ようこそ、みなさん。
レバノンで発生した大爆発は、どうやらとてつもない被害をもたらしている様子です。
こちらの記事をご確認いただければ、地形まで変えてしまうほどの規模だったことがよく分かります。
地面を吹き飛ばしてしまうほどの爆発...
こちらの動画だと、爆発の衝撃波が地面まで破壊しているのが伝わるかと思います。
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「まるでこの世の終わり」
思わずそんなセリフが浮かんでしまうほどの大惨事です。
すべてのニュースに目を通したわけではないですが、きっと「黙示録的」やら「ハルマゲドン」やらの言葉が(主に海外ニュースのタイトルで)踊っていることでしょう。
それもそのはずで。
北緯33度線
以前にもお話ししましたが、北緯33度線上には「歴史の大きなターニングポイント」と関わりの深いであろう様々な場所が存在しており、その中のひとつに「最終戦争の地」とされる「メギド」があります。
「メギド」 32.58°N 35.18°E 黙示録の最終戦争「ハルマゲドン」の地。 ja.wikipedia.org ja.wikipedia.org
「北緯33度」を巡る旅 - あなたがあなたの救世主
そもそも中東の「あの一帯」というのは、まさに「聖書の地」ともいうべき土地なので、当然と言えば当然なのですが。
そして、今回の大爆発が発生したシリアの首都「ベイルート」も。
ベイルート(アラビア語: بيروت Bayrūt、英語: Beirut、フランス語: Beyrouth)は、レバノンの首都であり、ベイルート県の県都でもあり、同国最大の都市である。最近の国勢調査は行われていないが、2007年の推計では100万人以上から220万人となっており、ベイルート都市圏[1]の一部としてはレバント地域第3位、アラブ世界第15位の都市となっている。レバノンの地中海沿岸の中間地点にある半島に位置するベイルートは、地域の重要な港である。
ベイルートは世界で最も古い都市の一つであり、5,000年以上も前から人が住んでいた。ベイルートの最初の歴史的な言及は、紀元前15世紀のエジプト新王国からのアマルナ文書で発見されている。
ベイルートはレバノンの政府所在地であり、レバノン経済の中心的な役割を果たしており、ほとんどの銀行や企業は中央地区、バダロ、ヴェルダン通り、ハムラ、リヤド・エル・ソレ通り、アフラフィエに拠点を置いている。破壊的なレバノン内戦の後、ベイルートの文化的景観は大規模な復興を遂げた[2][3][4]。ベイルートは、会計、広告、銀行、金融、法律などの分野で評価され、グローバル化と世界都市研究ネットワークのベータ世界都市にランク付けされている。
厳密に言えば「北緯33度線上付近」に存在しているのです。
※ 34度近く。
とても古く、とても美しい街です。
生涯で一度は訪れてみたいと思っています。
そしてベイルートは「グローバル都市として評価されている」ということです。
そのような都市で、あのような大爆発が発生した。
私は「天罰を与える神」などに仕えるつもりはありませんが、それでも大きな「何か」を感じてしまいます。
「人類が最近まで進んできた『グローバル化』という道は、果たして本当に正しい道なのだろうか?」と、私たちが改めて問いかけ直すべきタイミングなのでしょうか。
そして...
歴史[編集]
18世紀まで[編集]
元々ベイルートは、フェニキア人によって、Beroth、つまり泉の街と名付けられた。
ベイルートは、長きにわたって東地中海の交易の中心地であり続けた。中世のほとんどは、アラブ最大の交易の中心地としての地位をアッコに譲っていたが、18世紀になると、ベイルートは、ダマスカスの支援を得て、アッコによる交易の独占を打破することに成功し、瞬く間にアッコに代わってこの地域の取引の中心地となった。
この結果、ベイルートは非常に国際色豊かな都市になり、ヨーロッパやアメリカ合衆国とも緊密な関係を持ち、欧米の宣教師の布教活動の中心地にもなっていった。彼らは市民を改宗させるという意味では大きな成功を収めることはなかったが、彼らによって様々な教育機関・制度が構築されることになった。その一つの例がアメリカの宣教師が設立したシリア・プロテスタント大学であり、同校は、その後ベイルート・アメリカン大学になった。
どうでもいいですけど「アッコ」と聞くと、どうしても「和田」が浮かんでしまいますね。
「リズム&暴力」こと「和田・あの頃は・アキコ(ハッ)」
※ 有吉のアダ名でも最上級に秀逸なのが「リズム&暴力」
ちゃうちゃう、こんな話ちゃう。
そう。
フェニキア人
みなさんも耳にされたことはあるでしょうし、世界史好きな方はロマンしか感じておられないかもしれません。
フェニキア(古代ギリシャ語: Φοινίκη、Phoiníkē、ポイニーケー、羅: Phoenices、Poeni、ポエニ、英: Phoenicia)は、古代の地中海東岸に位置した歴史的地域名。シリアの一角であり、北は現シリアのタルトゥースのあたりから、南はパレスチナのカルメル山に至る海岸沿いの南北に細長い地域であって、およそ現在のレバノンの領域にあたる。
名称
フェニキア人という名称は自称ではなく、ギリシア人による呼称である。ギリシア人は、交易などを目的に東から来た人々をこう呼んだ[1]。フェニキアという名称は、フェニキア人の居住地がギリシャ語で Φοινίκη (Phoiníkē; ポイニケー)と呼ばれたことに由来している。その語源は不明であり、フェニキアがミュレックス(en)と呼ばれる貝から取れる紫色の染料(貝紫)を特産としていたことから、「紫色」(または「緋色」)という意味のギリシア語を語源とする説も存在する。今日でも南部のサイーダなどの町中でこの貝殻の山を見ることができる[2]。フェニキア人の母体となったとされるカナンという呼称も、アッカド語で染料を意味するキナッフに由来する[3]。
自らを「我らはフェニキア人なり!」と名乗ったわけでなく、ギリシア人が「お前ら、ポイニケーに住んでるからフェニキア人な」と呼んでいたから「フェニキア人」
フェニキア人の勢力範囲は
<a href="//commons.wikimedia.org/w/index.php?title=User:MalkiShamash&action=edit&redlink=1" class="new" title="User:MalkiShamash (page does not exist)">MalkiShamash</a> - <span class="int-own-work" lang="ja">投稿者自身による作品</span>, CC 表示-継承 4.0, リンクによる
上の地図(白い部分が海:灰色の部分が大地)で黄色く塗りつぶされた範囲です。
個人的な話ですが、こういう「飛び飛び」に領土がある国家って、なんかイメージしにくいです。
日本も「島国」だし、沖縄とかは遠いしで、似たようなものかもしれませんけど。
それでも「メインとなる部分」(本州)が独立して存在していて、その周辺に衛星のように領土が存在するのは分かります。
まさに日本はこのパターンです。
※ インドネシアとかもこのパターンで認識してます。
または大陸上で、ある程度「ドーン!」と領土が存在してて、複数の国家が土地を分け合ってるのも分かります。
※ ヨーロッパとかね。
でも、この地図で示されているような「国家のあり方」がイメージしにくいです。
と、今この瞬間まで思ってたのですが。
「あ、瀬戸内地方みたいなもんか?」と思えばイメージできることに気づきました。
「瀬戸内地方が独立国家形成した」と思えばいいですね。
そんなことで自己解決しましたが、何れにせよ、彼らは「海洋民族」であり、高い海洋航海技術を所有していたことは間違いないでしょう。
そして「優れた商人」でもあったのです。
交易
フェニキア人は優れた商人であり、その繁栄は海上交易に支えられていた。紀元前8世紀には、ティルスは地中海方面からメソポタミア、アラビア半島に至る交易ネットワークのハブとなっていた。貝紫とレバノンスギがフェニキア本土の特産品であり、この地域の都市国家の成立と繁栄を支えた。また、タルテッソス(イベリア半島)の銀をオリエントに持ちこむ航路はフェニキア人が独占していた。紀元前13世紀から紀元前12世紀にかけて海の民によって東地中海が荒廃するが、フェニキアの都市は難民を受け入れつつ拡大し、西方へ進出する[6]。
紀元前11世紀にはテュロスはイスラエル王のダビデと友好関係を結び、紀元前10世紀にテュロス王のヒラムはイスラエル王のソロモンと共同で紅海の貿易に進出する[7]。紀元前9世紀にはテュロスを中心にフェニキアの貿易網が栄え、その様子は旧約聖書のエゼキエル書に記されている[8]。ギリシア人のホメロスは、叙事詩『イリアス』や『オデュッセイア』でフェニキア人を船を操る商人や職人の集団として表現した[9]。
功績
ヘロドトスの『歴史』によれば、紀元前600年ごろ、エジプトのファラオネコ2世の命を受けたフェニキア人は、紅海から出港し、喜望峰を経て、時計回りにアフリカ大陸を一周し、3年目にエジプトに帰ってきたという[10]。バルトロメウ・ディアスが喜望峰を「発見」する2000年以上前のことである。フェニキア人は極めて優れた航海術を有していたのである。
何れにせよ「ベイルート」を中心とし、「北緯33度線」の両沿岸を領土とする「一大海洋国家」が存在していたわけですね
フェニックス
奇妙な偶然の一致なのか?
面白いことに、アメリカはアリゾナ州に存在する「フェニックス」という街も「北緯33度線上に」存在しています。
「フェニックス」という街は、先住民の文明の跡に建設された町であるため「灰から復活する不死鳥」になぞらえて名付けられたそうです。
フェニックスまたはフェニクス(古代ギリシア語: φοῖνιξ、ギリシア語: phoenix(古: ポイニクス、近現代: フィニクス)、英語: phoenix(フィーニクス))は、死んでも蘇ることで永遠の時を生きるといわれる伝説上の鳥である。
寿命を迎えると、自ら薪から燃え上がる炎に飛び込んで死ぬが、再び蘇るとされており、不死鳥、もしくは見た目または伝承から火の鳥ともいわれる。
フェニックスとはラテン語での呼び方であり、ギリシア語ではポイニクスと呼ばれる[1]。この名前は、ギリシア語の赤を意味する単語(赤はすなわち炎の色)に由来する[2]とも、同じく紫を意味する単語(フェニックスの羽の色を紫色とする説がある)に由来する[1]ともいわれている。
フェニキア人が「ポイケニー」で、フェニックスは「ポイニクス」という、どちらもギリシア語をルーツに持ちます。
「不死鳥フェニックス」のことだけでも長くなるのでこの辺りまでで。
暗号通貨「フェニックス」
都市伝説界隈で囁かれる噂に、こういうものがあります。
「30年前のエコノミスト誌がビットコインの登場を予言していた!」と。
当時の記事を転載してくれてる海外ブログを見つけましたので、翻訳してみたいと思います。
The Economist: "Get Ready For A World Currency By 2018"
フェニックスの準備をする
1988年1月9日、Vol.306、9-10頁
今から30年後、アメリカ人、日本人、ヨーロッパ人、そして他の多くの豊かな国の人々、そして比較的貧しい国の人々は、おそらく同じ通貨で買い物をするようになっているだろう。価格はドルや円、Dマークではなく、例えばフェニックスで表示されるでしょう。フェニックスは、今日の各国通貨よりも便利なので、企業や買い物客に好まれることになるだろう。
1988年の初めには、これは突飛な予測のように見える。5年前、10年前には、最終的な通貨同盟の提案が盛んに行われていたが、1987年のような失敗はほとんど想定していなかった。大国の政府は、より管理の行き届いた為替レート制度に向けて、1~2インチの動きをしようとしていました。しかし、基本的な経済政策での協調性を欠いていたために、彼らはそれを大失敗させ、10月の株式市場の暴落をもたらした金利の上昇を引き起こしたのです。これらの出来事は、為替レート改革者を懲らしめてしまった。市場の暴落は、政策協力のふりをすることは、何もないよりも悪いことであり、本当の協力が可能になるまで(つまり、政府が経済的主権を放棄するまで)、通貨を固定化しようとするさらなる試みは失敗に終わるだろうということを教えてくれた。
The new world economy
世界の金融市場が絶え間なく統合された結果、各国の経済政策の違いが金利(または将来の金利の期待値)をわずかに乱すだけであっても、ある国から別の国への莫大な金融資産の移転を呼び起こすことになりました。これらの移転は、異なる通貨の需要と供給に影響を与え、為替レートにも影響を与えるという点で、貿易収入の流れに影響を与えています。通信技術の進歩に伴い、これらの取引はさらに安価で高速なものになるだろう。協調性のない経済政策では、通貨はより不安定になるばかりです。
これらすべての方法で、国家間の経済的な境界線はゆっくりと解消されつつある。この傾向が続けば、少なくとも主要先進国をまたいだ通貨同盟の魅力は、為替トレーダーと政府以外の誰にとってもたまらないものになるだろう。フェニックス・ゾーンでは、相対価格の変動に対する経済調整は、現在のように大規模経済圏内の異なる地域間でスムーズかつ自動的に行われることになるだろう(74~75 ページの簡単な説明でその方法が説明されている)。
不死鳥地帯は、各国政府に厳しい制約を課すことになる。例えば、国の金融政策などというものは存在しないだろう。世界の不死鳥の供給は、おそらく IMF から派生した新しい中央銀行によって固定されることになるでしょう。世界のインフレ率(したがって、狭い範囲内では各国のインフレ率)はその担当となるでしょう。各国は一時的な需要の落ち込みを税金や公共支出で補うことができるが、財政赤字を補うためにはお金を刷るのではなく借金をしなければならない。インフレ税に頼らなければ、政府やその債権者は、現在よりも慎重に借入や融資の計画を判断せざるを得なくなるだろう。これは経済主権の大きな喪失を意味するが、不死鳥を魅力的にさせる動向は、いずれにせよその主権を奪っていくことになる。多かれ少なかれ変動する為替レートの世界でも、個々の政府は、非友好的な外部の世界によって政策の独立性がチェックされているのを見てきた。
次の世紀が近づくにつれ、世界を経済統合へと押し進めようとしている自然の力は、政府に幅広い選択肢を提供することになるだろう。流れに乗るか、バリケードを築くか。不死鳥への道を準備するということは、政策上の合意を装うことを減らし、現実的な合意を増やすことを意味する。それは、既存の国のお金と並んで国際的なお金の民間部門の使用を許可し、それから積極的に推進することを意味する。そうすることで、人々は最終的に完全な通貨統合への移行に向けて、自分の財布で投票することができるようになります。不死鳥は、現在の特別引出権のように、各国通貨のカクテルとして始まるだろう。しかし、そのうちに、フェニックスは、その利便性と購買力の安定性で選ばれるようになり、国の通貨に対する価値は重要ではなくなっていくだろう。
政策決定の自律性を維持するための代替案は、貿易と資本の流れに対する真にドローン的な規制の新たな拡散を伴うことになるだろう。このコースは、政府に素晴らしい時間を提供している。政府は為替レートの変動を管理し、金融・財政政策を抑制することなく展開し、その結果として生じるインフレの爆発に物価・所得政策で取り組むことができるのです。これは成長を阻害する見通しである。2018年前後の不死鳥を鉛筆で描き、それが来たら歓迎しましょう。
いかがでしたでしょうか?
今から30年前の記事です。
素晴らしい先見の明がある記者だったのか?
何かしらの計画の事前通告だったのか?
それはわかりません。
ただ私たちが暮らす現代社会は、このような世界に向かって前進しつつあるのは事実でしょう。
後出しジャンケンみたいなこと書きますが、私はある程度昔からこういうことを知っていたので、ビットコインが登場した時(話題になった時、じゃなくて)から「ピーン!」ときてました。
「これ(ビットコイン)ってば、あの時の記事のやつじゃね?」と。
お金に興味なかったので買いませんでしたが、数年後に激しく後悔することになりました(笑)
ただ、今回の爆発事故を見て思うのです。
こうなるはずだった未来がありました。
計画されているのか、自然にそうなりつつあったのか。
それはわかりませんが、確かにこういう「方向性」で世界は進んできました。
不死鳥は燃えた灰から蘇ると言います。
それは「新しい姿に」です。
北緯33度線上に存在するベイルートの爆発を「一つの象徴的な出来事」だと捉えると、そこから新たに立ち上るモノの姿は何になるのでしょうか?
グローバル化に邁進せんとする世界がありました。
その世界は終わりを告げたような気もします。
少なくとも、一部の「気づいている」人たちの中では。
そんな気がするのは私だけでしょうか?
また。
追記.2020/08/16
こんなニュースも。
また小型核疑惑が高まるのかな?
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