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「対機説法」と「憑物落としの流儀」のお話

Hatena Feedly

 

ようこそ、みなさん。

 

なんとなく気が抜けてるので、今日はボロボロになるかもしれません。(笑)

※ 「いつもだろ?」という声が聞こえてこないでもないです。

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「対機説法」

「対機説法」について

みなさんは「対機説法」をご存知でしょうか?

 

対機説法」とは

 

仏陀が教えを説示する場合,その相手の精神的能力 (→機根 ) や性質などに応じてそれにふさわしい手段で説法することをいう。比喩的な表現として「応病与薬」というのと同じ意味である。

対機説法(たいきせっぽう)とは - コトバンク より

 

ということです。

 

お釈迦様が人に教えを説かれる時には「その人に合った」話し方で教えを説かれたということですね。

 

凄まじく現代的な例えをすると「超有能な個別指導塾の先生」みたいなことです。

 

生徒の学習の進捗度や理解度に合わせて、適切な表現でわかりやすく教えようとしてくれる先生。

 

まして、教えようとしているのは「この世の究極の真理」とも呼べるもの。

 

そりゃいきなり頭ごなしに「これこれこういうことだから!よろしく!」って教えを解いても、周りは「ポカ〜ン?」でしょうね。(笑)

 

ジャングルの中でゴリラさん見つけて、手話も教えないうちから「これ!パソコン!ググって!」って言い出すぐらいに無理があります。


今すぐググって!ピザ注文して!ピザーラお届けっ!

 

そりゃ無理だ。

 

ちょっと「スリランカ上座仏教テーラワーダ仏教)」の日本支部である「日本テーラワーダ仏教協会」のHPから「対機説法の効用」について引用させていただきます。

 

医者が薬を処方するように 

 

お釈迦さまは、人々が抱えている苦しみや問題を解決するために「対機説法」という方法を用いて法を説かれました。

対機説法とは何でしょうか。ある宗派の中には「対機説法は相手に合わせて適当に喋っているだけだから、たいしたことない」と言って対機説法を軽視する人たちもいるようですが、こういう人たちは仏教を深く理解していませんし、対機説法の本当の意味を知らないのです。

対機説法とは、相手の性格や能力、素質に応じて、相手が理解できるように法を説くことで、これはちょうど医者が病人に的確な薬を処方するのに似ています。

風邪をひいている人には風邪薬を、胃の調子が悪い人には胃薬を、頭が痛い人には頭痛薬を与えるように、お釈迦さまは出会う人々の性格や能力、素質に応じて、その人の問題が解決するように的確に教えを説かれたのです。そうすると、聞く側は自分の問題の解決法を具体的に教えてくれるのだから、目も耳も自動的に開き、わずかにでもよそみをしようとせず、お釈迦さまの言葉一語一語にじっと耳を傾けて聞くのです。

対機説法というのは苦しみの特効薬です。相手が実際に直面している苦しみ、悩み、落ち込んでどうしようもなくなっている問題を解決するために法を説くことが、対機説法なのです。

ですからこれは一人ひとりにとって最適の説法です。聞く人は確実に理解できますし、また問題を解決するために実践しようともします。したがって、対機説法は聞く人とって100%役に立つ最上の特効薬なのです。

対機説法は最上の特効薬 | 日本テーラワーダ仏教協会 より

 

100%役立つ」かどうかは、正直わかりません。

 ※ 医者にも「ヤブ医者」ってのがいますしね。

 

ただ、それなりに腕の立つ人が行うのなら、すごく効果的でしょう。

※ 「真理」はたまに凄まじい拒絶反応を起こすかもですが。

 

そして、これは「相手の顔を見ながら」しかできないのです。

 

私たちは「情報空間」という場所で、今までとは違う形で繋がれるようになりました。

 

ビデオ通話などしながらであれば、「ほぼ」現実で会って話してるのと変わりありません。

 

それでもやはり「肉体を持って、空間を共有する」ということには敵いません。

※ 「ミラーニューロンの話」とか「内観を繋げる話」とかはまた別に。

 

それならブッダにきいてみよう: 合冊版1

それならブッダにきいてみよう: 瞑想実践編3

ブッダに学ぶ ほんとうの禅語

※ 「上座仏教」もだいぶポップになったもんだ。

 

お釈迦様も最初は失敗から

 

さて、みなさんは疑問に思われたことはないでしょうか?

 

お釈迦様って、あんな難しい教えを誰に最初に説いたのかな?」って。

 

お釈迦様は悟りを開いたあと、やはりしばらく迷われていたそうです。

 

こんなん...誰に説けばわかってもらえるねん...」と。

 

そりゃそうでしょうね。

 

難しすぎるもんね。

 

初期の仏典(マハー・ワッガなど)には、なんと「梵天」が「お釈迦はん!あんたさんなぁ?そないに素晴らしいもんをみんなに説かへんともったいないでっせ!」と説得したという伝説まであります。

※ 「梵天勧請

 

そんなこんなで、お釈迦様はかつての二人の師匠(アーラーラ・カーラーマウッダカ・ラーマプッタ)に教えを説こうと思い立ちますが、なんと二人はすでに死去していることを知ります。

※ 「説こう!」というよりは「聞いてもらって意見を聞かせてもらおう。」ぐらいの感覚だったと思いますけどね。

 

そうなったら仕方ありません。

 

せや!かつての修行仲間(五比丘)なら理解してくれるかもしれへん!」と思いたったお釈迦様。

 

「ヴァーラーナスィー」という場所に向けて旅を始めます。

 

のちに「対機説法」という方法論を獲得されたお釈迦様ですが、最初は失敗からスタートされているそうです。

 

この時のエピソードをわかりやすく解説されているHPがありましたので、またそちらから引用させていただこうと思います。

 

エピソード(中阿含経卷第56-204「羅摩経」)

道を行くお釈迦さんを見て、ウパカさんが声をかけました。

「あなたは他の修行者と比べて、なんだか雰囲気が違いますね。あなたの師は誰ですか? どのような法を信じているのですか?」

「いえ……。法を信じるというのであれば、私は全ての法に執着していません。敢えて言うのであれば、それは自ずから気づいたのです。ですので、師匠と呼べる人はいません。

等しいものもなく、勝るものもなく、自ずからこの上ない悟りに気づきました。

あるがままの全てが教えてくれていて、その力は隅々にまで行き渡っていることを知りました」

「つまり……、自分が勝(まさ)っていると?」

「勝るとはあるがままであるということ。そういう垢(よごれ)が落ちたことをいうのですよ。そういった法の障害となるという意味では、勝るといえるかもしれませんが」

「(あなたの話は)……、一体どこにいこうとしているのですか?」

「私はヴァーラーナシーの方へ向かっている所です。未だに表現しようがない所ではありますが、法が伝わればと思っています」

「ははは……、そうだといいですね~」
ウパカさんはそう言いながら、元来た道を歩いていきました。 
 

 

はい、お釈迦様、撃沈。

 

完全スルー食らいましたぁ〜。

 

これじゃ「法を説いた!」ってことにならないので、この時の会話はカウントされていません。

※ ウパカさんは、のちにお釈迦様に帰依し出家しています。

 

もう少し引用させていただきたいと思います。

 

説法と言えば、お釈迦さんの説法の仕方は、対機説法であると言われています。
 
対機説法とは、例えば、お医者さんは患者さんを診断して、病気に応じた薬を処方します。それと同じように、お釈迦さんはその人を見て、それに応じて法を説いていました。
 
私達一人一人、素質、能力、立場や思想、問題意識など、それぞれ人によって異なります。お釈迦さんは、それらに応じて、臨機応変に法の説き方を変えていたわけです。
 
それがお釈迦さんの説法の基本的なスタイルですが、しかし、初転法輪に関してはそれが当てはまりません。
 
四諦八正道が、後々、理論立てされた仏教の教義として残っているように、問われたわけでもなく、最初からしっかりと理論立てた話をしています。
 
どうしてそうなったのか?
 
それは初転法輪と呼ばれるサールナートでの説法の前に起った出来事、ウパカさんに対する説法の失敗があったからこそだと私は思うのです。
 
お釈迦さんは説法することに対して、最初は非常に消極的でした。説法するかどうかで葛藤し、次は、誰に伝えるかどうか、ということでも思い悩みました。
 
そして、ようやく決意して向かったのが、約300km離れたサールナートにいる人達です。誰でもよいのであれば、他にも近くにたくさん人がいたはずです。
 
あの5人ならば伝わるかも……
 
決意とは裏腹に、やはり相当、人に伝えられる自信が無かったのだと思い
ます。
 
そんな思いで歩いている所に、ウパカさんとの出会いがありました。
 
ウパカさんの問いに応じて、自分の思うように話をした結果、「そうだといいですね~」と相手にされない始末。
 
そこからサールナートへと向かう道中の想いを想像すると、なんだかいたたまれない気持ちになってきます。
 
しかしまた、この失敗がお釈迦さんに、どのように伝えるか、考えに考え抜くきっかけを与えたくれたのだと思います。
 
ひょっとしたら、この失敗がなければ、今では初転法輪として残る有名な話が、ウパカさんとのやり取りのような結果になっていたかもしれません。
 
この失敗があったからこそ初転法輪と言う形で後世に残るほどの説法につながったのだと思います。むしろ、初転法輪を語る上では、今回のエピソードは欠かせません。
 
本来、成功と失敗は切っても切れない。そういうものなのではないでしょうか。
 

 

私もそう思います。

 

最近失敗続きですが、「お釈迦様だって失敗したし!」と思うと、だいぶ心が楽になります。(笑)

最近何かで「失敗しちゃったなぁ〜...」と思われている方は、「お釈迦様だって!」と思われてみてはいかがでしょうか?

※ あんまり思いすぎてもダメでしょうけどね。(笑)

 

ja.wikipedia.org

 

 「釈迦は何語で語ったか?」問題

 

さて、現代の日本に住む私たちが「仏教」と聞いて思い浮かべるのは「お経」であるか「お坊さんの説教」か「お葬式」か「」かではないでしょうか?

 

ありがたい仏様の教え」であるはずの「お経」を聞いても「ハンニャーハーラーミーター」であったり「カンジーザイボーサー」であったり。

 

何語なん?なんて言ってるん?わっからへん!」となります。

 

ちなみに、私は九州人ですが、十数年東京に住みましたし、数年は大阪に住んでいましたので、たまにエセ関西弁が出ますが気にしないでください。

 

大阪は南の方(河内弁圏内)に住んでいましたので、どえりゃ〜キツイ関西弁かもしれません。

※ でも謎の名古屋方面の方言。

 

仏教の大まかな歴史」もいつか語らせていただくかもですが、今日はとりあえず簡潔に。

 

お釈迦様は「マガダ語」という言葉を話されていた可能性が高いそうです。

※ お釈迦様は「マガダ国の属国の王子様」だったので。

 

で、「マガダ語」と「パーリ語」がかなり近いと考えられているので、インドネシアに残る「仏教(南伝上座仏教)の経典」が「最もお釈迦様自身が話されていた言葉に近い形で教えが伝わっている。」と考えられているわけです。

 

サンスクリット語」というのは「優美に飾られた言葉」と考えられているようです。

 

サンスクリットとの差異

文語・雅語であるサンスクリット梵語)と比べると、俗語であるパーリ語は、例えば「息子」、 「(梵) putra」 が 「(巴) putta」 となるように子音の同化が目立ち、また「刹那」、「(梵) kṣaṇa」 が 「(巴) khaṇa 」のような変化も見られる。しかし、パーリ語は他のプラークリットと比べると総じて音韻的・構造的な崩れが少なく、プラークリットの中では最もサンスクリットに近い[1]。名詞、動詞の組織は基本的にはサンスクリットと同じである。ただ名詞では格の融合、動詞では態の区別、過去時制の区別が明確ではない。さらに構文は、一般に定動詞表現が中心であり、語順が一定して動詞が文末に来る。語彙は時にサンスクリットより古い形を持つ。例えば「ここに」は 「(梵) iha」 より古形の 「(巴) idha」 となっている。

パーリ語 - Wikipedia より

 

そんなわけで、「サンスクリット語に翻訳されて、さらに中国に伝わり、音写されたお経」を聞いていても、ちっとも「お釈迦様の教え」を私たちが理解できないのはしょうがないわけです。

 

もはやただの「呪文」です。

※ 呪文は呪文で、効果があるとは思いますけどね。

 

言葉は私たちの内宇宙を規定するコードである。」というのは私の基本的な考え方ですが、 そんなわけで、できるだけ「お釈迦様が話していた言葉」を「現代日本語訳」したものを読むことが必要だと思います。

※ 「お釈迦様自身の考え」を知りたい人はね。

 

今度は「天理大学」さんのHPにある資料から少し引用させていただきます。

 

釈迦が説法に用いた「ことば」は、当時の布教地であるガンジス河中流域のマガダ地方(現在のビハール州周辺)の言語、古代マガダ語であったと推測されている。ヴァルナによる身分制度に基づく社会的秩序を説くバラモン教の聖職者が、一般の人々には全く理解できないサンスクリット語で火の儀礼を行っていたのとは対照的に、釈迦は、プラークリット(自然言語という、一般の人々が話していた民俗語を用いた。彼は日常の「ことば」で法を説き、人々を導いていった。徹底した平等主義と明快な論理で貫かれたその「ことば」は、当時の人々には、異次元の神聖なもの、威厳と権威に満ちたものというよりは、貴賤の隔てなく、心の憂いや現実的な苦しみや悲しみという人生の闇を照らす一筋の光明となったに違いない。

https://www.tenri-u.ac.jp/topics/oyaken/q3tncs00001lui8a-att/GT224-HP-page6.pdf より

 

また

 

時にヤメール、テークラと名づける二人の兄弟の比丘があった。バラモンの生まれで、ことば使いも良く、聲も美しかった。(中略)かれら比丘は世尊に次のように述べた。「尊師よ、今や比丘らは名を異にし、姓を異にし、生まれを異にし、族を異にして出家しました。かれらは自己のことばによって佛語を汚しています。尊師よ、願わくはわれら佛語をヴェーダ語に轉じたく存じます」... 佛陀は比丘らに言った。「比丘らよ、佛語をヴェーダ語に轉じてはならない。轉ずるものは悪作に堕する。比丘らよ、わたしは自己のことばによって佛語を習うことを許します」と。(前田、1975: 95)このように、「自己のことばによって」という記述から、サンガ内においてはそれぞれの母語を自由に用いることが認められていたことがわかる。さらに「佛語」、つまり、釈迦の教説をそれぞれの母語において学習することも許されていた。釈迦がそれらをあえて統一することはなかったようである。ただ、ヴェーダ語で教えを学び、説くことは強く戒めていた。釈迦は、バラモン階級を最高位とする身分制度儀礼中心の信仰活動を批判するとともに、一般の人々を救済対象としていたので、ヴェーダ語によって自らの教えが限定されることを危惧していたようだ。

https://www.tenri-u.ac.jp/topics/oyaken/q3tncs00001mqxyh-att/GT226HP-narita.pdf より

 

ともあります。

 

当時の「カースト最上位」である「バラモン」(知識層・支配層)の「独占的知識」になることを危惧され、その教えを「大衆に解き放とうとした」と言うことです。

 

仏教」は権威化し、もちろんヒエラルキー構造も発生しました。

 

しかし、オリジネーターである「仏陀」はそれを嫌ったのです。

 

このあたりの感性というか、姿勢が、一匹狼的な私の感性を刺激します。

尊敬するのです。

 

その人に合った言葉で」ということの重要性は、何も「その人のレベルに合わせて」ということだけに留まらず、「その人が一番理解しやすい言葉で」ということでもあるのです。

 

「憑物落としの流儀」

 

 さて、やっと2つ目のテーマにたどり着きました。

 

みなさんは「京極夏彦」という作家をご存知でしょうか?

 

ブックオフの100円コーナーで売っている、やたら分厚い小説書く人です。

 

あまりに分厚いので、これで頭叩いたらかなりのダメージを相手に与えることができるであろうと想像することは容易です。

※ ダメ、絶対。

 

私はスリ潰れるぐらいに読み返すので、ブックオフに売る人の気がしれません。

※ でも、お陰様でいつも100円で買わせてもらっています。

 

正直な話、京極作品を読んでもらえば、私が語ろうとしていることの50%以上は書いてあります。(笑)

 

小説の主人公である「中禅寺秋彦」は「陰陽師」で「古本屋の店主」で「憑物落とし」もたまにする「神社の神主」です。

 

ここで言う「憑物落とし」とは、「相手の信念体系に最も有効的な言葉」でもって「相手の妄念を払い落とす」的なことになります。

 

科学者には科学の言葉を。

 

医者には医学の言葉を。

 

禅匠には禅の言葉を。

 

儒者には儒学の言葉を。

 

そのような「流儀」で「憑物落とし」を行うのが主人公のスタイルです。

 

京極夏彦 / 姑獲鳥の夏

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

推理小説とジャンル分けされています。

 

特に、これらの作品群は私の愛読書です。

 

姑獲鳥の夏』(心理学について)
魍魎の匣』(肉体と精神の関係について)
狂骨の夢』(真言立川流と男女和合について)
鉄鼠の檻』(仏教の歴史と禅について)
絡新婦の理』(ユダヤ教カバラなどについて)
塗仏の宴 宴の支度』(様々な東洋思想などについて)
塗仏の宴 宴の始末』(「完璧なるゲーム」について)
陰摩羅鬼の瑕』(儒教儒学について)

 

さてさて、随分と長くなってまいりました。

 

思いつきで、今書かないといけないなと思ったばかりに。

 

「つばき、葉おちて露となる。何ぞ」。

 

さて、ここで問題です。

 

江戸時代の言葉遊びですが、みなさんはこの答えわかりますか?

 

少し考えてみてください。

 

正解は...

 

」です。

あまりに美しい。

松岡正剛さんの書評から引用させていただきます。

 

 もっと美しいものでは「つばき、葉おちて露となる。何ぞ」。「つばき」から葉が落ちたのだから、「つき」。それが「露となる」のだから「つ」が「ゆ」になって「雪」。答えは雪だが、これが椿、葉、露、雪というふうに雪月花するのだ。なんとも溜息が出る。

1000ya.isis.ne.jp より

 

藤原誠一 / かさねの作法

かさねの作法: 日本文化を読みかえる

 

 こちらの本も長く愛読している一冊になります。

 

「かさねる」「くずす・やつす」「もじる・もどく」「あそぶ・たわける」「まねる・うつす」「うがつ・からかう」「譬(たと)える・見立(みた)てる」

 

日本文化と日本語」の、あまりの関係性の奥深さに、私も眩暈を覚えます。

 

 このような奥深さを知りもせずに、やれ「言霊」だの、やれ「〇〇文字」だの

と、「現在の日本語の基本となっているもの(古文とか漢文)」すらも理解せずに、何やら神秘的なものに縋ろうとする気持ちが理解できません。

※ まぁ、その辺りもそのうち。

 

 正直なところ、私も「古文・漢文」になると、どうしても「現代語訳」したものに頼ってしまいます。

 

もののあはれ」を「もののあはれ』そのもの」で感じる力がありません。

※ 「臨場感に欠ける」と言えます。


もっと学生時代に真面目にやっときゃよかった。

 

明治維新」と呼ばれている一連の出来事以来、私たちは「西洋文化」を積極的に取り入れてきました。

 

当然、日本語になかった言葉を翻訳する必要にも迫られました。

 

情報」という言葉が「森鴎外」によって作られたように、当時のエリートたちが多くの言葉を新しく産み出しました。

 

普段私たちは意識しませんが、きっと江戸時代に生きた人には通じない言葉を羅列しながら現代の私たちは生きています。

 

まして室町時代鎌倉時代の人と、意思疎通できるのか怪しいものです。

 

言葉は時代によって変化し続けています。

 

私の考えでは、現代の日本人は「西洋と東洋が渾然一体となった、何かまったく新しい文化」を生きているのだと思います。

 

そんなわけで「釈迦の悟り」を語ろうとする時に「分析哲学」や「数学」や「コンピューターサイエンス」や「心理学」やらの「言葉」で説明されたものが一番理解できるのではなかろうか?と思うのです。

 

烏滸がましい話ですが、「釈迦の悟ったであろうこと」を「現代的に翻訳できないものだろうか?」と言うのが私の願いでもあるのです。

 

まぁ、京極夏彦氏の「鉄鼠の檻」を読んでいただくのが一番早いとも思いますが。(笑)

 

 その人に合わせた言葉で。

 

その時代に合わせた言葉で。

 

私にはできないかもしれませんが、みなさまが「そのような流儀で」語る人に巡り会われることを願います。

 

しかし、自分で書いておいてなんなんですけど、読み返してみると「なんでそことそこが繋がってんの?お前の頭の中で?」と思うことがあります。

 

自分の中では筋道が通った考え方なんですけどね。

 

巨大な情報空間の迷路の中で、私はひとりぼっちな迷子の気もします。

※ ちょっとロマンチック風味。

 

 

Alejandro Franov / Micerino Tema

youtu.be※ そしてここでなぜか「アルゼンチン音響派」の曲を。大好き。

 

 

 また。

 

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