「肉体的 / 精神的」という軸でマトリックス図を作ることは可能。
※ ゆえに「心身二元論」は「二次元的」だと言える?
さらに「時間的 / 空間的」という軸を加味したマトリックス図を作ろうとするが、それは「三次元空間の二次元の投影(立方体の図)」では不可能だった。
X軸、Y軸をそれぞれ「肉体的」「精神的」という軸に割り振ると、当然のようにZ軸は「時間的」か「空間的」のどちらかにしか割り振れない。
※ Z軸を「時空間連続体」とすると、それはそれで意図したものと違う。
表現したいことを「図示するのは」どうやら不可能なようだが、これは「4次元空間を2次元に投影する手法」を使えばいいのか?
※ 4次元立方体のアニメーション的な。
1. 肉体的:近 精神的:近 空間的:近
2. 肉体的:遠 精神的:近 空間的:近
3. 肉体的:近 精神的:遠 空間的:近
4. 肉体的:遠 精神的:遠 空間的:近
5. 肉体的:近 精神的:近 空間的:遠
6. 肉体的:遠 精神的:近 空間的:遠
7. 肉体的:近 精神的:遠 空間的:遠
8. 肉体的:遠 精神的:遠 空間的:遠
表現できてこの8パターン?
※ 立方体マトリックス図においては?
そもそも「立方体」なので、名称的には「マトリックス体」とすべき?
※ じゃあ、4軸は「マトリックス超立体」となる?
「時間的概念(可能性の変化率)」的なものを人間があまり考慮できないのは、やはりこの特性のためか?
そもそもからして、現在の「私の頭の中にあるもの」を「文章化することすら」できていない。
「言語化される前のイメージ」と「映像化される前のイメージ」が「渾然一体となっているもの」はどうすれば表現できるのか?
もどかしい。
長々と文章化すれば、どうにか輪郭だけでも伝えることができるのかもしれないが、わたしは「これ」を的確に表現できるほどの語彙を持っておらず、また、言語化すればするほど「これ、そのもの」とはやはり遠ざかるように思える。
そもそも「時間的な軸」は「可能性の大小」という目盛りの付け方で良いのか?
「ある特定の事象の発生可能性」に限定すれば「大小」で良いような気もするのだが、それでは「無限の事象の発生」に対応できていない。
となると、やはり「5次元(無限性はこの余剰次元で表される?)」を「4次元に投影しているもの」というのが、この世界の「実態」なのだろうか?
そして「過去」となるものは、やはり「観測の結果、その無限性を失い確定(収束)される」ので「次元が下がること」によって「三次元物理現実世界のリアル」となっているのか?
※ 過去が持つ「意味」は「人間の脳内」でいくらでも変化するが、決して「起こったこと自体」は変化しないように。
う〜ん。
夜中にドツボ。
また。
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