ようこそ、みなさん。
今日も「私の世の中の見方」に関するお話を。
佐脇嵩之『百怪図巻』より「うぶめ」
By Sawaki Sūshi (佐脇嵩之, Japanase, *1707, †1772)
- scanned from ISBN 978-4-336-04187-6., Public Domain, Link
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まだまだ二人のやり取りは続きます。
(関口)
「解ったさ。脳と心と意識の関係はね」
(京極堂)
「じゃあ解るじゃないか。君の今見ているもの、聞いているもの、触覚も嗅覚も、何から何まで脳という卸問屋(おろしどんや)が卸したものなんだぜ。専売だ」
(関口)
「それは解ったよ」
(京極堂)
「じゃあ君はその卸して貰った商品の品定めをどうやってするんだ?例えば僕が京極堂の主人だとどうして解るんだい?」
(関口)
「知っているから解るのさ」
(京極堂)
「つまり記憶と照合して品定めしている訳だね」
(関口)
「まあ、記憶やら経験やらだ」
(京極堂)
「経験だって記憶のうちさ。とにかく君はその記憶を失ったら一切(いっさい)の物事がなんだか解らなくなる訳だ。歩き方だって忘れてしまえば足ひとつ動かせないぜ」
(関口)
「それはそうだーーー」
(京極堂)
「この記憶が、どこにどんな風に収まっているものか、現在の医学は明確な解答を出すに至っていない」
「姑獲鳥の夏」P.39 より
「臓器移植をしたらドナーの性格が移植者に引き継がれてしまった」とか。
そういうお話を聞くこともありますよね?
「哲学的ゾンビ」やら「世界五分前仮説」にも通じる考え方だと思います。
ja.wikipedia.orgja.wikipedia.org
しばし「幽霊を見る仕組み」について語られます。
※ 大脳生理学的な。
そして話題はもう少し踏み込んだ領域へと。
(関口)
「つまり無意識に望んでなくてはいけないのか」
(京極堂)
「そうさ。そうして已(や)を得ず嘘を吐いてしまった脳は、その後辻褄合わせの帳簿の改竄(かいざん)を始める。プライドが許さんのだ。脳は自然科学の通用する世界に存在するものだからね。かくしてこの世に怪異という言い訳と宗教という自己弁護が誕生したのだ」
「姑獲鳥の夏」P.42 より
「怪異という言い訳と宗教という自己弁護」
これまた名言だと思います。
※ ある宗教の信者さんなどに言おうものなら、フルボッコでしょうが。
(関口)
「なる程。実感はないが能(よ)く解ったような気がするよ。宗教というのは要するに脳と心の関係を修復する仲人のようなもんか」
(京極堂)
「君だって巧い比喩を使うじゃないか。脳だって勘違いや見落としもある。そんなときもこの仲人は有効に働くのさ。脳はそもそもこういう揉め事は、自分で麻薬を出して誤魔化してしまうという性質を持っているらしいがね、動物のうちはそれで誤魔化せたが進化する途中で同にも収まりがつかなくなったらしい」
(関口)
「麻薬を出すのかい?」
(京極堂)
「そうさ。気分がいいとか、気持ちがいいとかいうのは、皆この麻薬の所為(せい)らしい。生きて行くのに必要な行動は大抵快楽を伴うじゃないか。阿片(あへん)患者と同じように心はそれを求めるからね。動物なら生きているだけで恍惚感(こうこつかん)を持てたんだ。しかし社会が生まれ、言葉が生まれて、この脳の麻薬だけじゃ不足になって、人は幸福を失った。そして怪異を手に入れた。更に失った幸福を求めて宗教が誕生した。代用麻薬だね。阿片だのモルヒネだのというのは代用の代用さ。宗教は麻薬だと言った共産主義者がいたが、卓見(たっけん)だねーーー」
「姑獲鳥の夏」P.43 より
二人のやり取りはまだまだ続くのですが。
まだ読まれていない方が、もしも今後読まれることを考えると「初めて読む感動を奪ってはならない」と思いますので、これぐらいで。(笑)
ちなみに、この後は「共同幻想」であったり「情報の伝達」についてであったり。
最終的には「量子力学」についてであったり。
「よくもまあ、こんなにも広範な知識を『一つの仮説』に纏め上げたものだな」と感心させられるお話が続きます。
そして、その仮説は「割と当たってると思われる」ものだと私は判断しています。
この「仮説」をもとに世の中を読み解くと、驚くほどクリアに見えてくるものが多いのです。
この「仮説」に、更に「自分なりの仮説を補強して」私は世界を見ています。
「宇宙」と「脳」は良く似ていると言われます。
実際、「理論物理学」と「大脳生理学」という分野の本は読んでいて面白いです。
「マックス・テグマーク」は実に面白いです。
※ 「宇宙際タイヒミュラー理論」は、いつか理解してみたい。
「池谷祐二」さんは初心者にもわかりやすいです。
ここから完璧な雑談というか。
どーでもいい話になるんですけど。
私、自分でも謎なんですが、本当に「こんなに本を読む子供じゃなかった」んですよ。
学校の図書室から本を借りて帰った記憶とかありませんし。
でも、国語だけは勉強しないでも良い点数を取れていました。
小学5年の時の作文で、人生一度きりの表彰も受けました。
※ 一応、県のコンクールで一位。
思えば、それぐらいの時から「本を読む」のが好きになったんでしょうね。
人間、キッカケ次第でどうとでも変わるんでしょうね。
ちなみに。
私は「四六時中喧嘩してる子供」でもありました。
「自分の中の正義」が強すぎて、それに反する奴らが大嫌いでした。
今でもそういう部分は残ってもいるのですが、そういう部分を出すべきは「本当に自分が大事に想ってる相手のみ」にする方法も見つけました。
「他人は変えられない」ですしね、究極的には。
そんなことに時間を使うよりも「気の合う人」を見つける努力をするか、あるいは「自分の言ってることを理解してもらう」努力してたほうがマシです。
小さい頃からの口癖が「他人(ひと)は他人(ひと)、自分は自分」でしたし。
なんか、何を言いたいのか見失ってきました。(笑)
The Beatles / We Can Work It Out
www.youtube.com※ Life Is Very Short.
また。
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