ようこそ、みなさん
今日は「集団心理」と「最近の話題」に関して。
※ ユングちゃんでぇ〜す。
BLMの展開
さて。
「ジョージ・フロイドさんの死」に関して、このような動画が出てきました。
30分と長くなっており、また悲惨な状況の一部始終が撮影されているので閲覧には注意をお願いいたします。
この事件は当初、次のような説明がされていました。
この事件は2020年5月25日、ミネソタ州ミネアポリスのダウンタウンの南にあるパウダーホーンでのフロイドの逮捕中に発生した。事件の顛末は同行していた友人らと数人の一般人が携帯電話で撮影した動画に記録されている[9]。警察は声明の中で、逮捕は車から降りるように命じられたフロイドが「物理的に抵抗した」後に行われたと説明したが、この主張は近くの防犯カメラ映像、および前述の一般人による動画の記録と食い違っている[10][2]。フロイドが繰り返し「息ができない(I can't breathe)」と言っている逮捕の録画動画は、ソーシャルメディア・プラットフォームで広く流布され、メディアによって放送された。関与した4人の警官は翌日に解雇となっている[11]。
連邦捜査局(FBI)は、ミネアポリス警察の要請に応じて、この事件に対する連邦公民権調査を実施。一方、ミネソタ刑事逮捕局(BCA)は、ミネソタ州法の違反の可能性があるかどうかを調査している[12]。
フロイドの死因については、遺族の要請を受けて検視が行われた。6月1日、検視の結果独立検視官らは窒息死と断定。外傷性の窒息の形跡はなく、冠状動脈疾患や高血圧が死亡につながった公算が大きいとされていたが、検視に当たったアレシア・ウィルソン医師は「形跡から死因は機械的窒息で、殺人による死亡と判断される」と表明。検視に立ち会ったマイケル・ベーデン医師もウィルソンの意見に同意するとした上で「フロイドに死亡原因となるような持病は見られなかった」と指摘した[13]。その後、検視官事務所によりフロイドには心臓疾患と直前の薬物使用の痕跡、新型コロナウイルスの感染が発表された[1]。
フロイドの死亡後26日に行われたミネアポリス-セントポール地域でのデモ活動は当初平穏なものであった。しかし、28日になると一部の参加者が暴徒と化し略奪や警察官への投石をはじめ、周辺地域では警察署の窓が割られる、複数の店舗が焼失する、他の店舗の物品が略奪されるなどの被害を受けた。また襲撃を受けた店舗のオーナーや自警団も暴徒と化したデモ隊へ発砲で応酬するなど現場は激化。警察もフラッシュバンや催涙ガス、ゴム弾をデモ隊に発射することで対応を開始した[14][15][16]。暴動や略奪暴徒と化した抗議デモに対して、共和党 (アメリカ)・民主党 (アメリカ)問わずアメリカ国民の過半数が軍隊による鎮圧を支持している。[17]
フロイドの死は、2014年のエリック・ガーナー窒息死事件と比較されている。ガーナーの事件では、ニューヨークの警察官が逮捕時に、11回も「息ができない」と叫ぶ丸腰の黒人に対して首絞めを行い続けた[6][18]。
事件の顛末は同行していた友人らと数人の一般人が携帯電話で撮影した動画に記録されている。警察は声明の中で、逮捕は車から降りるように命じられたフロイドが「物理的に抵抗した」後に行われたと説明したが、この主張は近くの防犯カメラ映像、および前述の一般人による動画の記録と食い違っている。
何をもって「物理的な抵抗」とされ、何をもって「食い違っているのか」の判断基準はわかりませんが、少なくとも私は「フロイドさんは物理的な抵抗はしている」と感じます。今回表に出てきた動画を視聴するに。
※ 今までは「地面に押さえつけられた状態」からの動画が出回っていました。
確かに、反応がなくなってからも警官が膝でフロイドさんの首を圧迫し続けているのは不適切な対応でしょうが、最初に「抵抗したので」という主張も筋が通る対応かもしれません。
何れにせよ不幸な事件ではありますが、この問題が広がるキッカケとなったのは「作られた(切り取られた)」映像から主張された内容を判断基準としていたことは間違いなさそうです。
最初に公開された動画(一般人撮影:Facebook Liveでストリーミングされた)から、この問題がどう広まっていったか(マスコミの報道姿勢など)は先ほどのwikipediaからご確認ください。
裏では「ジョージ・ソロスの関与」などの話もありますので、BLM運動自体が「仕組まれたもの」である可能性はかなり高いと思われます。
周庭さん逮捕
さて、次に。
「民主の女神」と呼ばれていた周庭さんが中国政府によって逮捕されました。
www.afpbb.comwww.newsweekjapan.jp
それもそのはずで、彼女は「CIAと関与していた」という疑惑もありますので、中国共産党にすれば「国家転覆を企てた一味」に所属している人物ではあるわけです。
当然、周庭さん自身は以前に噂について否定しています。
ツイッターには私に関するフェイクニュースが非常に多いと気付いて驚きました。周庭は実はCIAとか中国のエージェントとか、バカバカしい、そして面白いフェイクニュースが誰かに拡散されています。本当に私に抗議したいのなら、このようなレベルの低い手段ではなく、まともな議論をしてみたら?→
— Agnes Chow 周庭 (@chowtingagnes) 2020年1月3日
民主主義国家の一員である私たちからすれば、彼女のような「共産主義政府に抵抗する人物」は「味方側」に感じてしまうので、このニュースを聞いた時に「中共め!」と感じるのはしょうがないかもしれません。
日本でも増えるかもしれませんね。
「#FreeAgnes」というタグを使用する人が。
しかし、あくまで物事は相対的なものです。
実際、一連の「カラー革命」と呼ばれる中東諸国で起こった運動の裏にはCIAなどの関与があったのでしょう。
CIAというか、アメリカはずっと昔からそんなもんなのです。
「国際政治の裏側」というか「諜報機関の活動」とは複雑怪奇なものです。
詳しく書くと長くなるので、簡単にうわべを理解できるコチラの記事をお読みください。
「アメリカの敵」が「日本の敵」ではないことは覚えておかないといけないのだと思います。
戦後の長い時を経て、アメリカと日本は見かけ上「良き友人」になったのかもしれませんが、実質的には「日本はアメリカに従属しているだけ」なのかもしれません。
実際、この問題(日本の真の意味での独立)に関しては非常に長くなるのでここまで。
こういう問題を「対岸の火事」だと思っている人も多いかもしれませんが、ここ日本でも「様々なデモ」が最近行われています。
そこには「裏の狙い」はないのでしょうか?
ないとしても、それが「分断を加速させる」という結果をもたらすことを弁えないのでしょうか?
最近も「クラスターフェス」なるものが開催されていました。
ああいうやり方、私はなんか違うと思いますね。
例え「コロナの危険性が過剰に演出されたものだ」と、同じように思っているとしても。
「お金の流れ」を追えばハッキリしてくるものはあるのでしょうが、ああいうのをイチイチ調べててもキリがないので、多くの人に「構造」をご理解いただけるように発信をして行きたいと思います。
私は「陰謀論の裏側にあるもの」の研究はしてきましたし、それをみなさんにも見抜いていただけるようにはなってもらいたいです。
「目の前の出来事」にイチイチ反応してもらいたいとは思いません。
「抜ける人」が今以上に増えれば、そのうち揉め事すらも発生しなくなると思っています。
そして、穏やかに話しかけるだけで理解してくれる人も増えるはずだと。
こういう一連の問題(大衆運動)について考えたときに思い出す人物がいます。
未発見の自己
カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875年7月26日 - 1961年6月6日)は、スイスの精神科医・心理学者。ブロイラーに師事し深層心理について研究、分析心理学(ユング心理学)を創始した。
まぁ、私は高校時代にやたら心理学関係の本を読み漁ってる時代があった時に「心理学って、結局は文学的というかなんというか、個人の中の神話をサンプル的に集めて、それの平均求めようとしてることだな」と感じていました。
そこのところは過去にも引用させていただきましたが京極夏彦先生がズバリ書いてくださっています。
(関口)
「しかし心理学の方はどうなんだい?」
(京極堂)
「あれは文学の部類さ。共感できるものにのみ有効なんだ。科学の産んだ文学だ」 京極堂は愉快そうに笑った。 「心理学は民俗学と比較すると面白い。心理学は個人個人の患者からサムプルを採って一応は一般的な法則を導き出そうとするんだろう?民俗学は村やなんかの共同体から共通のサムプルを採って法則性を探る。しかし両方とも最終的には個人に還元されてしまう。文学的なんだな。柳田翁(やなぎだおう)の論文などは如何(いか)にも文学だ。名文すぎて論文らしくないじゃないか。心理学もいっそ文学者に和訳させて、小説として売ったほうがいいかもしれない。そうだ、君がやりたまえ」
「姑獲鳥の夏」P.33 より
「この世には不思議なことなど何もないのだよ」のお話:その2 - あなたがあなたの救世主
そんなユングさんですが、卓越した見解だなと思うこともたくさんあります。
「未発見の自己(The Undiscovered Self)」という本の内容の一部を抜粋しご紹介させていただきます。
「集団心理」に関する考察です。
自己の中にある有罪感や怒りを他人に投影し、他人を非難するという、この時代になってもたくさんの大人が使っている心理状態のことです。
そして、これは政府が警察国家を作るときに使われる数多くの理由の一つだとユングは述べています。
これは「個人の分析」ではなく、個人が集合し「大衆」という存在になったときの話です。
The Undiscovered Self
アナーキーな本能がそれ(恐怖)によって解き放たれるのではないかという恐れは、内外に明らかな安全装置が存在していることを見れば、非常に誇張された可能性である。何よりも、ほとんどの人には生まれつきの臆病さがあり、道徳や趣味の良さは言うまでもなく、最後に刑法が安全装置として存在する。
この恐怖は、意識の中に個性の最初の刺激を与えるのを助けるために、また、それらを効果的に実行に移すために、通常、人々にかかる莫大な努力に比べれば、何でもないことだ。そして、これらの個人の衝動が、あまりにも衝動的に、そして無思慮に突破してしまった場合、医師は、患者自身が近視眼的、冷酷さ、皮肉に頼る不器用な手段から、それらを守らなければならない。
弁証法的な議論が進むにつれて、これらの個々の衝動の評価が必要となるポイントに到達する。その時までに、患者は自分自身の洞察力と決断に基づいて行動することを可能にする判断力の十分な確実性を身につけているはずであり、慣習をコピーしたいという単なる願望からではない - たとえ彼が集団の意見に同意することがあったとしても。
彼が自分の足の上にしっかりと立っていない限り、いわゆる客観的な価値観は彼に何の利益もない。なぜなら、それらはその後、彼のキャラクターの代わりに役立つだけなので、彼の個性を抑制するのに役立つからである。
当然のことながら、社会には、無秩序な主観主義から身を守るための紛れもない権利があるが、社会自体が脱個人化された人間で構成されている以上、無慈悲な個人主義者のなすがままになっているのである。
好きなだけグループや組織に結束させればいい。
結束とその結果として個人の人格が消滅し、独裁者に簡単に屈してしまうのだ。100万個のゼロが一緒になっても、残念ながら1にはならない。最終的にはすべては個人の質にかかっているが、この致命的に近視眼的な時代は、大人数と大衆組織のことしか考えていない。
人は何かと集団に属したがるものです。
でも、そこに参加するとすぐに気づくものです。
いつの間にか「集団のルール」に「個人の考え」が乗っ取られることに。
そして、その「集団のリーダー」の意見がすべてを支配しだすことに。
ユングは続けます。
残念なことに、このような認識に対する我々の盲目は、非常に危険である。
人々は、最も強力な組織は、その指導者の最大の冷酷さと最も安っぽいスローガンによってのみ維持されうるという事実を全く意識することなく、大衆行動の主権的な救済策を信じて、あからさまに組織化していくのです。
政治家の綺麗事のスローガン(「美しい日本を取り戻す!」的な)に騙されて、すっかり信じ込んでしまう。
実際には、彼らは「真逆のこと」をやっているというのに。
さらにユングは続けます。
多くの人々が信じていることはもちろん真実でなければならず、多くの人々が望むことは、努力する価値があり、必要であり、それゆえに良いものでなければならない。多くの人が望むものは、努力する価値があり、必要なものであり、それゆえに良いものでなければなりません。
考えることも世話をすることも、すべて上から目線で行われ、すべての質問には答えがあり、必要なものはすべて用意されています。
大衆人間の幼児的な夢の状態は、この楽園のために誰がお金を払っているのかと問おうとは思わないほど非現実的である。勘定の均衡をとることは、より高い政治的または社会的権威に任されており、その権威はその仕事を歓迎している。
この種の社会的条件が大規模に展開されると、どこでも専制への道が開かれ、個人の自由は精神的・肉体的な奴隷制へと変貌します。それは、このようなタイプの社会状況が大規模に展開されると、専制政治への道が開かれ、個人の自由は精神的・肉体的な奴隷制に変わります。すべての専制政治は事実上不道徳で冷酷であるが、その方法の選択には、まだ個人を考慮に入れた制度よりもはるかに自由がある。
このような機関が組織化された国家と対立すると、その機関はすぐに、その道徳性が非常に現実的に不利であることに気づかされ、したがって、その相手と同じ方法を利用せざるを得ないと感じてしまう。このようにして、直接の感染は避けられたとしても、悪はほとんど必然的に広がっていくのである。
西洋世界のどこにでもあるように、大量の数字や統計値が決定的に重要視されているところでは、感染の危険性はより大きくなる。大衆の息苦しさは、新聞で毎日、何らかの形で私たちの目の前にさらされており、個人の無意味さが徹底的に彼に擦り込まれ、彼は自分の声を聞く希望をすべて失ってしまうのである。
自由(liberté,)、平等(égalité)、博愛(fraternité)の時代遅れの理想は、彼を全く助けない。彼はこの訴えを、大衆の代弁者である処刑人にのみ向けることができる。
組織化された大衆への抵抗は、大衆そのものと同じように、自分の個性が十分に組織化された人間によってのみ効果を発揮することができる。この命題は、現代人にはほとんど理解できないように聞こえるだろうと、私は十分に理解している。
いかがでしたでしょうか?
様々な出来事が起こっていますが、そろそろこういう本質的なことに気づくべきではないでしょうか?
そして、こういう知識に長けた集団によって我々がコントロールされている可能性があるということにも。
私たちは「林の中の象のように」ですね。
必要なのは「個人の質」です。
また。
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