ようこそ、みなさん。
今日は「人身攻撃法」について。
※ 私は廃墟好き。
先日の記事で「人身攻撃」についてご紹介しました。
01. Ad Hominem(人身攻撃)
主張に基づく推論を行うよりも、人またはそのキャラクターを攻撃する。名前を呼ぶこと、レッテルを貼ること、攻撃的であることを含み、知性的な考えをほとんど示さない。
例) 「菜食主義者は料理の心得を知らない。蓼食う虫も食う虫だ」 (訳注) ある主張に対して「論理そのもの」ではなく、その「論理を言っている人(そのものや人格)」を攻撃する方法。人格攻撃にレッテル貼り。
「ただの人格攻撃ですよね?レッテル貼りですよね?」で片付く話ではあるが、これが意外と効果を発揮する場合もある。
論理的誤謬論集:議論に負けない30の方法 - あなたがあなたの救世主
人身攻撃(ラテン語: ad hominem、argumentum ad hominem)は、ある論証や事実の主張に対して、その主張自体に具体的に反論するのではなく、主張した人の個性や信念を攻撃すること、またそのような論法[1]。論点をすりかえる作用をもたらす。人格攻撃論法ともいわれる[1]。論理性や合理性を持って判断するクリティカル・シンキングにおける論理的な誤りである誤謬のひとつ[1]。
先日の記事の中でも書きましたが、これは「議論においてやっちゃダメ」(議論の内容において負けるの確定するから)の一例ですが。
しかし、「議論を聞いてる人たちがどう判断するか?」(議論の内容を第三者がどう評価するか?)を左右させるには大きな力を発揮するようです。
モンタナ州立大学の研究で、面白い結果が出ています。
journals.plos.org※ 長いので今回は翻訳しませんが、興味のある方はコチラからどうぞ。
500人の学生が対象に「架空の科学者の論文」を評価してもらうという実験です。
※ その後、200名の一般人を対象にした追試でも確認されている。
その際に、次の3つのパターンの情報を論文に付け加えています。
1. 論文の内容には触れない、単なる研究者の自己紹介情報
2. 研究者の属性(過去の失敗や学歴の低さ)を批判する情報
3. 論文の甘さ(実験デザインの甘さ)を指摘する情報
これによって、「論文に対する評価」がどのように変わるのかが調べられました。
その結果として
- 研究者の「学歴の低さ」や「性格のだらしなさ」は、特に論文の評価に影響を与えなかった
- しかし、「過去の失態」(不正やデータ改ざんなど)や「利益相反」(製薬会社から賄賂を受け取ったなど)について書かれている場合は、それが事実であるかかどうかにかかわらず、論文の評価は著しく低下した
ということが判明しました。
つまり、それが不確かな情報であろうとも「相手の人格などを貶す情報」を付け加えた場合、「相手の主張する内容」の評価を下げることができるというわけです。
例えば
某「〇〇〇をぶっ壊〜す!」でお馴染みの人物が採用している戦略がコレです。
「不倫カー〇〇〇」だの、一部職員のスキャンダラスな部分を強調することで多くの国民の支持を獲得しましたよね?
本来の「〇〇〇の業務内容」だとか「〇〇〇の正当性」だとかは、もはや二の次なのです。
議論の場において相手が「人身攻撃法」を利用してきた場合、ある程度対処することは簡単でしょう。
※ あくまで「論理の正当性を競い合う」ことにおいては
「あなたが行なっているのは人身攻撃で、それは議論の内容には関係ありません」という姿勢を貫けばいいだけです。
ただし「その議論の聴衆がどのように結果を判断するか?」は自分でコントロールすることが難しくなってしまいます。
人間は、この調査の結果が示すように「このような情報(過去の失態などを批判する情報)に流されやすい生き物」なのです。
例え、それが「捏造であろうとも」です。
ここからは悪用しないでもらいたい話になります。
もしも私がどうしても「議論している相手に勝ちたい」という気持ちだったらば。
「議論の内容は負けてもいい!とにかく聴衆の印象を自分有利にしたい!」と、まずは自分の戦略を変更するでしょう。
※ 結果的に「自分の言い分」を正しいと評価してもらうことにも繋がる可能性あり。
議論の場が「ネット上のコメント欄」などだったりするとしましょう。
※ 自分をAさん、相手をBさんとします。
複数のアカウントを用意します。
※ C、D、Eなど
「自分(複数のアカウント)」は「相手の人格などを貶すコメント(捏造や空想でも問題なし)」を書き込むことに終始します。
※ Aさんを褒めるようなコメントをするとより効果的かもしれません。
「主となるアカウント(議論しているアカウント)」は「論理的な議論」を行い、「その他のアカウントたち」は「人身攻撃に特化」させてもいいでしょう。
どうなるでしょう?
「その議論を見ている人」は、おそらくこう考えるでしょう。
「CさんやDさんやEさんはAさんの意見に賛同している」
「Bさんは何やら人格的に評価できなさそうな人物だ」
「Bさんの意見は評価できなさそうだ」
「Bさんと反対の意見を述べているAさんは信用できそうだ」
「Bさんの意見は間違っている」
結果的に「Aさん(私)の意見」は多くの人の評価を得ることになります。
このやり方で「Bさん自身に間違いを認めさせる」ことは難しいかもしれません。
ただ、「Bさん本人の心にダメージを与える」ことは可能かもしれません。
実際、こういう「やらせ」はネット中に溢れているでしょうし、なんなら現実でも(国会とか)繰り広げられているでしょう。
「正しいことを言う人が必ずしも報われるわけではない」という現実の仕組みは、こういう心理作用の結果なのでしょう。
こういう現実に絶望感が広まり「政治はAIに任せよう!」というような声が高まっているのかもしれません。
ただいくら「AI任せ」にしようとも、最終的にAIを運用するのも人間です。
「AI任せ」は根本的な解決にはならないでしょう。
「人間の心の仕組み」を理解し、キチンと「議論の内容そのもの」を判断できる人が増えてくれることを願うばかりです。
人間が常に「仮想敵」を求めるのも、こういう仕組みだと思います。
悲しいかな、まだ「人間の知性」はこのような段階なのでしょう。
現実にせよ架空にせよ、この世界から「争い」がなくなるわけないのです。
こんなことばかりやってるから。
悪用すれば、ある意味で「最強の攻撃法」にも使える「人身攻撃」というテクニックのお話でした。
haruka nakamura / Lamp feat.Nujabes
www.youtube.com※ ああ、鎌倉行きたい。鎌倉大好き。
また。
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