【雑記】夜空を見上げながら
ようこそ、みなさん。
夜空、見上げてますか?
先日、ある方と「夜空を見上げること」について短くやり取りをさせていただきました。
そこで共通して再確認したのは「一体感」についてです。
何との?
まぁ、普通は「宇宙との」ということになるのですが、少なくとも私の場合は「言葉にならない何かしらとの」一体感だと思っています。
「零れ落ちそうなほどの」とか
「満天の」とか
「まるで宇宙の中に浮かんでいるような」とか
様々な「星空の様子の例え」というのはありますが、やはり言葉というのは不自由なものですので、どうしてもあの感覚「そのもの」を伝えきれるものではありません。
私がこれまでの人生の中で見た星空で、1番美しかったのは「福島県で見た星空」なのですが、あれほど美しい星空を私に見せてくれた土地にその後起こった出来事に、とてもやるせない気持ちになったものです。
ある時期、私は「写真を撮ること」に少し凝り出したことがあります。
※ iPhoneで、ですけど笑
ある日、旅先での思いつきで「iPhoneでどこまで星空をキレイに撮れるのか確かめてみよう!」となりまして。
ちょうど長野県にいたので「ここなら空気もキレイだし、山の方行けば撮れるっしょ!」と「美ヶ原」という標高2000mクラスの高原へ向かいました。
舐めていました。
防寒対策、ナシ。
テント、ナシ。
寝袋、ナシ。
宿の予約、ナシ。
山小屋、満員。
死ぬかと思いました。笑
しかしながら、圧倒的に素晴らしい星空を見ることができました。
一晩中、歯をガタガタさせながらですが。笑
今、私はとても美しい星空を見たいです。
いつもは独りでしたので、そろそろ「誰か」と見たいと思っています。
思い返せば、子供の頃。
友達たちと山の中でキャンプをしながら、地面に寝転んで星空を眺めていた記憶が蘇ります。
「あ!流れ星だ!」
「あれ?あれUFOじゃね?」
「人間て死んじゃったらどうなるのかなぁ?」
「怖くなるからやめて!」
などなど。
みんなでワイワイと語り明かしたものです。
大人になった今、とても話の合う人とそんな話をしながら、いつのまにか眠りについてしまえたら。
どんなに幸せなことかと思います。
これから、特に空気も澄んでくるので美しい星空に出会えることでしょう。
私たちは星の子です。
それを思い出してみるのも、いいかもしれません。
また。
【雑記】未来から届いたプレゼント
ようこそ、みなさん。
「いきなりどうした?」と思われかねないタイトルをつけてみました。
ここ数日の間(詳しくは書けないのですが)「とてもステキな出来事の連続」でした。
「人生で初めての経験」というものもいくつか経験させてもらうことができましたし、それらの中には「想像すらしたことないもの」も含まれていました。
正確に言うのならば「こんなことが俺の人生で起きたらいいなぁ」とは思ったことがあるけれど、同時に「そんなことは起こりっこないよなぁ」とも思っていたことなわけですが。
不思議といえば「とても不思議なこと」と言えることもいくつか起こりました。
偶然かといえば「必然と呼んでもいいかもしれないようなこと」もありました。
大袈裟かもしれませんが「これまでの私の人生を基準に考えると」まさに「奇跡的」なことばかりの日々でした。
思い返せば「これには何か意味があるのでは?」と感じてしまっても仕方ないような「ドラマチックな出来事」というのは、私の人生の中でも何度かは起こったことがありますし、それらが「最終的に上手く行ったか?」と自問自答すれば「決してうまくは行っていない」と答えざるを得ません。
「何をもって完成とするか?」であったり、「どの時点の状態をもってして成功とするか?」であったりは様々な解釈ができるとは思うのですが、少なくとも「過去に起こった奇跡たち」は消え去ってしまっていますし、私は私で「また起こってほしい」とは思っていないものに意味を変えてしまっています。
※ 「今回の奇跡のようなこと」は起こり続けてほしいですし「そのようなことの先にある未来」に住んでいたいとは思います。
そのようなわけで、今回起こった「奇跡的なことの連続」に関しても、あまりドラマチックに解釈しすぎることなく「極めて冷静に」捉えようとはしているのですが、考えれば考えるほど「ある意味」があるように思えて仕方がないのです。
そもそも、そのように「特別な意味付け」をしてしまうのも、先日から少しお話させていただいている「時間は未来から過去に流れているとするのが正解なのでは?」という「私の視点の変化」があるからこそなのですが。
※ そもそも、この「視点の変化」自体がとんでもないことだと思います。
「奇跡的な出来事が連続した日々に起こったことの一例」をお話させていただく前に、もう少し正確に「時間が未来から過去に流れている」ということのお話をさせていただきたいと思います。
私は正確には「『今、この瞬間』に『古い今』の消滅と『新しい今』の発生が同時に重なり合いながら起こっている」と感じるようになってきました。
「プランク時間」というものが存在しています。
プランク時間は、真空中において光がプランク長に等しい距離を通過するのに必要な時間である。 ビッグバンが起きてから1 tP 以内のことをプランク時代という。 従って、プランク長は、この時代の終末の宇宙の大きさといえる。
「『時間』を短く区切って行った時に『もうこれ以上無理っ!』ってとこまで区切った長さ」だと思ってください。
そんなわけで、より正確に言い表そうとすれば
「『過去/今』と『今、この瞬間』と『今/未来』という3tPのユニット状態」を「今」とするようになりました。
※ 意味わかんないですよね?笑
「『過去(観測によって確定)』と『過去/今・今・今/未来』と『未来(未観測故に無限)』で3tPのユニット」なのかもしれません。
※ ますます意味不明ですね?笑
まぁ、これは「完全な仮説」でありますし、ここら辺りは「なんとなくそうかも?」程度に受け止めてもらえればありがたいです。
※ また詳しく書きます。
とにかく、このような「今」の解釈で考えてみると、これを「現在の私たちが捉えやすくなるであろう考えられる表現」は「時間は未来から過去に流れている」となります。
さて、こんな風に考えるようになった人間が書いてるだけのことですし、何も「実証」されているわけのことではありません。
「ソースは?」と聞かれても「醤油じゃないやつ?」と答えるしか(そういう意味じゃない)
「実証されてないからありませんけど?」としか答えることができませんので、単なる私の妄想である可能性も非常に高いかもしれません。
なので、個人的な「実験をすること」にしました。
「奇跡的な出来事」の中には、私が「普段だったら絶対に選ばないものをプレゼントしてもらう」という出来事が含まれていました。
※ そもそも「誰かにプレゼントをもらう」ということ自体が超レアです笑
私は「好みにうるさいタイプ」なのですが、その「頂戴した、普段の私なら選ばないであろうもの」が「意外と嫌いではなかった」と言うか「むしろ、そういう物を持ってみるのも悪くないなと思えた」と言うか「正直、持ってみたかった」というようなモノでした。
そのような「『今までの私』の連続で出来上がるであったであろう未来の外から来たもの」というのを「まるで新しい可能性未来から来たモノ」として認識してみることにしました。
「過去からの因縁の連続の結果として目の前に現れたモノ」としてではなく、それは「あくまで『未来からの贈り物』である」としたのです。
そして、それらの「頂戴した時の感動」であるとか「頂戴した時の満足感」というのを「無限にある未来の中から『そういうもので満たされた私』というものが存在し、それを感じている私」とリンクさせてみようと思うのです。
ありがたいことに、その「頂戴したモノ」というのは「日常的に使うモノ」でありましたので「日々目にすること」になります。
おそらくですが、大事なのは「無意識状態であっても、日々『選びたい未来の感触』と繋がり続けていること」になってくるはずです。
『引き寄せの法則』と呼ばれる方法論では「過去のある時点で決めたことが未来からやって来る」とされますが、そのようなモノ(引き寄せの法則)と、私がこれから検証してみようとしていることは「まるで違う」と言えるかと思います。
※ 「過去」が「未来の原因」という発想ではないので。
「未来の私になりきる」ことを「無意識的に、しかも瞬間の連続において」行わなければなりません。
※ なので「日常的に使用するモノをトリガーとすること」というのは「非常に効果的」なのだと思います。
それが出来れば、それは「『未来の私』が時間を逆行しているようなこと」と言えるのかもしれません。
未来の私が思い出している記憶を、現在の私が経験してるので「時間が過去からの未来に流れているように感じている」というのが、私たちの時間感覚の真相だったとしたら?
試してみる価値は大いにあると思いますし、かなりの確率で「たぶんそうだろうな」と今は思っています。
書き足りないと言うか、これ以上詳しく書けるほどまとまっていないと言うか、書ける技量がないと言うか。
そうは思いつつも「まだ不安になること」もあれば「確信を持ちきれていない」ので、今夜はこれぐらいで。
ただ、今の私の考えていることで解釈すれば「これまでの人生は、今のこの考え方に到るためにあった」とも言えますし、もちろん「すべての失敗や挫折も最終的な幸せや成功のために存在している」とも言えるかとは思っています。
また。
【不吉な場所】テンプルスクエア、ユタ州【海外記事より】
ようこそ、みなさん。
はじめに
先日から開始した「不吉な場所」シリーズの記事になります。
一覧はコチラから。
本日は「テンプルスクエア(ソルトレイクシティ寺院)」について。
これも「全く都市伝説系で見かけない話題」ですね。
それでは早速。
テンプルスクエア、ユタ州
Sinister Sites – Temple Square, Utah
ユタ州ソルトレイクシティの中心部に位置するテンプルスクエアはモルモン教の精神的、文化的、行政的な中心地です。 この10エーカーの土地には神殿,ドーム型の幕屋,多数の建物,記念碑,記念碑があります。この場所は神聖で健全に見えるかもしれませんが,よく見るとオカルト,異教,超音波のシンボルが見られます。これらの地を深く研究すると,モルモン教に関する論争がさらに深まり,モルモン教の真の神についての不穏な真実が明らかになるだけです。
この記事の意図は信仰としてのモルモン教を非難することではなく,テンプルスクエアのシンボルを客観的に分析することにあります。この宗教的なエリアを訪れた人は,黒魔術や悪,古代の異教に関連したシンボルに囲まれていることに気付きます。なぜこのようなシンボルがキリスト教の建物のどこにでも見られるのでしょうか。多くの元モルモン教徒は,末日聖徒イエス・キリスト教団(LDS)が密かに信者をルシファーの崇拝に導いていると主張しています。彼らは正しいのでしょうか。
テンプルはテンプル広場の中心であり,末日聖徒イエス・キリスト教会の中心として機能しています。建物自体は厳かで堂々としており,多くの彫刻で囲まれています。古代のエルサレム神殿と同じ機能を果たすと言われています。これがどのように真実ではないかについては何ページも書くことができますが,ここでは構造そのものに焦点を当てて説明します。
逆五芒星
神殿の外観には、単に古代の異教の名残ではなく、悪と直接関連している多数のシンボルが含まれています。最も露骨なシンボルは逆五芒星です。
このシンボルは、テンプルスクエアの周りに複数の形であります。直立した五芒星は、五つの要素、悪霊からの保護を表し、ゴールデンプロポーションを体現しています。それはまた、人間の低い性質の上に神の精神の支配を意味します。逆に、逆さまにした五芒星は、物質と彼の最低の衝動に人間の服従に精神の服従を表しています。
エリファス・レヴィの直立五芒星と逆五芒星のレンダリング。一般的に信じられていることとは裏腹に、レヴィは逆五芒星を否定的なシンボルとして使うことを思いついたのではない。それは彼の仕事の出版の前に何世紀もの儀式の魔法で使用されていました。
一点が上向きになっている五芒星は悪を退けますが、二点が上向きになっている逆さの五芒星は悪魔の象徴であり、逆さまになっていることと、数字の2を表していることから不吉な力を引き寄せます。それは魔女の安息日の偉大なヤギを表しており、上向きの2つのポイントはヤギの角です。
- リチャード・キャベンディッシュ、ブラック・アーツ
太陽、月、そして星
神殿の壁にはサンストーン、月と星の満ち欠け(逆五芒星)が描かれています。これら3つの天体は古代の異教の寺院に見られ、その使用はバアル信仰の時代にまで遡ることができます。謎の宗教を通して、フリーメイソンのようなオカルト教団はこれらのシンボルを保存し、今でも自分たちのモニュメントに適用しています。
プロビデンスの目
「偉大な建築家」を象徴するこの古典的なメソニックのシンボルは,神殿の正面にあります。栄光とベールに囲まれています。これはおそらくモルモン教会のイニシエーションの過程を表しており,フリーメーソンが経験する過程と非常によく似ています。
秘密の握手
フリーメイソンと同様に,モルモンは入会の過程で秘密の握手とパスワードを学びます。この握手は神殿の正面に描かれており,このようなメイソンの建物や記念碑に描かれている握手に似ています。
握手の上には「私はアルファでありオメガである」という言葉があり、これは黙示録から引用されています。これは黙示録から引用されたもので、「私は初めであり終わりである」と訳すことができます。末日聖徒イエス・キリスト教会の秘密の教義を象徴するシンボルである握手の上に置かれているということは、「アルファとオメガ」は誰なのかということを考えさせられます。
バプテスマフォント
モルモンの神殿にはそれぞれ独自のバプテスマの壷があり、12頭の実物大の牛の背中に取り付けられています。 モルモンはソロモンの神殿の入り口にあった「海苔」をモデルにしていると言います。ただ一つ忘れているのは、海苔は祭司たちが動物のいけにえの後に身を清めるために使われていたということです(海苔は「清める」という意味です)。それは人々を洗礼するために使われたのではありません。死んだ人が死後にモルモン教会の一員になるというモルモンの慣習である「死者のバプテスマ」にも使われていませんでした。例えば,ホロコーストの犠牲者が家族の同意なしに洗礼を受けるなど,スキャンダラスな洗礼が数多く行われてきました。最近では,癌で亡くなったバラク・オバマの母親が同意なしにモルモンの洗礼を受けたこともあります。古代キリスト教やユダヤ教には、このような不穏な慣習の痕跡はありません。これらの儀式を目撃した元モルモンは、儀式は魔術や霊の呼び込みの分野に宿っていると言う。
教会歴史美術博物館
この博物館では,末日聖徒イエス・キリスト教会とその歴史を称える展示物を展示しています。彼らの移住,入植,1830年から現在に至るまで預言者や大管長を務めた人々についての情報を得ることができます。子供向けの特別コーナーもあります。逆さになったペンタグラムを飾るのに最適な場所は何でしょうか。
※ 博物館の入り口
逆五芒星
この二つのペンタグラムは、教会歴史美術博物館の入り口に現れています。繰り返しになりますが、このシンボルの意味は、逆さ十字架を教会の上に置くことに相当することを強調することが重要です。
"象徴主義では、逆さの図形は常に倒錯した力を意味する。一般の人は、象徴的な五芒星のオカルト的な特性を疑うことさえない"
- マンリー・P・ホール、全時代の秘密の教え特に左の丸で囲った五芒星は、黒魔術の儀式で使用されていることから意味があります。
黒魔術師が白魔術のシンボルを使うことは、白魔術の力を自分自身に降りかからせずにはできない。そのため、黒魔術師はヒエログラムを歪め、オカルト的な事実を体現するようにしなければならないが、それは、黒魔術師自身がシンボルの原理を歪めているからである。黒魔術は基本的な芸術ではなく、芸術の誤用である。それゆえ、黒魔術にはそれ自身のシンボルがない。それは五芒星は、単に白魔術の象徴的な図形を取り、それらを反転させたり反転させたりすることで、それが左利きであることを意味します。
五芒星は黒魔術で広く使われていますが、その形は常に3つの方法のうちの1つで異なっています。星は、収束線が接触することを許可しないことによって、ある点で壊れている可能性があります;それは、1つの点が下にあり、2つの点が上にあることによって反転させることができます;またはそれは様々な長さのポイントを持っていることによって歪んでいる可能性があります。黒魔術で使用される場合、五芒星は「蹄の印」、または悪魔の足跡と呼ばれています。二つの点が上向きになっている星は "メンデスの山羊 "とも呼ばれ、逆さになっている星が山羊の頭と同じ形をしているからである。
- マンリー・P・ホール、全時代の秘密の教え博物館のキッズコーナーには、もっと五芒星がありますよ。
ビジターセンター
ビジターセンターは観光客に人気ですが,テンプルスクエアの最も不穏な象徴が含まれています。これは基本的にモルモン教の礼拝の本当の目的を明らかにしています。
キリストの像
キリスト像はLDS教会の象徴と言われ、ビジターセンターにドラマチックに展示されています。デンマークのコペンハーゲンにあるベルテル・トールバルセンの「キリスト像」のレプリカです。モルモンのバージョンは,宇宙という珍しい設定の前に置かれています。これはグノーシスの概念である「宇宙のキリスト」を指しているのかもしれません。
しかし、1つのディテールは印象的で珍しいものです。芸術作品を分析する最も基本的な方法の一つが光と影の関係であることはご存知かと思いますが、この設定では、実際には地球に影を落としています。この設定では、キリストの像は実際に地球に影を落としています。イエスは「世界の光」と考えられているのではないでしょうか?何かに影を落とすということは、象徴的には、暗闇や無知の中にとどめているということです。このイエスの姿が光の源ではないとすれば、それは何なのでしょうか。その答えはビジターセンターのロタンダにあります。
ロタンダ
ロタンダはキリスト像に面しており、特別な種類の逆さの五芒星が描かれています。
※ 細長い底点を持つ逆五芒星
五芒星の下端は細長くなっています。ほとんどの訪問者が気づかないこのディテールには、重いオカルト的な意味が込められています。第一に、ボトムポイントの不規則な長さは、善の力の倒錯を表している。第二に、このペンタグラムは、底の部分が下に落ちていることで、ルシファー、堕天使、明けの明星の堕落を意味している。
直立した星が回転し、上の点が下に落ちるとき、それは明けの明星の落下を意味します。
- マンリー P. ホール、すべての年齢の秘密の教えこの事実が解れば、光と影の謎は簡単に解けます。光の担い手であるルシファーは、宇宙の光の源と考えられています。イエス・キリストを表す図は、地球上の光の源をブロックし、このようにキリスト教は人類に不明瞭な効果を持っていることを意味します。だから、この設定は、明らかに地球上のキリストの到来を祝う人は、実際には正反対を表しています。
※ クリスタスの前にいる末日聖徒イエス・キリスト教会のエリートたち
歴史の中で、すべてのスピリチュアルな流れは、光を善、真理、美、知識、神の叡智の究極の表現であると考えてきました。すべての宗教芸術において、光の源は最も重要です。元モルモンの中には,末日聖徒イエス・キリスト教会が微妙でありながらも欺瞞的な方法でルシファーを崇拝していると主張する人もいます。この象徴主義は彼らの証言を確かに裏付けています。
カインの供物
※ カインの供物
ビジターセンターのもう一つの不思議な特徴は、上記の配置です。アダムとイヴが果物を載せた祭壇の前にひざまずいています。これは創世記IV章を参照したもので、カインとアベルの神への供え物について書かれています。
- アダムはイヴを妻と知っていたが、彼女は妊娠してカインを産み、言った。
- 彼女はまた彼の弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者であったが、カインは地を耕す者であった。
- やがて、カインは地の実を主に供え物として持ってきた。
- アベルもまた、自分の群れの初子とその脂肪を持ってきた。主はアベルとその供え物を敬った。
- しかし、カインとその供え物に対しては、主は敬わなかった。カインはひどく嘆き、顔を伏せた。
- 主はカインに言われた、「なぜあなたは苦しんでいるのか、また、なぜあなたの顔が落ちているのか」。
- あなたが善いことをするならば、あなたは受け入れられず、善いことをしないならば、罪が門前にあり、あなたには彼の望みがあり、あなたは彼を支配する。
- カインは弟アベルと話をして、彼らが野原にいたとき、カインは弟アベルに立ち上がって、彼を殺した。
- 創世記第四章
話を要約すると、カインとアベルはアダムとイヴの息子でした。 アベルは羊の世話をしていましたが、カインは地面の世話をしていました。神に供え物を捧げる時、アベルは生け贄として子羊を殺し、カインは果物を捧げました。神はアベルの捧げ物を受け入れましたが、カインの実を拒否しました(その理由ははっきりしません)。カインはその後、誘惑に負けてしまい、最終的には弟を殺してしまいました。
LDS教会に展示されている彫刻は、アダムとイブが神に果物を捧げている間、子羊(アベルからの贈り物)が生きたままそこに座り、犠牲にされていない状態を楽しんでいる様子を描いています。残酷で不公平な神への憤り(もしかしたら反抗心)ではなく、この作品は何を表しているのだろうかと考えずにはいられません。なぜ私たちは、神に拒絶されたカインの捧げ物を描くのでしょうか?この配置の意味は、神を頑固な暴君とみなすルシフェリアンの信仰にぴったりと当てはまります。神に逆らう聖書や神話の人物は、ルシフェリアンの教義によって祝われています(ロックフェラーセンターの記事を参照してください)。光の運び手であるルシファーは、人間に神性の賜物をもたらした人類の隠れた救世主であると考えられている。
イーグルゲート
ステート・ストリートとサウス・テンプルの角にあるイーグル・ゲートは,逆さ五芒星のもう一つの出現です。この門の上には,ユタ州のシンボルであり,モルモン教のシンボルであり,偶然にもフリーメーソンの重要なシンボルである蜂の巣に爪を立てている200ポンドの巨大な鷲を見ることができます。
結論から言うと
この記事では、テンプルスクエアで発見されたオカルトシンボルの表面をかろうじて掻い摘んだだけである。リフレクティブプール("As Above so Below "の概念を体現している)、男根とヨニックのシンボル、土星への天文学的な参照など、研究できる密教的な概念は数多くあります。LDSの歴史や哲学、信仰についての予備知識がなくても、シンボルに関する知識のある人であれば、彼らの芸術の意味を読み取ることで、この教会の核心的な意図を把握することができます。LDSの儀式、シンボル、操作方法はスコットランド・ライト・メイソンリーから直接引用されています。テンプル・スクエアのアートに隠された意味は、異教と破壊的な象徴主義が混在しており、ルシファーの崇拝を微妙に称えています。
わたしはモルモン教の専門家でもモルモンの預言者ジョセフ・スミス・ジュニアの専門家でもありません。この記事の研究と構成にはできる限り偏りがないようにしています。 しかし,聖典は偽りの預言者に対して世界に警告しており,私が収集したところでは,ジョセフ・スミスはまさに偽りの預言者です。 言いたくはありませんが,誰かが言わなければなりません。警戒を怠らないでください。
(翻訳ここまで)
最後に
「モルモン教」というものは、なかなか「日本人には馴染みのないもの」なのでピンとくる方は少ないかもしれません。
「カインとアベル」に象徴される「兄弟間のライバル関係」について、私の大好きなアーティストの曲をご紹介して締め括らさせていただこうと思います。
www.youtube.com※ 「お兄ちゃんに認められたい弟の気持ち」に泣けます、私一人っ子だけど。
また。
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【雑記】本末転倒、ここに極まれり
ようこそ、みなさん。
ちょっと、まさに今「無意識から意識」に「立ち昇ってきたこと」というものをメモ程度に。
先日の「未来から過去に時間は流れている」という話にも共通するかとは思うのですが。
私たちは「決定的な間違い(正しくない認識作用)」でもって「この世界を語ろうとする」のでいつまでも「間違い続ける」のかもしれません。
もしも、私が言ってるように「未来から過去へ時間は流れている」のならば「『過去から未来へ時間が流れている』という世界観によって構築されてきた理論」というものやらは、すべて「間違っていた」ということになってしまいます。
暴論を書きますと「西洋的な思想」というものは、その「有効性」というものを「すべて失ってしまう」とも言えます。
もしも、私が思うように「独立して存在する『魂』などはない」とすると、これまた「多くの東洋的なもの」すらも同じことかと思います。
「あなたには心がない」と言われても、実際に「固定され、かつ独立した心という存在をあなたが思い浮かべてそう私に言っているのであれば、確かに私には『心はない』と言えます」ということになり。
「私にあるのは『刹那の反応』の積み重ねであるものの『総体』だけであって、それは常に『流動的』であり『固定化』はされていません」ということになっています。
このタイミング?
この時代?
そういう意味で
「それらを理解している(するようになる)人々」と「そうではない人々」とに「二極化していく」のかもしれないなぁ、と。
また。
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【雑記】「最期の時」と「メメント・モリ」の話
ようこそ、みなさん。
昨日の雑記に関連して。
こんなことを書かせていただきました。
「意味が決まるのは最期の瞬間」だってのに。
【雑記】時間は「過去から未来に」ではなく「未来から過去に」流れている話 - あなたがあなたの救世主
というわけで、今日は「最期の時」のことでも。
※ もしかして、これは「胸騒ぎ」から書かされている記事かもしれません。
メメント・モリ
この言葉は、ご存知の方も多いかと思います。
ラテン語で「常に死の時を想え」的な言葉になります。
メメント・モリ(羅: memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」、「死を忘るなかれ」という意味の警句。芸術作品のモチーフとして広く使われる。
「なんのキッカケでこの言葉を知ったのか?」というのは忘れてしまいましたが、この言葉を知るのと同時に「カルペ(カーペ)・ディエム」という言葉も知りました。
その日を摘め(そのひをつめ、ラテン語: Carpe diem、カルペ・ディエム)は、紀元前1世紀の古代ローマの詩人ホラティウスの詩に登場する語句。「一日の花を摘め」、「一日を摘め」などとも訳される。また英語では「seize the day」(その日をつかめ/この日をつかめ)とも訳される。ホラティウスは「今日という日の花を摘め」というこの部分で、「今この瞬間を楽しめ」「今という時を大切に使え」と言おうとしている。
ちなみに、この「その日を摘め(Seize The Day)」という言葉は、私の大好きな「ロビン・ウィリアムズ」さん主演の映画『いまを生きる(原題:Dead Poets Society)』という映画でも大事なテーマになっていたりします。
基本的に「ロビン・ウィリアムズの主演映画に外れなし!(俺の中で)」なのであります。
※ ほんと、素晴らしい俳優さんでした。RIP.
Mr.Childrenの曲(アルバム『深海』収録)にも『メメント・モリ』は顔を表します。
ため息色した 通い慣れた道
人混みの中へ 吸い込まれてく
消えてった小さな夢を なんとなくね 数えて
同年代の友人達が 家族を築いてく
人生観は様々 そう誰もが知ってる
悲しみをまた優しさに変えながら 生きてく
負けないように 枯れないように
笑って咲く花になろう
ふと自分に 迷うときは
風を集めて空に放つよ 今
恋愛観や感情論で 愛は語れない
この想いが消えぬように そっと祈るだけ
甘えぬように 寄り添うように孤独を分け合うように
等身大の自分だって きっと愛せるから
最大限の夢描くよたとえ無謀だと他人が笑ってもいいや
やがてすべてが 散り行く運命であっても Oh Hey
わかってるんだよ 多少リスクを背負っても
手にしたい 愛・愛
負けないように 枯れないように
笑って咲く花になろう
ふと自分に 迷うときは風を集めて空に放つよ
ラララララ ラララララ
心の中に永遠なる花を咲かそう咲かそう
作詞:桜井和寿
作曲:桜井和寿
沁みます...
どうでもいい話ですが、ミスチルのこの曲。
私の中では
この曲と
この曲の
「いいとこ取りじゃん!」と思っています(いい意味で、ね笑)
まぁ、そんなわけで。
「死ぬときのこと考えてる」と言うと、なんだかやたら「ネガティブ」に聞こえるのかもしれないのですが、私はこう思います。
「『死』は、必然的に『生』を内包しているのだから、真剣に『死(最期の時)』を考えるということは、真剣に『生きる』ということを考えることと同じなのだ」と。
人間、誰しも、どんなに権力があろうと、富があろうとも「死からは逃れられない」のです。
私は、やがて訪れる「最期の時」に「自分の人生に『よい意味』を与えたい」と思っています。
で、たぶんですけど。
「満足して逝ける」ような予感はしています。
と言うか「そうしたい!」です(笑)
また。
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【海外記事より】元トップレベルのFacebook幹部は「150人が世界を支配する」と主張し、他の誰もが「操り人形」であるとしている。
ようこそ、みなさん。
はじめに
みなさんは「ソーシャルネットワーク」を利用されていますか?
利用しているのか?
もしかして「操られて」いるのかも?
そんなお話です。
元トップレベルのFacebook幹部は「150人が世界を支配する」と主張し、他の誰もが「操り人形」であるとしている。
Former Top Level Facebook Executive Claims ‘150 Men Rule The World’ & Everyone Else Is A ‘Puppet
世界を支配しているのは、約150人だ。 政治の世界に入りたいと思っている奴は全員クソ操り人形さ。いいですか? 世界を動かしているのは150人、しかも全員男なんだ。 世界を動かしているのは150人だ。 完全に。 重要な資産の大半を支配し、資金の流れを支配している。彼らはハイテク起業家ではない。彼らは、今後5年から10年の間に、裏で糸を引いている人たちに巻き上げられることになるだろう。
あなたの中には、ソーシャルメディアが「社会の仕組みの社会構造を引き裂いている」という彼の警告からチャマス・パリハピティヤ(フェイスブック元幹部)を覚えている人もいるかもしれないが、この警告はメディアで惜しみなく注目され、結果としてバイラルになった。 ほとんどの人が完全に見落としていたのは、主要なメディアが報道しなかったことで、少なくとも私の知る限りでは、彼が「150人の男が世界を支配している」と説明し、彼らが今後数年の間にテック系の起業家たちを「転がしていく」と説明したときのことだ。
検閲は前例のないレベルにまで拡大している
これらの明確な主張からわずか数ヶ月の間に、当局によって「有害」または「危険」とみなされた投稿を検閲しなかったテック企業に厳しい罰則と罰金を課す、さまざまな政府による一連の物議を醸す法律が提案されたり、可決されたりした。 例えばドイツでは、政府が「ヘイトスピーチ」と判断したものを24時間以内に削除しなかった場合、ソーシャルメディアサイトに最大4400万ポンドの罰金を科す法律が可決された。 同様に、欧州連合(EU)は、「テロリスト」コンテンツを1時間以内に削除しなければ、厳しい罰則を科すことを提案した。 違反者を繰り返した場合は、世界売上高の4%まで制裁を受けることができ、その額は数十億、数十億ドルにもなる。
今や誰もが知るところだと思うが、検閲は前例のないレベルにまで拡大している。 私自身、YouTubeやFacebookのアカウントを削除されたことがありますし、自由思想プロジェクトや、「不正確な活動」や同じように曖昧なもので非難された他の多くの人々の中にもいる。 さらに最近では、このパンデミックに直面して、情報の検閲はさらに大胆になり、Knut Wittkowskiや他の人たちのような尊敬される専門家でさえ、課されているロックダウン政策に挑戦するために標的にしています。 当局はいずれの場合も、これは国民の安全と保護のためだと主張している。
この検閲が「世界を支配する150人の男」の結果なのかどうかは、認められる可能性が実質的にゼロなので、推測するしかありません。 しかし、彼らの富と社会的地位、そして彼らの率直さと表現の信憑性を考えると、チャマス・パリハピティヤの主張は軽視されるべきではありません。
彼らはあなたが自分の世界観をどう思うかなんて気にしない
インタビューの後半では、チャマスは、この支配者層が、個人的な利益と自己利益のために、自分たちの世界観を広めるために、お金と富を積極的に使っていることを説明しています。 そうであるように、「もしあなたが重要な視点を持っているならば、あなたには道徳的な義務がある」ということを確認するために、あなたがお金を稼ぐことは、あなたが良い意味で世間の認識に影響を与えるのに役立ちます。
もちろん、これは言うは易く行うは難しで、特にこの世界の不正を最もよく知っている人の多くは、経済的な欠乏や物質的な貧困から来ている傾向があるからだ。また、ポジティブな変化を生み出すためのビジョンや計画を支援するために、多くのフォロワーを作るために気楽に働いてきた活動家が検閲されたり、アカウントを完全に削除されたりすると、それはさらに困難になる。それにもかかわらず、チャマスが指摘しているように、お金(そしてそれをコントロールしている人たち)が「良くも悪くも世界を動かしている」のです。
別の道がある
私の個人的な見解ですが、もし私たちが一丸となって、その目標を達成するために、集合的な能力と資源を集約すれば、この有害なシステムをより良い方向に変えることができる可能性がはるかに高いと考えています。明らかな理由から、一人でこの困難な課題を達成できる人はいません。私たちの誰もが、すべての知識や財力などを持っていないので、真のポジティブな変化を生み出すために必要なものを求めています。しかし、私たちのある一定数が供に立ち上がる場合、我々は我々が必要とするすべてのものを集約することができます。
例えば、新しい土地を購入するためのお金を持っている人がいるかもしれませんし、農業をするための知識を持っている人がいるかもしれませんし、持続可能な家を建てるための洞察力を持っている人がいるかもしれませんし、子供たちのために新しい学校を始めるための知識を持っている人がいるかもしれません。必要とされるすべてのものはすでにそこにありますが、私たちにチャンスがあるのであれば、私たちは一緒に立ち上がらなければなりません。
しかし、より良い未来を創るという希望を持ち続けるためには、今すぐにできる最善の行動は、Minds.com 、MeWe、Sociall、Flote.app、Bitchuteなど、少なくとも自由にコミュニケーションがとれるプラットフォームに移行することだと思います。(他のお勧めがあればコメント欄で歓迎します)
これらのロックダウンに抗議するソーシャルメディアの投稿をしただけで逮捕された人々がいることを考えると、この検閲は不幸にも悪化するばかりで、潜在的にはより危険な権威主義的レベルにまでエスカレートする可能性があることを知っておくべきでしょう。したがって、遅かれ早かれ、支配階級の支配下にあるこれらのハイテク企業からの脱出を開始することが急務である。
(翻訳ここまで)
最後に
モチベーション系?自己啓発系?のチャンネルの動画ですが、こちらも併せてご視聴ください。
「別の道」で「個人が情報発信」を続けるのもどうなんですかね?
※ 私もやってると言えばやってるんですけど。
「個人の妄想」まで広まることになり、結果的に「余計に混乱する」ことになってますし、世界中が。
と言うか、与えて寄越してきた人たちの「本当の狙い」というのは、そのような「混沌」なのかもしれません。
オーダー・アウト・オブ・ケイオス
何せ「万物を見通す目」を象徴にする人たちです。
大衆に「どうなって欲しいのか?」というのも考えないと見誤るのかもしれません。
また。
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【雑記】時間は「過去から未来に」ではなく「未来から過去に」流れている話
ようこそ、みなさん。
今日も雑記です。
雑記なので適当?と言うか、思いつくままに書かせていただきます。
いきなりですが、みなさんは「時間は過去から未来に流れている」と思われていますか?
というか、普通そうですよね?
「過去の積み重ねが未来になるんだ!」というの、実に良く聞く意見ですし、私たちの体感的にもそれが正しいように感じます。
今日、とある動画のコメント欄で相談?を受けました。
中学3年生の受験生の子からの質問で、彼は「勉強する意味が見出せない」というような趣旨のことを悩んでいらっしゃいました。
まぁ、難しいことをグチャグチャと書きすぎても「彼に伝わらないと意味がない」と思いましたので、ごくごく「まともな意見の範囲」として、次のように書かせていただきました。
はじめまして。
あなたの参考になるかわかりませんが、一応私の経験を書いておきますね。
私は、自分で言うのも変な話ですが、中学時代は「まさに文武両道」とも言えるような生活を送っていて、部活は全国大会に出場するし、高校受験も一応県立高校のトップ校に合格することができました。まぁ、私が学生時代を過ごした環境が「周りがそうするから」という環境にいたこともあり、自然とそうなったのですね?
私自身は「めちゃめちゃ受験勉強した」という意識もなく、なんとなくやってただけなのですが。
ただ、私はせっかく合格した高校に、色んな事情があったとは言え、ほとんど行くこともなく、まともに教科書を開くことさえないまま、ひたすらに近所の図書館に引きこもるようにして3年間を過ごしましたし、そんなわけなので当然のように大学にも行っていません。
私自身の人生を振り返った時に、私は「これで良かった」とも思っていますが、同時に「ちゃんと大学に行っておいても良かったな」という気持ちもあります。
なんでそう思うのか?
「使えるものは使っておいたほうがいい」とも思うからです。
あなたが親御さんの希望される高校とは違う道を歩まれるかもしれません。それはそれでしょうがないというか、あなたの人生なので、あなたが進みたい道をしっかりと歩めることが何よりだとは思います。
ただ、あなたがどんな道を歩もうとも「あなたはあなた」です。大卒であろうが、高卒であろうが、中卒であろうが、それは変わりません。あなたの価値はあなたが決めるものです。
ただ、なかなか「あなたの本質」というものを評価してくれる「他人」に巡り合うことはないかもしれません。人は「学歴」などの「わかりやすいもの」で他者を評価しがちです。
あなたがどんな人生を歩もうが、あなたはあなたです。その価値は、あなた自身と、ほんの数人の「あなたが大事に思う人たち」が知っていてくれたらいいことだとも思います。
なので「上辺だけしか見ることができない」人が多い世の中をこれから生きていくあなたが「有利に」人生を進めながら「あなたがどうなりたいのか?」に近づけるよう、そういう人にはある意味で「誤解してもらえるよう」に、社会的な地位を高めることができるような道を歩める方向を向いて進むのも悪くない選択かもしれません。
あなたが「やること」に「無意味」なものなど何もないと思いますよ?
だって、あなたが「無意味だったな」と決めた瞬間に「あなたが歩んできた道の全ては無意味になる」からです。
どんな人生を送ろうとも、その歩みの一歩一歩から「何かを学ぶこと」はできるのですから。
社会の仕組みも変わります。変わり続けます。たぶん「これをやっておけば間違いない!」というものはないのかもしれません。
ただ「学び続ける」ことだけは、唯一間違いのないことかもしれません。それは死ぬまで続く道です。受験勉強じゃなくても構いません。あなたが「本当に興味を持って学べること」であれば、なんでもいいのです。
今から「頑張っていい高校に合格するんだ!」とかは言いませんが「楽しく学び続けてほしいな」と、若者には言いたいです。
私なんか、若い頃音楽ばかり聴いてましたし笑
参考にならなかったかもしれなくてごめんね。
ただ、あなたのこれからの未来は素晴らしいものになると勝手に思っておきます。
また、何か悩むようなことがあったら、いつでも気軽に声をかけてくださいね。
と。
まぁ、大事なとこは
あなたが「やること」に「無意味」なものなど何もないと思いますよ?
だって、あなたが「無意味だったな」と決めた瞬間に「あなたが歩んできた道の全ては無意味になる」からです。
どんな人生を送ろうとも、その歩みの一歩一歩から「何かを学ぶこと」はできるのですから。
というところです。
これ、時間を「過去から未来にではなく、未来から過去に流れているもの」として捉えることができるようになると、割とすんなり納得してもらえることかと思います。
このあたりは、アインシュタインが「時間と空間は連続したものである」という発見をしたことやらの話を理解されてる方には改めてする必要もないことかと思います。
これをちゃんとご説明しようかと思っていたのですが、眠気が襲ってきました(笑)
「未来から過去に時間が流れてるってことは、じゃあ『決定してしまってる、たった一つの未来』があって、それは変えられないってことかよ!」という疑問も浮かんできて当然だと思いますし、それを「変えることができるはず」というお話までしないといけないと思いますので、そこらあたりはそのうちちゃんと書きたいと思います。
というか、私は「未来の私が、今の私にこのブログも書かせてる」と思っているところがありまして。
まだ観てませんけど、最近公開された『TENET』という映画が、どうやらネタバレを少し読んだ限りではそういう話みたいなのですが。
まぁ、相談してきてくれた子に伝えたかったのは「未来のキミが『過去の意味を決める』のだから、未来のキミからしたら『過去になってしまう今のキミ』が意味を決めることはないんだよ」ってことなんですが。
どうにも眠くて頭がまわりません(笑)
人は、いつだって「意味の虜(奴隷かも?)」ですね。
「意味が決まるのは最期の瞬間」だってのに。
「意味性」からも自由でいたいものです。
また。
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【不吉な場所 】カザフスタンの首都、ヌルスルタン【海外記事より】
ようこそ、みなさん。
はじめに
先日から開始した「不吉な場所」シリーズの記事になります。
一覧はコチラから。
本日は「都市伝説系の動画」で「全く話題になってないのかな?」と思われる「ヌルスルタン」について。
それでは早速。
ヌルスルタン
Sinister Sites – Nur-Sultan, Khazakhstan
アスタナは21世紀に建設された最初の首都であり、世界がどこに向かっているのかを完璧に表しています。まさに一人の男のビジョンです。カザフスタンの大統領、ヌルスルタン・ナザルバエフ氏(そう、ボラの国ですね、知っています)です。数十億ドルを投じて、アジアの草原の人里離れた荒涼とした地域に、ゼロから都市を建設している。その結果、未来的なオカルトの首都が誕生しました。人間が知っている最も古い宗教を崇拝しながら、新世界秩序を受け入れています。太陽礼拝である。都市はまだ巨大な建設現場であるが、すでに完成した建物はナザルバエフのオカルトのビジョンを要約している。
平和のピラミッド
イギリスで最も多作な建築家ノーマン・フォースター卿が考案したこの巨大ピラミッドは、アジアの草原の真ん中に異様な存在感を放っている。 この建物は、「暴力の放棄」と「世界の宗教を一つにすること」に捧げられています。ノーマン・フォスターは、この建物には、告白の調和のとれた再統一を可能にするための、認識できる宗教的なシンボルがないと述べている。実際には、ピラミッドはオカルト主義者の唯一の真の宗教のための神殿である。太陽礼拝です。この建物の中に入ることは、本当に象徴的なことです。この建物は、人間の光への道を象徴しています。見学してみましょう。
ピラミッド型の形状
弟子たちはピラミッドの形を、秘密の教義とその普及のために設立された機関の理想的なシンボルとして受け入れました。
- マンリー・P・ホール「全年齢の秘密の教え」※ Novus Ordo Seclorum = New Order for the Ages
マンリー・P・ホールが述べたように、ピラミッドは古代文明の神秘を象徴する究極のシンボルである。そのシンプルさの中に崇高さがあり、そのプロポーションの中に神々しさがあり、ピラミッドは光に照らされた人々が持つ神聖な知識と、大衆の困惑の両方を体現している。オカルトの世界に入った今日のエリートたちは、この古代の知恵の継承者であり、現代世界では権力の象徴としてピラミッドを使用しています。ピラミッドは、宇宙にも人間にも存在する神聖な原理を象徴しています。また、欠落している墓石が持つもう一つの象徴的な意味は、新世界秩序が未完成であることを表しています。大ピラミッドの墓石は、その昔からの計画が現実のものとなった時に復活すると言われています。他にも世界各地にあるピラミッドは、エリートが大衆を支配していることを表しています。
※ メンフィスアリーナ
※ ルクソールホテル、ラスベガス
※ ラッフルズホテル、ドバイ
地上からピラミッドに入ると、内部は暗くて空洞になっています。地下には、アスタナのオペラハウスがあり、そこでは誰も知らない人々を楽しませています。
暗闇にもかかわらず、巨大な太陽の像が天井のほぼ全面を占めています。
ミッドセダクション
オペラハウスの真上にあるのがピラミッドの中央空間。世界の宗教指導者が集まる会議室としての役割を果たしています。この象徴的な空間に浸ってみてはいかがでしょうか。世界中の宗教指導者たちが巨大な太陽の像の周りに座り、来るべきニューエイジに向けて意見の違いをどうやって和解させるかを話し合っています。象徴主義は露骨です:これらのすべての神学は、単に崇拝の元のオブジェクトの成長である:太陽。
オペラハウスよりもはるかに明るい空間で、イルミネーションへの進化を表現しています。円卓の中央にある太陽像は、まさにオペラハウスの太陽の上にある。つまり、一般の人々が物質世界の暗闇の中で歓待されている間、その真上に座っているイルミネーションの人々は、どうすれば神々しさに到達できるかを考えているのです。
※ 神性について考える
このサイトの他の記事を読まれた方は、新世界秩序の目的をご存知かもしれません。その目的の一つは、すべての宗教をネオペイガニズム(新しい異教)の一形態に置き換えることです。そのための会議なのです。アスタナの街はまさに新世界秩序の街です。
頂点
頂点は文字通り天国のようです。それは丸く、完全に窓があり、輝かしい日光を浴びています。白い鳩のイメージは、新世界秩序における世界の政府と宗教の統一につながる平和を表し、窓に埋め込まれています。 頂点は、個人的にも世界的にもイルミネーションの達成を究極的に表しています。
頂点の天井を見てください。
イルミネーションに太陽神が輝いています。美しい。
ピラミッドの分割(下の暗いオペラハウス、中央の会議室、神々しい頂点)は、ピタゴラスの世界観を体現している。ピタゴラスの教えは、今日のオカルト社会では徹底的に研究されています。
ピタゴラスは彼が最高の世界、優れた世界、および劣った世界と呼んだ3つの部分に宇宙を分けた。最高世界、すなわち最高世界は、すべてのものに浸透している微妙な、相互に浸透する精神的な本質であり、したがって最高神そのものの真の平面であり、神はあらゆる意味で全存在、全能、全知全能、全知全能である。低い世界の両方は、この最高の球体の性質の中に存在していた。
劣等世界は不死身の者たちの住処である。彼らの性質は決して土性の物質を持っているわけではありませんが、彼らは深みのある世界(劣等世界)に影を落としているので、その影を通してのみ認識することができます。第三の世界、すなわち劣等世界は、物質的な物質を摂取したり、物質的な物質を使って、あるいは物質の上で労働に従事したりしている被造物の住処であった。したがって、この圏は人類と低次の王国の本拠地であり、一時的には地上にいるが、理性と哲学によってその圏の上に上昇することができる者たちであった。
- マンリー・P・ホール「全年齢の秘密の教え」
言い換えれば、このピラミッドは観光名所というよりも、イニシエーションの哲学を表現したものなのです。ダン・クラックシャンク(美術史家:Dan Cruikshanks)がドキュメンタリーの中で、やや難解な言い方をしているように、このピラミッドは「来るべき力の表れ」なのです。
バイテレク
また、著名な英国の建築家サー・ノーマン・フォスターによって設計された記念碑は、生命の神話の木と幸福の魔法の鳥についての民話を体現することを意味しています。Samrukという名前の鳥は、ポプラの木の2本の枝の間の隙間に卵を産みました。卵は、記念碑の上部にある金色の地球儀は、再び、最高神である太陽を表しています。
この「生命の木」は、霊が物質世界を離れて神聖な世界に入るための経路を表している。この概念は、ほとんどの(すべてではないにしても)密教的な社会で繰り返されている。
ゴールデングローブの内側
トータルリコールの件
塔の頂上に行くと、ナザルバエフの街並みを一望することができます。また、不思議なアイテムもあります。
地球儀の中で、私たちはこの謎めいた「もの」を見つけました。それは、ナザルバエフ大統領の手形が入った金色の三角形です。なぜ?正直、わかりません。映画「トータル・リコール」に出てくるようなものだとしか言いようがありません。
バタの作曲
それは、17の宗教宗派の代表者によって署名された地球儀です。はい、またしても、すべての宗教をNWOの1つに統一することについて話しています。
メソニックの柱
2本の柱とその間の1本、さらに離れたところにある。もしかして、これはメソニックの象徴の可能性があるのでしょうか?
そう、黄金の二本の柱は、ボアズとヤキンという名の二本の柱を表しています。これらの柱の背後にある全ての象徴については触れませんが、おそらくナザルバエフは「自由で容認されたメイソン」であると推測できます。
大統領宮殿
※ 二本の柱に挟まれた宮殿。
大統領宮殿は、バイテレクの塔から始まるセレモニールートの終点に位置し、街の中でも最も高い位置にあります。宮殿の上には大きくて太いドームがあり、男根のバイテレクの塔とは対照的に女性を象徴しています。このレイアウトは、ワシントンDCやパリを含むほとんどすべての重要な都市に存在しています。
カーン・シャティール・エンターテイメント・センター(世界最大のテント)
この未完成の異様さは、ノーマン・フォスター卿(彼は基本的に街全体を設計した)が再び設計したものである。サッカースタジアム10個分以上の面積を持つテントの下には、広場や石畳の道、ボートを漕ぐ川、ショッピングセンター、ミニゴルフ、屋内ビーチリゾートなどを備えた都市規模の内部公園、ショッピング、エンターテイメントの場が設けられる予定だ。この構造は、ソロモン神殿に匹敵する幕屋のような作りになっていると言われています。
テントで構成されたこれらの携帯可能な礼拝所は、聖書の時代にユダヤ人によって使用されていました。参入者たちは、これらの古代の集落に秘教的な意味を持たせています。
(訳注)
間もなくアスタナで
アスタナはまだ大規模な工事中ですが、本当に素晴らしいプロジェクトがいくつかあります。その一部をご紹介します。
中央市場
仲良しのノーマン・フォスターがデザインしました。
クレイジータワーズ(正式名称ではありません)
オールシーイングアイスタジアム(正式名称ではありません)
結論から言うと
世界のエリートたちが世界を一つの政府に統一するために必要な条件を満たしているとき、彼らは自分たちの力の象徴を世界中にばら撒いている。一般の人々には、その構造が何を表しているのか分からないからこそ、彼らの計画が疑うことなく、気づかれることなく進められているのです。しかし、これらの計画は、もう何年も前から存在しています。マンリー・P・ホールは1918年に書いています。
暴徒が支配するとき、人間は無知に支配され、教会が支配するとき、人間は迷信に支配され、国家が支配するとき、人間は恐怖に支配される。人間が調和と理解の中で共に生きるためには、無知を知恵に、迷信を光り輝く信仰に、恐怖を愛に変えなければならない。
モブは民主主義とイコールで、教会は宗教とイコールで、国家は国とイコールである。言い換えれば、人間が調和して生きていくためには、民主主義(大衆があまりにも間抜けだから)、宗教(迷信だから)、国家(一つの世界の政府が必要だから)を廃止しなければならないのです。彼は続ける。
地球の完全な政府は、最終的には、宇宙が秩序ある神の政府を模したものでなければなりません。完全な秩序が再確立されたその日には、普遍的な平和と善の勝利で、人はもはや幸福を求めることはないだろう。
いい響きだろ?キャッチは一つだけ。これが起きたら、世界の人口のほとんどは死ぬだろう。それはさておき、良い一日を。
(翻訳ここまで)
最後に
「そんなバカな!」と思われる方も多いかもしれません。
「無理やりこじつけたんじゃないの?」と思われる方も多いかもしれません。
確かに。
それに、些か「不吉なものだと決めつけすぎ」な見方かもしれません。
ただ「こういう見方もできますよ」ということの「根拠とされている知識(オカルト知識)」の豊富な教材として受け止めてくだされば。
また。
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