ようこそ、みなさん。
みなさんは「象」さんはお好きですか?
パオォ〜ン?
象さんだぞぉ〜?
取り乱しました。
私は小学生の頃に「コックリさん」でこう宣言されました。
「あんた、前世は象っ!」と。
以来、象さんには親近感を抱いております。
ちなみに、その時に「あんた、将来〇〇高校には落ちるっ!」とも宣言されました。
合格してやりましたよ、ええ。
そんなもんです。
パオォォォォン!!!
孤独に歩め
「孤独に歩め 悪をなさず 求めるところは少なく 林の中の象のように」という言葉があります。
これは、押井守監督作品である「イノセンス」で使われ、一部アニメファンの間で有名になったのではないかと思います。
前作「攻殻機動隊」のラストで失踪してしまった素子(もとこ)が、3年ぶりにバトー(素子の面影を追い求めている)の前に現れた時に交わされたやり取りです。
(バトー)
「一つ聞かせてくれ。今の自分を幸福だと感じるか?」
(素子)
「…懐かしい価値観ね。少なくとも今の私に葛藤は存在しないわ。孤独に歩め。悪をなさず、求める所は少なく、」
(バトー)
「林の中の象の様に。」
素子と結ばれることなく、彼女の面影を抱いて生きている男に、その素子本人がこの言葉を投げかける。
残酷なようでもあり、そして優しいようでもあり。
世の中の独身男性(俺みたいな)には、特に響く言葉だったでしょう。
映画「イノセンス」のセリフは数々の引用から成り立っており、他にも
生死の去来するは棚頭の傀儡たり一線断ゆる時落落磊磊。
月菴宗光 『月庵和尚法語』
だったり
忘れねばこそ思い出さず候。
高尾太夫 (二代目) 『恋文(として伊達綱宗公へ宛てたもの)』
だったり
多くは覚悟でなく愚鈍と慣れでこれに耐える。
だったり
個体が創りあげたものもまた、その個体同様に遺伝子の表現型。
リチャード・ドーキンス 『延長された表現型―自然淘汰の単位としての遺伝子』
だったり。
多くの名言が満載の、かなり哲学的な(安易な例え)映画ですのでオススメです。
immigrantofthe150thyears.hatenablog.com
ダンマパダ
さて、話を「孤独に歩め 悪をなさず 求めるところは少なく 林の中の象のように」に戻しまして。
これは「法句経 - 23章330節(釈迦の言行録として残されたもの)」に残された言葉になります。
『法句経』(ほっくぎょう)、または『ダンマパダ』(巴: Dhammapada)は、仏典の一つで、仏教の教えを短い詩節の形(アフォリズム)で伝えた、韻文のみからなる経典である。「ダンマパダ」とは、パーリ語で「真理・法(巴: dhamma)の言葉(巴: pada)」という意味であり、伝統的漢訳である「法句」とも意味的に符合する[1]。
『法句経』の名称は、上座部仏教圏の『ダンマパダ』と同一系統の経典が北伝し、中国仏教にて漢訳された際の伝統的名称だが、近代以降の『ダンマパダ』の日本語訳(漢訳)名としても(「ダンマパダ」「真理のことば」等と並んで)用いられることがある[2]。
お釈迦様が話されていたと思われる言葉は「マガダ語」で、そのマガダ語に近い言葉が「パーリ語」だということで、「パーリ語経典」が一番お釈迦様の教え自体がダイレクトに残っているだろうと考えられているわけです。
「ダンマパダ」の23章は「象(=良き伴侶・友)」について説かれた章です。
この言葉には前後があります。
「パーリ語」を英語に翻訳してあるものを公開されているサイトを見つけました。
If you find an intelligent companion,
a fellow-traveler of pure actions and wise,
you should overcome all problems
and travel with him, delighted and mindful.Chapter 23: The Elephant 328 sace labhetha nipaka
If you do not find an intelligent companion,
a fellow-traveler of pure actions and wise,
like a king leaves behind the subdued kingdom,
you should travel alone, just like an elephant in the elephant-grove.Chapter 23: The Elephant 329 no ce labhetha nipaka
It is better to live alone; there is no companionship with a fool.
One should live alone, and commit no evil.
One should be content with little, like an elephant in the elephant-grove.Chapter 23: The Elephant 330 ekassa carita
もし思慮深く聡明である人を伴侶(友)として共に歩むことができるのならば、あらゆる危険困難に打ち克ち、こころ悦び、念い落ちつけ、ともに歩め。
もし思慮深く聡明である人を伴侶(友)として共に歩むことができぬならば、国を捨てた王のように、また林の中の象のように、独り歩め。
愚かな者を道伴れとせぬこと。独り歩むほうがよい。孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。
こんな感じでしょうか?
世の中には有名な先生による訳がたくさんありますので、自分なりに訳してみました。
「イノセンス」から入った人は、素子とバトーが「男女」であるので「伴侶」のことを「結婚相手」だと思ってしまう傾向があるのかもしれませんね。
「俺は一生独身でいい!」みたいな。
半分強がりです。(私の場合)
そもそも、まずは「男女の仲」であろうとも「友人同士」であるべきだと思います。
「最高の友達であり、最高のカップルである」的な。
人間同士なんですもの。
一番の基礎にあるのは「人と人としてどうか?」でしょう。
それにお釈迦様が言ってるのは「見つからなかった時」の場合です。
最初から「友達なんかいらない!」と開き直れということではありません。
もしも「孤独に歩め」の部分だけで受け取ってお釈迦様の本意を誤解している人がいたら、是非とも考え直していただきたいところです。
ま、私は友達すらいませんけども(笑)
スッタニパータ
『スッタニパータ』(巴: Sutta Nipāta)は、セイロン(スリランカ)に伝えられた、いわゆる南伝仏教のパーリ語経典の小部に収録された経典のこと。
「スッタ」(Sutta)はパーリ語で「経」の意[1]、「ニパータ」(Nipāta)は「集まり」の意、あわせて『経集』の意となり、『南伝大蔵経』のようなパーリ語経典日本語訳の漢訳題名でも、この名が採用されている[2]。
文字通り古い経を集めたものであり、その一部に対応する漢訳経典としては『義足経』(大正蔵198)がある[3]。第4章と第5章に対する註釈として、サーリプッタ(舎利弗)の作と伝承される同じく小部に収録されている『義釈』がある[4]。
ネットを「孤独に歩め」で検索していると、チラホラ「『犀の角』と取り違えて『象』になってるんじゃない?」的なものを見かけますが、これ違います。
『ダンマパダ』は初学者が学ぶ入門用テキストであるのに対し、『スッタニパータ』はかなり高度な内容を含んでいるため、必ずしも一般向けではない。
有名な「犀の角のようにただ独り歩め」というフレーズは、ニーチェにも影響を与えた[5]。
南方の上座部仏教圏では、この経典のなかに含まれる「慈経」、「宝経」、「勝利の経」などが、日常的に読誦されるお経として、一般にも親しまれている。
「ダンマパダ」と「スッタパニータ」
「初心者向け」と「高段者向け」
同じような「孤独に歩むこと」について語られたものでも、微妙に内容が違いがあるです。
こちらについては一気に書くととても長くなるので、またそのうち。
なんせ、ニーチェに影響与えたぐらいなもんですしね。
こちらのお話でも書きましたが、お釈迦さまは「相手に合わせて」語られる内容やレベルを変えられていましたしね。
「スッタパニータ」などに残されているものが、お釈迦さまの「俗世を超越されている」イメージを固定させたのだと思います。
一般人にゃ、まず真似するの無理。
そうそう、像と言えば。
私はグレゴリー・コルベール(Gregory Colbert)と言う写真家が好きです。
まただパオォ〜ン。
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