あなたがあなたの救世主

あなたがあなたの救世主

「悟り」のこととか、この世界から「戦争」「差別」「暴力」を本当になくすという無謀な挑戦とか

あなたがあなたの救世主

NESARAとGESARA
アドレノクロム
淡路島とパソナ
ロジャー・ストーン
ロックステップ計画
火ヴァッチャ経

「お前の生きる道は これまでも これから先も 天によって完璧に決まっていて それが故に 完全に自由だ」のお話

Hatena Feedly


みなさん、ようこそ。

 

書いておかねばならぬこと」が多すぎるので本日2度目の更新です。

 

ちょっと漫画の話から。

 

井上雄彦 / バガボンド

バガボンド(29)(モーニングKC)

※ 「バガボンド(vagabond)」とは英語で「放浪者」や「漂泊者」の意味。

 

みなさんは「バガボンド」という漫画をご存知でしょうか?

 

SLUM DUNK」というバスケ漫画で、日本中に一大バスケブームを巻き起こした「井上雄彦」さんによる、日本の青年漫画になります。

 

原作は「吉川英治(えいじ)」さんの小説「宮本武蔵」になります。

 

井上雄彦 / SLAM DUNK

Slam Dunk, Vol. 31 (31)

※ バスケ部がやたら増えた時代。

 

吉川英治 / 宮本武蔵

宮本武蔵 01 序、はしがき

※ 小説自体は未読です。

 

あらすじ

 

武蔵がまだ「新免武蔵」だった幼少期から、「天下無双」の称号を追い求め「殺し合いの螺旋」の中でもがき苦しむ様が描かれていきます。

 

現在は「佐々木小次郎」と出会ったあたりで、武蔵は「農作業」に没頭しています。

※ 世間の評判は悪いみたいですが、私はとても重要な展開だと思っています。

 

残念なことに、2015年から休載が続いています。

 

井上雄彦という人は、「人間を描けているかどうか?」というのをとても大切にされる方のようですので、今後の展開を悩まれていることでしょう。

 

ネタバレになりますが、もう少し詳しい内容をwikipediaから引用させていただきます。

 

第一章 宮本武蔵

1600年新免武蔵(しんめんたけぞう)は幼なじみ本位田又八に誘われ、立身出世を望んで故郷の村(作州・吉野郷宮本村)を出たが、関ヶ原の戦に敗れた。幼いころより母の愛情も知らず、父には命を狙われ、村人には鬼の子として忌み嫌われ、生きる意味を見出せずにいた。しかし、沢庵に自分の存在を認めてもらい、再び剣の道に生きる志を立て、名乗りを「宮本武蔵」に改め、天下無双を目指し流浪の旅に出る。

 

4年後の21歳の春、天下無双を目指す上で避けては通れぬ道と定め、剣の達人吉岡清十郎に挑戦するため、京の吉岡道場に木剣一本で単身乗り込む。 道場の門弟達を圧倒し束の間慢心するも、後に現れた清十郎の瞬速の剣の前に一歩も動けず額を斬られ、続く吉岡伝七郎との試合いで終始互角に戦うも最終的には致命傷を負う。背水の陣を敷き、最後の一太刀を狙うが、伝七郎に「もっと強くなった貴様が見たい」と論され、一時京を離れ再び武者修行の旅に出ることになる。

 

京を出たのち沢庵と再会し、共におつうのいる柳生へ行くよう誘われるがこれを断り、武蔵は奈良にある槍の聖地・宝蔵院へ向かう。しかしそこで出会った宝蔵院二代目・胤舜の圧倒的な槍術の前にかつて無い恐怖を味わい、敵前逃亡。苦悩し、己のちっぽけさを痛感することとなる。武蔵にとっては標的の一人でもあった宝蔵院の先代である宝蔵院胤栄に介抱され一時的に師事し、再び胤舜と対峙する。自身の殺気や死の恐怖を内に秘め、新たな境地に身を置いた武蔵は、紙一重の差で胤舜に勝利。傷が癒えた胤舜と「次は命を奪うことなく」再会を約束し、武蔵は宝蔵院を去る。

 

次に武蔵は柳生へと向かう。そこでの柳生四高弟との対決や、領主柳生石舟斎との対峙により、武蔵は柳生の懐の深さを知る。柳生を去った武蔵は、雲林院村の宍戸梅軒に挑む。武蔵を見た梅軒は、武蔵を「たけぞう」と呼ぶ。何と梅軒は、辻風黄平の後の姿だったのだ。武蔵は激闘の末、梅軒に勝利する。

単行本1 - 13巻。

バガボンド - Wikipedia より

 

第二章 佐々木小次郎

時は関ヶ原の戦いから17年前へとさかのぼる。

 

越前の片隅で生きる気力を無くし暮らすかつての剣豪・鐘巻自斎に長刀と共に拾われた赤ん坊佐々木小次郎。耳が聞こえず言葉を持たない小次郎は、剣によってのみ人との絆をつくり、最強への道を駆け上がっていく。第一章開始以前の武蔵や伝七郎らも登場。

単行本14 - 20巻。

バガボンド - Wikipedia より

 

第三章 地上最強編

武蔵・又八・小次郎、共に22歳となる1604年暮れから1605年正月の京に舞台は移る。三人はそれぞれに接触し物語は動いていく。

 

武蔵はかつて挑んだ清十郎・伝七郎兄弟に再び挑み、死闘の末それぞれを破る。その結果、吉岡一門を敵に回すこととなり、敵討ちにきた吉岡一門70名を討った。戦いで右足を酷く負傷した武蔵は、葛藤の末に殺し合いの螺旋から降りることを決断し、小川家からの師範にならないかという誘いを断り流浪人に戻ることとなった。

 

旅の中で行き着いた村で、武蔵は親を亡くした伊織という少年と出会い、暮らしていくこととなる。嵐やイナゴなどの天災により不作となった村では、武蔵が耕した田は使い物にならず、食料は底をつき、日に日に死人が増えていった。見かねた武蔵は食糧の調達と引き換えに小川家の誘いを受ける事にし、収穫の時期まで食いつなげたのであった。

 

農業を通して精神的に成長を遂げた武蔵は、伊織を連れて小倉へと向かうこととなった。

単行本21巻 -

バガボンド - Wikipedia より

 

何と言っても「画力が凄まじい」ので、是非ともお読みいただきたい漫画です。

 

「お前の生きる道は これまでも これから先も 天によって完璧に決まっていて それが故に 完全に自由だ」

 

物語の重要人物に「沢庵」というお坊様が登場します。

 

沢庵宗彭(たくあん そうほう)

姫路城城主の池田輝政柳生石舟斎など様々な有力な人物と人脈を持つ僧。国から国へとを放浪している。僧籍に身を置いているので自ら武器を持つことはないが兵法にも長けており、胆力で辻風黄平を圧倒するほど。武蔵のことを気にかけ、しばしば彼に道を説いてやる。石舟斎とは三玄院で宗矩をきっかけに知り合った。また若いころ、幼少の小次郎に会い、剣の恐ろしさを小次郎の腕を剣で傷付けることで伝えている。坊主ながら酒を好み、口も悪い。本人曰く、過去に僧として過ちを犯してしまった経験がある。

バガボンド - Wikipedia より

 

天下無双」を追い求めるが故に「殺し合いの螺旋」から降りることができないという事実に気づき、思い悩む武蔵に沢庵和尚が語りかけます。

※ ちょうど「吉岡一門」との決闘が終わったあたりです。

 

沢庵

 

「わしも分からんことだらけだよ、本当は。剣で斬り合う人なんか見ると余計に。

人間のなんたるか。

人はなぜ生まれ、如何に生きるべきか。

救いはあるのか。

分からなくて、混沌の闇の中で、苦しみ、のたうち、間違いを犯し...」


武蔵

 

「あんたがかい?」

沢庵


「そうさ。」

「わしの中にも我執... それはあって

それが頭をもたげる時、わしの歩んできた道は無意味に思え、阿呆らしくみえて...


武蔵


お前が七十対一の一乗寺下り松から、もしも生きて還ることがあったなら

こんな話をしたいと思っていた。

武蔵、あのな

実は最近、声を聞いた。」


武蔵

 

「...誰の?

...声って、誰の?」


沢庵(天を指差しながら)

「それによると... わしの、お前の、生きる道は、

これまでも、これから先も、天によって完璧に決まっていて

それが故に... 完全に自由だ。」


武蔵

 

「完璧に決められていて...完全に自由?

んなアホな。

 

完璧に決まってるなら不自由この上なしだろ?すげえ矛盾。」

 


沢庵


「そう思うだろ?それがどうもそうじゃないんだよ!

何から話そうか...

お前が剣の道なら、わしは仏の道。仏の道は人の道。

『人』の答えを探す旅は...見たくはない『人』の姿を見せつけられる旅だった...」


武蔵

 

「お...俺のことだな。見たくない『人』の姿ってのは、俺のことだな?」

 

沢庵


「みーんなだ。もちろんそこにはわしも含む。

自分たちの姿に絶望し、『人』の答えなど見つけて何になる。

人を導くなど俺に無理と唾を吐く。

吐いた唾は自分に返り、拭い去るためにまた旅をつづけ『人』の答えを探す。

そして思い知らされる。

天とのつながり無しに生きるは苦ばかりなり。

もしも生まれた甲斐があるのだとしたら、もうどうなとしてくれ。

ただそれを受け入れる。



扉が開いた。



長いこと閉ざされていたいくつもの扉が一斉に...

自由とはこれだった。今まで知っていた自由は別のものだった。



人は無限だ。



それぞれの道は、天によって完璧に決められていて

それでいて完全に自由だ。

根っこのところを天に預けている限りは...」


「苦しみを知る今のお前には伝わると思ったんだ...武蔵。

対吉岡の戦いが勝利であれ何であれ

今、おまえは誰ひとり理解できない苦しみを抱え込むことになった。

この世に一人も お前の苦しみを理解できる者はおらん。

ただ武蔵よ。分かるかい?

それでも天はお前とつながっている。」

 

バガボンド29巻 256-257話 より

 

この沢庵和尚の話を受けて、武蔵も続けます。

 

自分でも驚くほどの太刀筋が...


強くて 速い 剣使いができるときがある。

 

そんなときは...


俺の体の... 真ん中の奥が光ってる。


そんなときなぜか... 笑いがこみあげてきて...

 

祈りたくなる。


その光のことを あんたは「心に抱く天」と呼ぶんだろう?

 

「俺は天とつながっている...」 わかるような気がする。

 

天としっかりつながるほど剣は...

 

そうか。 

 

自由で。 

 

無限だ。

 

バガボンド29巻 258話 より

 

凄くよく分かります。

 

f:id:kazzhirock:20200716083605j:plain

「完璧に決まっている」のに「完全に自由」って?

 

私が人生の中で見た「一番美しい星空」は、福島にいる時に見た星空です。

 

まるで「自分自身が大宇宙の中に浮かんでいるような」としか表現できないほどの、「手を伸ばせば星を掴めてしまう」と思えるほどの星空でした。

 

そんな経験もあるので、福島があんなことになったのは大変に胸が痛みます。

 

その時に感じたのは、まさに「沢庵和尚の語ったようなこと」です。

 

もしも運命が完璧に決まっているのなら?

 

私が何をやろうと、どんなに努力を払っても、それが報われないこともあるでしょう。

 

そう考えると非常に恐ろしくも感じます。

 

人生の意味って?」という疑問も湧いてくるでしょう。

 

ただ、こうも思うのです。

 

私の今までの道のりが、私をここに導いたのだから、全てのことに意味があったのだ。」と。

 

人間というものは、何かと「意味」を求めるものです。

 

まだ道の途中にあると心の何処かで知りつつ、どうしても意味を求めて己の歩んできた道を振り返りがちです。

 

不安だからです。

 

自分の道のりが間違っていないか。

 

正しいゴールにたどり着きたいから。

 

正しいゴールにたどり着いたのかどうか?」などは、死ぬ瞬間にでもならないと分からないのでしょう。

 

他人からすれば「間違った」としか思えないような道のりを歩んできたように見えても、最終的に「その人生」に「判断」を下すのは自分自身です。

 

私事ですが、私は多くの同級生たちとは大きく違う人生を歩んでいます。

 

エリートコースからは大きく外れ、それこそ最底辺とされるような暮らしを送ってきました。

 

一時期は「世間的にはきちんとした」暮らしも送りました。

 

それなりに「一般サラリーマン」の暮らしも味わいました。

 

ボーナスもあれば有給もある。

 

我慢さえしていれば、そこそこ人並みの暮らしだったでしょう。

 

もうちょっと我慢さえできれば、ちょっとぐらい出世もできたかもしれません。

 

でも、辞めました。


生きるためには働かなくてはいけませんが、とりあえず「やりたくないことを無理してまでやるのは最小限にしよう。」としています。

 

そもそも「お金儲けには興味がない。」ですし。
 

熱心にブログを読んでいただいている方ならお分かりでしょうが、私は「音楽を通して」実に様々な知恵を授かっています。

 

高級車を何台か購入できるほどの金額をCDやらレコードやらに費やしてきています。

 

YouTubeでは無料で音楽を聴くことができ、サブスクリプションでも無限とも言えるほどの音楽に接することができる現代です。

 

現代の若者からすると、「そんな無駄なお金使うなんて...可愛そう。」と思われるかもしれません。

 

それでも「そこにはないもの」というものも多くあります。

 

旅をするのも大好きなので、そういう「カタチが残らないもの」に使ってきたお金も無駄と思われるかもしれません。

 

ただ、それがなければ「今の私」というものは確実にいないわけです。

 

私は「今の私」が嫌いではありません。

 

私は音楽に導かれてきた。」と言っても過言ではないでしょう。

 

現時点でも「意味があった。」と思えるし、最終的に「確かに意味があった。」と思えれば、なおのこといいでしょう。

 

私は「死んだこと」も「生き返ったこと」もないので、死んだらどうなるかなんて分かりません。

 

完璧に決まってるのなら、悪いことでも好き勝手に何をやってもいいじゃん!」とも思いません。

 

自分が最後に振り返った時に、それじゃ自分が後悔するだろう。」ということを知っているからです。

 

そして何か新しいことをする時に「失敗するかも。」とか「後悔するかも。」とも思いません。

 

だって「どうせ最後にしか分からないし、ましてその意味を見つけるのは自分だ。」ということも知っているからです。

 

最後の最後に「これで良かった。」とさえ思えたのなら、そう思えるように生きていけたのならば。

 

最終的には「すべて決まっていた。と同時に、完全に自由だった。」と思えるのを知っているからです。

 

私たちは「大いなる矛盾」を生きています。

 

そして、その矛盾は「死ぬ時に閉じられる」のでしょうから。

 



だから、生きている間は沢庵和尚が言うように

 

根っこのところを天に預けている限りは

 

そう思えるはずなのです。

 

 

 

その気持ちを想像できる。」のと「その気持ちを分かる。」のは、全然別のことでしょう。

 

さらに「気持ちが分かる。」のと「『それ』が腑に落ちる。」のは、またさらに別のことでしょう。

 

これはあくまでも「どうしても言葉にしないといけないのなら。」のお話です。

 

今のところ人間は、どうしても「言葉によって伝える。」という手段しか持っていないからです。

 

 

今日は本当はこのことを書かせていただこうと思っていました。

 

どこか言葉足らずな点もあるように思いますが、まぁそれはそれで。

 

何かしらの感触のようなものだけでも、みなさまに伝わればいいかなと思います。

 

人間、誰しもが「人生の意味」を探し求め彷徨う「バガボンド」です。

 

 

 

 

そして

 

あなたは自由です。

 

あなたは無限です。

 

 

 

 

Oasis / Whatever

www.youtube.com※ I'm Free To Be Whatever I.

 

 

また。

 

↓良ければポチっと応援お願いします↓

ブログランキング・にほんブログ村へ


人気ブログランキング