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聖なる男女 - 「Syzygy(シュジュギュイ、シュジュギー、シジジー)」の話

Hatena Feedly

f:id:kazzhirock:20200918163613p:plain

 

ようこそ、みなさん。

 

本日は、ほとんどの人が聞いたことのないであろう「Syzygy」について。

はじめに

先日は「ルシファー信仰」について簡単に書かせていただきました。

kazzhirock.hatenablog.jp

その中で

そこで、このような世界であることの原因を「現世はそもそも『悪の創造主(デミウルゴス)』によって創造されたもの」であると考えます。

※ 「遡って過去が決まる」の話です

「ルシファー信仰」の話 - 「グノーシス主義」や「悪魔崇拝」へ続く出発点として - あなたがあなたの救世主 

と書かせていただきましたが、ここで登場した「デミウルゴス」について、とても上手くまとまっている(在野の?)哲学者の方のサイトがあるので、そちらは翻訳させていただきながら「デミウルゴスについて掘り下げよう」と思っていたのですが。

 

で・す・が。

 

そこで出てきたのが「Syzygy」という言葉でした。

 

私は「なぁ〜んとなく」ではありますがこの言葉を知っていましたので、そこそこすんなりと書いてあることの内容の上辺を撫でることぐらいはできたのですが、やはり「深く理解」するために、この「Syzygy」という「概念」自体をお話しといたほうがいいなぁと思いまして。

「Syzygy」とは?

そもそも「コレだ!」という決定的な日本語表記が定まっていません。

 

そもそも、外国語と日本語は「発音が違う」という当たり前の原則があります。

 

その「本来なら日本語の発音にない音」を無影やり「音写する時」に「ズレ」が生じます。

※ 「V」を「ブイ」とするか「ヴィー」とするか的な。

 

それで「より多くの人に定着した方が」日本語で一般的に使われる言葉(表記)になるのが常でしょう。

 

そんなわけで「Syzygy」みたいな「どマイナーな言葉」は、そもそもそんなに日本語の会話において使用されることもないでしょうから「決定版日本語訳表記」的なものも存在していないのでしょう。

 

前置きが長くなりましたが、今の所「シュジュギュイ」「シュジュギー」「シジジー(シジジィー)」などで検索すると「Syzygy」のことを語っている文章にヒットします。

 

そんなわけで、日本語wikiも見当たりませんので、先ずは英語版のwikiを翻訳させていただく所から。

ウィキペディアより

Syzygy /ˈsɪzɪdʒi/ (ギリシャ語 Συζυγία「接続詞、結びつけられたもの」から)

次のことを指す場合があります。

科学
  • Syzygy(天文学):三つの天体が連なった状態
  • Syzygy(数学): モジュールの発生器間の線形関係
  • Syzygy(生物学):染色体交換
  • チェスエンジンで使用されるSyzygyの終盤用テーブルベース
哲学
  • ウラジーミル・ソロヴィヨフ(Vladimir Solovyov)の哲学における「緊密な結合」を意味する概念。

  • エロス(概念)のように「反対の結合」を意味するためにカール・ユングによって使用される用語 

  • グノーシス主義の概念において「アイオーン(Aeon)」として知られる「『神の発散』としての『男女のペア』のこと」

Syzygy - Wikipedia より

本日のお話は「哲学的なこと」と「グノーシス的なこと」と「心理学的なこと」の方ですので「科学」の方は取り上げませんが。

 

それでも「科学用語」が「哲学由来」というのも面白いですね。

※ 当たり前っちゃ当たり前なんですが。

 

 さて。

 

発生順序」を考える時、「グノーシス主義」が発生したのは「1世紀に生まれ、3から4世紀にかけて地中海地方を中心に勢力を誇った」と考えられていますので、当然のことながら「グノーシス主義で見出され、それと同じような概念をユングも近代になり使用した」と考えがちですが、どうやらそうでもないようです。
※ 「グノーシス以前」から「概念は存在していた」ってことね。

 

そもそも、私は「人間は『発明』はしない。ただ『発見』するだけだ」と考えているタイプです。

 

もともと「自然の中に存在しているもの」を、ただ「発見」するだけ。

 

発明」とされるものも、ただ「その自然の中にもともとあったものを組み合わせているだけ」なので、人の手が加わっているものですら「自然のうち」だと思います。

※ もちろん、人間も「自然のうち」です。

 

まぁ、「『発見』したものを『組み合わせること』が『発明』じゃろがい!」と言われたら「す、すんません...」と言うしかないかもしれませんが(笑)

 

と、いうわけで「Syzygy的なもの」というのは、どの時点からかはわかりませんが「人間がはるか昔から薄々気づいていたけど、うまく言語化されてなかったに過ぎないもの」なのだと思います。

 

今のことろ「Syzygy的なもの」が初めて言葉にされたのは「プラトン」まで遡ることができそうです。

※ 「言葉にすることで概念はこの世界に取り出される」的な。

プラトンの「饗宴」

ソクラテスさんのお弟子さんであり「実は一冊の本も残していないらしいソクラテスさんのことが『偉大な哲学者』として後世に伝えられたのは、プラトンさんが頑張ってお師匠様の言葉を書き残したからなのだ!」で有名なプラトンさん。

ja.wikipedia.orgja.wikipedia.orgそんなプラトンさんの著書の中に「饗宴(きょうえん)」というものが存在しています。

饗宴』(きょうえん、古希ΣυμπόσιονシュンポシオンSymposium)は、プラトンの中期対話篇の1つ。副題は「エロースἔρως、erōs)について

饗宴 - Wikipedia より

 その中に「アリストパネスの演説」というくだりが存在しています。

  • 世人はエロースの威力を全く理解していない、エロースは人間の最大の友、助力者、苦悩の医者である。
  • 原始時代の人間は男と女と男女(両性具有)の三種があり、それらはいずれも背中合わせで二体一身(男男、女女、男女)だった。
  • 彼らは力も気概も強く神々に挑戦したので、ゼウスによって半分に切られ、顔の向きも反対にされた、その切断面の絞り痕(あと)がヘソである。
  • こうして半身としての我々人間は互いに求め合うようになり、そのかつての完全体に対する憧憬と追求がエロースと呼ばれているものである。
  • したがって、この神に従っていれば、本来の自分に戻れる最良の愛人を見出すことができる。

という主旨の喜劇詩人らしい演説を行う。

饗宴 - Wikipedia より

まぁ、この頃は「割と普通に、こういう風に考えられていた」のだと思います。

※ 「同性愛」にも寛容だったというか、そういう文化だったし。

饗宴 (岩波文庫)

ここで「プラトンの名言」をいくつか

  • 幸福になりたいというこの願望とこの愛とは万人に共通なものであり、またすべての人は善きものを永遠に所有することを願う。

 

  • 本質と存在の融合が最高度に実現されるのは、まさに愛を通してのみである。

 

  • 愛に触れると誰でも詩人になる。

  • 正しい恋の道とは、まずこの地上の美しい事物を踏み段にしながら、究極的には真の美なるものを目指して向上することである。 

- プラトン

グノーシス主義」において

グノーシス派の教義において現れる「Syzygy」は、錬金術における「相反物」「ペアを組む(一対をなす)もの」を示します。

 

欠損のある自己がそれを補って完全なものになる」という意味で、東洋的に言えば「陰陽の一対」を指す言葉になるでしょうか?

 

中世錬金術師たちが「賢者の石」を獲得することで目指した「最終段階」であり、「神秘的な王と王妃の結婚」であり、「男性性と女性性の統合」でもあります。

 

グノーシス主義においての意味合い」について、「アイオーン(Aeon)」と「神の発散」のことをもう少しだけ詳しく。

アイオーン古代ギリシャ語αἰώνラテン文字転写aiōn、 ラテン語aeonまたはæon、 英語aeon又はeon)とは、古代ギリシア語である期間の時間を指し、時代世紀、人の生涯というような意味である。ラテン語の Saeculum やサンスクリットの kalpa(कल्प; 漢訳では「劫波」)がこれに似た意味を持つ。

アイオーンは、紀元2世紀より5世紀頃にかけて、ローマ帝国内やその辺境地域で興隆した、グノーシス主義における高次の、あるいは超越的な圏界を示す意味で使用されたので、宗教学的・思想的にはこの意味でよく知られている。

アイオーン - Wikipedia より

グノーシス主義におけるアイオーンは、高次の霊または霊的な階梯圏域で、アイオーンこそは「真の神」で、ユダヤ教キリスト教などが信仰している神は、「偽の神」である。またアイオーンは複数が存在し、プレーローマ英語版と呼ばれる超永遠世界にあって、男性アイオーンと女性アイオーンが対になって「両性具有」状態を実現している。

紀元2世紀の大ウァレンティノスと呼ばれるグノーシスの思想家の高弟であるプトレマイオスの説では、プレーローマには、男女を一対として、四対、合計八体の至高アイオーンが存在するとされる。それらは、オグドアス英語版(8個の集まり)とも呼ばれ、次のようなアイオーンで構成される。

  • プロパトール - 伴侶:エンノイア(思考
  • ヌース -伴侶:アレーテイア(真理
  • ロゴス - 伴侶:ゾーエー(生命
  • アントローポス - 伴侶:エクレシア(教会

伴侶は女性アイオーンである。アイオーンの筆頭に来るのは「プロパトール」であるが、この名は「先在の父」とも訳され、超越性の更に超越性にあるとされる。プロパトールとは何かは、人間は無論のこと至高アイオーンであるオグドアスのアイオーンもまた、それを知ることはなかったとされる。プロパトールは、ビュトス(深淵)の名でも呼ばれる。またオグドアスはプレーローマの中心であるが、そのなかにあって更に上位の四アイオーンは、テトラクテュス英語版(4個の集まり)と称する。

グノーシス主義では、新プラトン主義プロティノスの考えを取り入れ、流出説を提唱した。ウァレンティノス派では、原初、先在の父(プロパトール)が唯一存在し、プロパトールは流出によって諸アイオーンを創造したとされる。

アイオーン - Wikipedia より

 と、まぁこのようなものです。

 

グノーシス神話」において「アイオーンたち」は「Syzygy」という行為を通して「細分化したり、離散したり、増殖したり、再融合したり」しながら活動しているというわけです。

 

それが「神の発散」であると。

ユングの元型象徴」において

以前にコチラの記事でユングさんについては書かせていただきました。

kazzhirock.hatenablog.jpそんなユングさんですが、ユングさんは

分析心理学創始者であるスイス精神医学カール・グスタフ・ユングは、グノーシス主義の研究者でもあったが、人間の完全性を、プラトーンと同様に、精神的な両性具有性の実現にあるとした。また、4が神聖数であることを見出したのであり、オグドアスは、両性具有の実現と、四対のアイオーンの構成する超宇宙として、元型における完全象徴の具象化と考えた。

アイオーン - Wikipedia より

 そうなんです。

 

グノーシス主義の研究者」でもあったのです。

 

そんなわけで、ユングさんは「人間性の完成」を「精神的な両性具有性の実現」としました。

 

ユングによると「人間は8つのタイプに分かれる」とされます。

 

エネルギーの方向性」という観点から「外交的/内向的」の二つに大きく分けた上で、「機能」という観点から「思考型/感情型」(合理的機能)と「感覚型/直感型」(非合理的機能)の4つを掛け合わせ「8つの類型」に分けています。

 

それらは以下の通りです。

  1. 外向的思考タイプ
  2. 内向的思考タイプ
  3. 外向的感情タイプ
  4. 内向的感情タイプ
  5. 外向的感覚タイプ
  6. 内向的感覚タイプ
  7. 外向的直感タイプ
  8. 内向的直感タイプ

ただしこれらのどれか1つに当てはまるというわけではなく「いずれの人もこの8つの機能を持っているが、発達しているものと未発達なものとが混在するのが一般的である」とされます。発達している機能を「主機能」、未発達な機能を「劣等機能」と呼びます。

※ これも詳しく語ると長くなるので、またそのうち。

「愛情乞食」と「Syzygy」

今回、これらのことを改めて調べていて、ユング派の心理学者である「秋山さと子」さんの著作を知りました。

 

こちらもごく簡単にご紹介させていただきたいと思います。

 

秋山さんは、心理学的に「SYZYGY」に対して「愛情乞食」という対立概念も提示されています。

 

愛情乞食」たちの愛は「社交的で集団的で獲得的。恋人ならばいつも自分のことを思っていてほしいし、いつも一緒に行動したがるような」タイプ。

※ 個人的には「愛を請う人たち」と呼びたいところです。

 

これに対して「SYZYGY」はすでに「自己完結的なのであまり他者の存在を必要としない」タイプ。

 

基本的にひとりでいるのが好きなので恋愛や友情もどこか淡泊に受け止められますが、決して冷たいわけではなくて、優しさを示すとき、その優しさはむしろ純粋で見返りを求めるようなものではない」のだそうです。

 


また、「性格の本」という著書の中では山越龍美さんが「『SYZYGYである』ということは、生まれながらにして自己完結型であるか、あるいは、まだ男女に明確に別れていない幼児性を残していること。これに対して『愛情乞食』は、情緒的にはより自然で、人間としては大人であるとも言える」と記されているそうです。

聖なる男女

秋山さんの本はどれも面白そうです。

ユング心理学へのいざない―内なる世界への旅

自分という宇宙

悟りの分析―仏教とユング心理学の接点 (PHP文庫)

※ まぁ、ちょっとこれには言いたいことがありますが(笑)

占いとユング心理学―偶然の一致はなぜ起こるのか

ユングとオカルト (講談社現代新書)

まぁ、個人的に「心理学関係」の本はかなり読み漁りましたし、前にも少し書きましたが、個人的にはこう思っています。

「心理学は民俗学と比較すると面白い。心理学は個人個人の患者からサムプルを採って一応は一般的な法則を導き出そうとするんだろう?民俗学は村やなんかの共同体から共通のサムプルを採って法則性を探る。しかし両方とも最終的には個人に還元されてしまう。文学的なんだな。柳田翁(やなぎだおう)の論文などは如何(いか)にも文学だ。名文すぎて論文らしくないじゃないか。心理学もいっそ文学者に和訳させて、小説として売ったほうがいいかもしれない。そうだ、君がやりたまえ」

姑獲鳥の夏」P.33 より

「この世には不思議なことなど何もないのだよ」のお話:その2 - あなたがあなたの救世主

だからこそ「神話」という「物語」が絶大な力を発揮するわけですが、そこのあたりのお話もまたそのうち。

 

私たちは「物語の世界」を生きています。

 

それが「他人の書いたもの」なのか「自分で書いたものなのか」の違いはありますが。

最後に

男女」というのが「わかりやすい対比」なので、例に出しましたが、何も「性差」だけが「Syzygy」だとは思いません。

 

ここからは個人的な話です。

 

私の場合、どう考えても「Syzygyなタイプ」の人間です(笑)

 

一匹狼気取りの自由大好き人間。

 

でも、他の方のブログによると「Syzugyな人」の特徴は「孤独で傷つきやすく、頼りとするところは『現実に存在する/しない』に関わらず、母の胸しかないといったタイプ」だそうです(笑)

 

ザコンみたいですが、実際そうだと思います。

※ 「私は」ですね。「他のSyzygyな人のこと」はわかりません。

 

実際、私も「ナウシカ」のお話で、こんな風に書いてました。

私は男なので、死ぬときは女性の胸に抱かれながら安心して死にたい気持ちというのはよくわかります。

腐海が放つ瘴気はコロナウイルスなのか? - 「風の谷のナウシカ」と「コロナウイルス」と #一生に一度は、映画館でジブリを。 - あなたがあなたの救世主

  だから、この表現は正確ではなかったわけですね。

 

「私はSyzygyな男なので」と書くべきでした(笑)

 

なので「Syzygyだから他者は求めないの?」って話になると「人間はそう簡単には行きません」と答えるしかないでしょう。

 

ユングも言ってますが「Syzygyなの」は、あくまで「一部分」なのです。

 

それがいくら「発達した部分」であろうとも、必ずと言っていいほど「未発達な部分」というものが存在しています。

 

どんなに「統合された人」であろうとも、それでもやはり「他者」を求めます。

 

それが「神の発散」なのかもしれません。

 

この世界、全てが「神としか呼べないような何かしら」であるのなら、この世界での出来事は「神自身」が「細分化したり、離散したり、増殖したり、再融合したり」しながら「ダンスを踊っているだけ」なのかもしれませんね。

 

また。

 

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