ようこそ、みなさん。
日本のテレビでも「バイデン政権誕生後の日米関係について」などが報じられるなど、すっかり「民主党政権誕生確定」の方向で話は進んでいますね。
これで、大手マスコミしか見ない人たちは「アメリカの次の大統領はバイデンさんなんだぁ」となりますし、今回の大統領選挙も「なんか色々揉めてたみたいだけど、もう終わったんだなぁ」となるでしょう。
「人間の心」というものがありとあらゆること(経済とか)のベースにあると思いますし、こうやって「世論(大衆心理)が形成されていく」ということが強い力を発揮するのだとも思います。
※ それこそ「天変地異クラス」の出来事でしかマインドセットは劇的に変化しません。
このまま、この事態が「当たり前」になっていくのでしょうか?
まだまだ戦いは続くのか?
日刊ゲンダイの記事より
不正選挙を訴えるトランプとオウム麻原死刑囚が重なる部分
1990年2月の衆院選。「オウム真理教」は約10億円の選挙資金を投じて25人の候補者を立てたものの、全員が落選して供託金も没収された。この時、「トップ当選する」と豪語しながら落選した麻原死刑囚がメディアの前で叫んでいたのが「投票箱をすり替えられた。国家の陰謀だ」「不正選挙だ」という言葉だった。
選挙の大敗を受け、教団は「国家を潰せ」と先鋭化。信者らが熊本・波野村の施設で毒ガス製造や細菌兵器の開発に着手していくわけだが、これも、トランプ大統領の「不正選挙」の訴えに呼応して開票所に押し掛け、感情むき出しで「不正」を訴えるトランプ支持者の姿とそっくりだろう。トランプ大統領と麻原死刑囚の“共通点”はどこにあるのか。
明大講師の関修氏(心理学)がこう言う。
「トランプ大統領の姪で、臨床心理学者メアリーは著書で、トランプ大統領を『ソシオパス(社会病質人格障害者)』と書いています。ソシオパスというのは平気でウソをつく人。いわば詐欺師的な性格です。そして、トランプ大統領の言葉を何ら疑うことなく、そのまま信じ込む人がいる。そういう点ではカルト宗教と似ていると言えるでしょう。トランプ大統領は熱狂的支持者だけに聞こえる『犬笛を吹いている』とも言われましたが、これは支持者を“暗示”にかけているわけで、カルト宗教も同じ。懸念されるのは、オウム事件のように“暗示”にかかった人たちが何をするか分からないことです。実際、トランプ大統領のツイッターの呼び掛けに賛同した支持者が、ミシガン州の知事を拉致しようとしてFBIに逮捕、起訴されました。今後もこうした事件が起きる可能性はあると思います」
「QAnon信者」というのは「社会に残る火種にするため」に育成されたのかも?
私の考えすぎでしょうか?
上祐さんのTweet
「経験者は語る」というのは、実に説得力のあるものです。
「トランプ信者=オウム信者」であるとか「トランプ=麻原彰晃」とするのは、過去の私の記事でいうところの「アナロジー乱用」になるかもしれませんが、それでも上祐さんの呟きには耳を傾ける必要があると思いますのでご紹介したいと思います。
https://twitter.com/joyu_fumihiro/status/1324740130259656704
「善悪で真っ二つに別れる」というのは、実に「グノーシス的である」と思いますし、こういう世の中になっていくのを「グノーシス的展開」と言うのかもしれないですね。
https://twitter.com/joyu_fumihiro/status/1324742826538594305
「科学的な検証」が立ち入れない領域が「人間の心」なので、その「人間の心(信念体系)」に食い込むような「陰謀論」は非常に強いのです。
※ 「人は見たいものを見て、聞きたい音を聞く」とも言います。
https://twitter.com/joyu_fumihiro/status/1324745256881987589
私は「換金手段が下手くそ(まだ広告すら貼れていない笑)」なのでお金にはなっていないですが、実際問題、刺激はお金になりますし、YouTubeなどでも「刺激的なタイトルで再生数稼ぎ」やら「恐怖を煽ることで視聴者を惹きつけようとすること」というような手法は、実に広く横行しているのではないでしょうか?
※ 逆説的に「そういう世の中にするため」にSNSが開発されたとも言えますね。
https://twitter.com/joyu_fumihiro/status/1324748089127677957
自分の信ずる「正義」が、誰かにとっては「悪を憎む別の悪」でないのか?常に自己検証を続けながらこの世界を見つめないといけませんね。
※ できることならば「曇りなきその眼(まなこ)で」
https://twitter.com/joyu_fumihiro/status/1324749699497172993
そう、この世界には「不完全な人間」しかいません。「完全(完成)を目指すこと」は悪いことではありませんし、むしろ「目指すべき」類のものです。
※ ここまでは「グノーシス的」な発想です。
しかし、私たちは「不完全であるからこそ、常に変化(成長)できる」という存在でもあることは忘れてはいけません。
流行りに乗るなら「鬼滅の刃」の煉獄さんも、こう言ってましたね?
「老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ」と。
https://twitter.com/joyu_fumihiro/status/1324751871559364613
自分が満たされていれば、極端な話「他はどうだっていい」となるものです。
※ 世界中の誰しもが、そういう精神状態だったら?「平和」でしょうね。
さて、そんな上祐さんがFacebookにまとめられている文章も転載させていただこうと思います。
以下は上祐さんのFacebookからです。
そして、トランプ氏の選挙不正・陰謀説を根拠がないとして批判するメディアの報道(のネット上の動画)に対して、日本人によるネット上のコメントの多くが、トランプの主張を支持し、メディアの方を批判している。当然米国のトランプ支持者はそれ以上なのだろう。善悪で真っ二つに割れる。大変な世の中になった。そのうち「選挙不正は真実で、それを信じない方が洗脳されていて愚かなのだ」と逆に批判されるような社会になることはないだろうか。そうなれば、私がオウム時代に、教祖を始めとして教団が総選挙に出馬して惨敗した時に、教祖の選挙不正の主張を信じずに異論を唱えて、教団全体から受けた尋常ならざる圧力を受けた時のことがダブって来る。しかし、陰謀説に対して、科学的・客観的な批判精神で厳格に検証することは(教祖が主張しているのだから)当然なかった。信じている人の中では、陰謀説を肯定する情報・証拠(のようなもの)が一方的に積み上げられる状況になる。私は、オウムを抜ける中で陰謀説に関して自分なりに考察した。まず、先程述べたように、陰謀説を肯定する情報は多い。その中にその証拠的なものもなくない。また、陰謀説は、刺激的で面白く、それを流布する人たちにとっては、注目を集めて自尊心を充足できる。更に言えば、お金になる。今では雑誌に限らず、YouTubeは視聴者数に応じて収入が増える。これは金銭主義の社会では相当に重要だ。実際に、陰謀説を流布している人は、それを信じているのではなく、お金のためにそうしている人もいる。彼らにとっては金もうけのエンターテーメントであり、生活の糧だからやめられない。そう認める陰謀論系の雑誌社もいた。そして、今や米国では政治上の支持者・権力を得ることにさえ活用できる。つまり、流布する利益があるのだ。その一方で、科学的・客観的・厳格な陰謀論の検証は少ないように思える。メディア・識者は、そんな馬鹿なことは俺は(誰も)信じないと相手にしないかのようだ。同じ土俵に上がりたくない。そして、陰謀説への反論は、余りお金にならない。陰謀説は刺激的で面白く、信じる人には普通の日常生活にはないワクワクする一面がある。一方、陰謀説の否定は当たり前のことであり、多くの人にとって十分な面白みのない日常生活と何ら変わりがない。退屈だ。消費と供給の対象にならない。ネットや雑誌に限らず、一部大手メディアも、読者・視聴率稼ぎで、陰謀論を扱うが、それを否定する情報を提供する動機・利益・必要性がない。一言で言えば、あまり商売にならない。ワイドショーと同じ構造で、真実か否かではなく、お金が儲かるかだ。新型コロナの恐怖を過剰に煽ったとされる一部のテレビ番組もそうだ。こうした事情もあって、普段においては、陰謀説に対して真剣な調査・研究に基づいて精力的に否定する活動を行う人々は多くない。すぐれた知性の十分な調査研究の対象になることも多くないのではないか。陰謀説の最大の影響は、それが正しかろうと間違っていようと、世界を善悪で二分することだ。陰謀説を信じる者と信じない者の間には鋭い対立が生じる。激しい口論・批判の応酬があって、その次に、今回のように法的闘争が生じる。そして、場合によっては、暴力・テロに至る可能性もある。なぜならば、信じる者と信じない者にとっては、互いに相手が「人間」ではなく、決して許せない「悪魔」のように見えるからだ。そして、人は、悪魔に対しては、何をしてもいいとなる場合がある。だから、暴力行為も正当化される。戦争を正当化する時は、相手国は悪魔にされる。陰謀説を信じる人は、実際には悪魔ではなく、陰謀説を支持ない人と同じ人間だ。同じように、陰謀説を信じない人は、信じる人にとって、悪魔ではなく人間だ。そして、どちらも自分達は神ではなく、不完全な人間だ。しかし、陰謀説を信じる人も、陰謀説を信じる人(の心理的背景を知ろうとせずに)単に強く嫌悪する人も、自分達は皆、不完全な人間であるという謙虚な心はなく、自分が正しく相手・他者は間違っているという思いばかりが強くなるように見えるのだが、どうだろうか。(自分の)正義が悪(の他者)を倒すという感情は心地よいが、それは麻薬的な要素がある。フィクションのテレビドラマや映画やアニメと違って、現実の世界は神と悪魔の戦いではなく、皆が不完全な人間の集まりだ。それは、相互理解と調和ではなく、怒り・憎しみ・対立・暴力を増大させる結果となるばかりで、現実には、どちらにも損であって、社会全体にとって破壊的な結果を招くことがある。自分が正しく他は間違いという主張ばかりが強く、自分と異なる見解を持つ者を単に嫌悪するのは、心理学的には、実はコンプレックスが強い(自己肯定感が低い)ために、自分が他より正しいと思いたい心理があるという見解がある。自分の教祖・オウムの経験にも、これは当てはまる一面があると思う。彼らの中には、陰謀説で若者をだましていると自覚しているのではなくて、自分も本当に信じている者が少なくない。そうした人たちが、今回の件が、自分たちの正しさが、米国の半分に、認められる時代になったと錯覚しないように祈りたい。
経験者の言葉には重みがあります。
そんな上祐さんも、今は「仏教系」へシフトされているようです。
このように「実に聡明である(と私は思います)」上祐さんでさえも、世間から「ああ言えば上祐」と揶揄されるほどに彼を狂わせてしまった「信仰」の怖さ。
そして世界中を覆い尽くしてしまった「拝金主義(拝金教)」の「見えざる支配力の強さ」を、改めて思います。
やはり、本題は「一人一人が満たされているかどうか?」なのではないかと思う今日この頃です。
※ 「相互理解と調和」のためにも。お金になりませんけどね、私のやってることも。
また。
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