいけどぉ〜?
映画『The Matrix』では、黒猫が主人公たちの視界を横切った時に「デジャヴュ」が発生し、それは「世界に何かしらの改編を加えた時に発生するサイン」として描写されていました。
また余談ですが。
「魔女」と「黒猫」の組み合わせと言えば?
私は、あのアニメの主題歌であるユーミンの「やさしさに包まれたなら」というのは「実によく『魔法の本質』を表している」と思っています。
小さい頃は 神様がいて
不思議に夢を 叶えてくれた
やさしい気持ちで目覚めた朝は
大人になっても 奇跡は起こるよ
カーテンを開いて 静かな木漏の
きっと目にうつる
すべてのことはメッセージ
小さい頃は神様がいて
毎日愛を 届けてくれた
心の奥にしまい忘れた
大切な箱 開くときはいま
雨上がりの庭で クチナシの香りの
きっと目にうつる
すべてのことはメッセージ
カーテンを開いて 静かな木漏れ日の
きっと目にうつる
すべてのことはメッセージ
作詞:荒井由実
作曲:荒井由実
まぁ、私に「最近こう思わせてくれること」が再び起こったからなのですが、余計に「やっぱ、そうだよなぁ」と思うのです。
意味を引き剥がす
さて。
これらのように
「同じ対象(現象)を見ていても、自分と他の人では、その『意味』をまったく違うものとして認識している」
ことは往往にしてあるものです。
※ 他にもたくさん「国や地域や時代によって、まったく違う意味を持つモノ」の例などは列挙することができるでしょう。
関係のないことばかり書いていたので「本来何を書こうとしていたのか?」を、すっかり忘れそうになってしまいました(笑)
最近、私は「不吉な場所シリーズ」として「キリスト教信者の立場からの視点」と思われる「支配者層とされる人々のための様々な建築物に込められた『オカルト的なシンボリズムの意味』を解説されている記事」を翻訳しご紹介させていただいております。
※ 「ペイガン(異教の)」という言葉が頻発するのを見る限り、これらの記事は「キリスト教的視点」から書かれているのは間違い無いでしょう。
「何かを暴く時」、あるいは「真摯に探求する時」と言い換えても良いのかもしれません。
そんな時には「真逆の立場からの考察や意見や情熱(のようなもの)」というのは、大変に有効なものだと思います。
なにせ「オカルト」とされるものは、本来的な意味では「隠されたもの」な訳です。
なぜに「隠される」のでしょうか?
それは「大事なモノだから」に他なりません。
「限られた選ばれし者たち」にしか、その秘密は開示されないはずのものです。
「それを理解でき、大切に受け継ぐことができる、優れた資格ある者」のみ手にすることができる「狭き門を潜り参入する、狭く細く曲がりくねった道の上に置かれた知恵」な訳です。
それをキリスト教的な視点から眺める時に「悪魔的」という「意味」が無駄に加えられます。
そして、それをそのまま「彼らは悪魔信仰をしているのだ!」と受け入れてしまっている人々が、現代日本には大変多くいらっしゃるように思えます。
※ 特に「陰謀論」やら、最近下火な「都市伝説」の界隈の人々は。
「黒猫は不吉な存在である」という「迷信」が日本に流れ込み、それが広がった時と同じ過ちを繰り返しているように私には感じられます。
まぁ、かと言って「彼ら」を擁護ばかりしようとも思いませんが。
私は私なりに「真理」を探求する上で、「彼らの信ずるとされる知恵」と多く出会って(そして吸収して)きましたので、そんな扱いしか受けていない「彼ら」に同情するところは、正直言って大いにあります。
「我慢できなかったんだろうなぁ」と同情しつつ「もうちょっと気長にやんねぇ?」とも思います。
そして「そんな切羽詰まってんの?」と、個人的には危機感も強くします。
いきなり全体像を語ったところで、それを信じない(理解しない)人が大半でしょう。
私も、ここまで色々と書かせていただいてきましたが、熱心に読んでくださっている方にどれぐらいお伝えできたのか...
正直、あまり良い手応えを感じてはいません。
※ 最近アクセス数伸び悩みの低空飛行状態なので。
まぁ、私の場合は「広告収入目的」な部分は、早い段階で諦めてる部分も大きいので、どうでも良いと言えば良いのですが。
それでも、こうやって「伝え続けていく」ことしか、私のような「何の立場にも、影響力もない人間」にできることは他にないわけなのですが。
※ 動画も作りたいのですが、何せノートPC購入しないと厳しく(笑)
「単語」は情報です。
「文章」も情報です。
「物語」も情報です。
ただし、単なる「情報を組み合わせただけのもの」のはずだった「文章」やら「物語」には「意味」を付け加えることができます。
文章や物語から意味を引き剥がしてください。
そして「意味を引き剥がして、そこに残った情報」をあなたの中で再構築してください。
「すべてを識った上で、そこから軽やかに離れる」には、そうするしかないのです。
※ 「離れる」というのは、実に「仏教的な実践方法」ではあります。
まぁ、Oasisが「過去の偉大なメロディーを再構築して自分のモノにした」みたいになるのが、そしてそれが「傑作になった」みたいなことになるのなら、それでいいのですけど、離れないでも(笑)
「本当の自分」とやらは「見つけるものではなくて創るもの」だとするならば。
どうせなら「最高の自分」のための材料にしてしまいましょう。
例えそれが「どんなものであれ」ですね。
「他人からどう思われていても」です。
何かに「意味を与えられるのはあなただけ」とも言えます。
また。
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