ようこそ、みなさん。
昨日のブログにたくさん「いいね!」(はてブも「いいね!」でいいの?)を頂戴いたしまして、ややビビりながら書いております。(笑)
ほんと、みんなUFO好きなんだからぁ〜!(笑)
前回の記事はコチラ
さて、今日はどこからどこまで書かせていただこうかと考えていました。
私にはあまり時間が残されていません。
なんせ宇宙人だから。(は?)
色々とお伝えしようにも「地球人が想像してきた宇宙人像の変遷」やら「SFや映画が、いかにそれに関与してきたのか?」とか、書こうと思えばいくらでも書けるのが「UFO関連」の凄いとこ。
それらは本来であれば、丁寧に、順を追って書かないといけないのですが、なにせ私にはあまり時間が残されていません。
なんせ宇宙人だから。(リミットは3分です。)
宇宙人(完全自称)の少年期
「おいおいおい?時間ないんちゃうんけ?幼少期から語り出しちゃったよ?」というみなさまの心の声が、そよ風のように、テレパシーのさざ波に乗って聞こえてくるようです。
しかし!どうしても!ここから語らないと!ごめんなさいねっ!
まぁ私が小学生の時のお話です。
田舎の小学生の男子である私は、今ほど様々な「ジェンダー」や「性自認」についての知識もなく、「男の反対は女っしょ!」ぐらいの考えしかない男の子でした。
40人で1クラス。男の子は20人。女の子も20人。
クラスの女の子たちを観察していて?一緒に過ごしていて自然と?わかったことがあります。
それはこういうことでした。
20人の女子も、だいたい11人と9人とかのグループにまず別れる。
11人も6人と5人に、さらに6人は3人と3人に、そして最終的に1人に。
AというグループのA子ちゃんと、BというグループのB美ちゃん、それぞれと俺は仲良くしてる。
A子ちゃんとB美ちゃん自体は、別に仲良しってわけでもないけど、嫌いあってもいなさそう。
でも、グループAとグループBはなんか嫌いあってる。
なぜか、俺はグループAとグループBの他のメンバーからは嫌われる。
さらにおかしなことに、クラス会みたいな場面で「男子 vs 女子」みたいな話になると「女子は一致団結」してくる。
そして「生徒 vs 先生」みたいな話になると、なんでか「男子も女子も一致団結」する。
あたしゃ、気づきましたね。ええ。
人間関係のめんどくささに。
そして「共通の敵がいる時だと、普段対立してる者同士でも団結する」ってことに。
おまけに「敵は何も、実在してなくてもいい」ってことに。
そんなこんなで宇宙人も高校生になりまして。(まだ続くのね、設定。)
当時の私はグレタちゃんばりに「人間は地球のウイルスだから、地球が大事って言うのなら、まずは自ら自浄すればいい!(恥を知れっ!)」とか思っちゃうような青年だったわけです。
若気の至り、ここに極まれり。(ザ・黒歴史)
当時の親友と、深夜の公園で夜な夜な「戦争なくすにはどうすりゃいいか?」とか「日本を本当に良い国にするには?」とか熱く語り明かしていたのです。(嗚呼、青春時代)
そんな時に閃いたわけですね。
「『人類』って大きな概念でまとまるには、『人類以外』が『敵』になりゃいいんじゃね?」ってことに。
良い宇宙人?悪い宇宙人?
そんなこんなでしばらくして、この映画の登場ですよ?
※ ローランド・エメリッヒぃぃぃぃ!
わかりますか?私がどれほど悔しい思いをしたかっ!?
「俺のアイディア、パクられたぁぁぁぁ!」ですよっ!(パクられてないっ)
「俺が脚本書いてたら、超金持ちだったのにぃぃぃ!」ですよっ!(書けないっ)
取り乱しました。
「インデペンデンスデイ」を観られていない方もおられることでしょうから、ざっくりとしたあらすじだけ。
あらすじ
宇宙人来ます。
地球めちゃくちゃされます。
人類団結します。
謎ムーブで勝ちます。
おしまい。
これだけです!!!
本当にこれだけなんです!!!
ただ、映画の中のアメリカ合衆国大統領のスピーチだけは傑作です。
※ 是非とも検索してみてください。
こればっかりは「こんなん書けへん。」と脱帽です。
さて、冒頭で少しだけ触れた「地球人が想像してきた宇宙人像の変遷」やら「SFや映画が、いかにそれに関与してきたのか?」というお話に関してです。
「インデペンデンスデイ」は「人類の敵としての悪い宇宙人」が描かれていました。
「宇宙人の役割」というのにも流行り廃りがあります。
もちろん「人類を助けてくれる良い宇宙人」の映画もあります。
1951年に公開された「核開発とUFO」をテーマにした映画。
その名は「地球の静止する日」
"Copyright 1951 by Twentieth Century-Fox Film Corp." - Scan via Heritage Auctions., パブリック・ドメイン, リンクによる
あらすじは
アメリカの首都ワシントンD.C.に銀色の円盤が着陸し、人間の姿で奇妙な服を着た男が現れた。彼の名はクラトゥ。自分は宇宙人であり、地球人には危害を加えないと語る。しかし警備兵は彼に向かって発砲してしまう。船体からロボットのゴートが現われ、周囲の武器を破壊しようとするが、クラトゥはゴートを制止した。
彼は大統領秘書に、地球上の指導者たちが核兵器や戦争による殺戮で他の天体の征服を考えるのは、他の星からの攻撃に繋がることを忠告したいと言った。彼は地球人を説得する平和の使者であった。指導者たちが彼と同席することを拒んだため、クラトゥは宿屋に住み街の人々に紛れ込んだ。彼は科学者バーンハート教授と会い、使命の重大さを認識させるために世界中の電気を止めることにする。
しかしクラトゥの意図は誤解され、逮捕命令が出された。軍に逮捕されたとき、彼は致命傷を負ってしまう。クラトゥは使命を果たすことができるのか。
というものでした。
Wikipediaには貴重な予告編動画へのリンクもあります。
そしてなんと、クラトゥは「人間の姿」で描かれているのです。
これは「当時の特撮技術が未熟だった」からでしょうか?
それとも「あえて」なのでしょうか?
「人類に核兵器の危険性を訴えるため地球に訪れた宇宙人」って?
前日ご紹介させていただいた番組「UFOの真実」のお話そのまんまですね?
ただ、クラトゥは「人間の姿をしている」のです。
UFOは「宇宙人の乗り物」?
「宇宙からやって来るんだから、そりゃ宇宙人でしょ?」と思いますよね。
普通、そうです。
もちろん、ちょっとUFOに詳しい人は「『未確認飛行物体』ってだけで、誰もそれが『宇宙から来た』とは言ってない。」とお考えになられるでしょう。
でも、そう考えるのは詳しい人だけなんです。
映画やらテレビやらで、あまりに多くの人は「UFO=宇宙人の乗り物」だと思っているのが現状でしょう。
かの「ナチス・ドイツ」で「極秘に開発されていた、アダムスキー型UFOとされるものとそっくりな形状をした『ハウニブ』という兵器が存在したらしい。」という説をご存知の方もいらっしゃられると思います。
※ もちろん「説」です。
おまけに「反重力を利用していたらしい。」という「説」もくっつく場合があります。
※ 「虫が反重力を利用している」という話は、また詳しく。
まぁ「UFOの日」の原因になったケネスさんの1947年の目撃情報を誤解して広まった「アダムスキー型」と、1945年以前に開発されていたとされる「ハウニブ」が「似た形」なのは偶然なのかもですね。(笑)
オカルト結社「ヴリル協会」と「ナチス・ドイツ」の関係なども、実に興味深い話が盛り沢山です。
※ この辺りは、そのうち詳しく触れないわけにはいかないでしょう。
事実、太平洋戦争終結後にドイツから大量の科学者がアメリカへと渡りました。
その科学者たちによってロケットの研究開発が行われ、その成果が人類の「最初の一歩」を月面に刻むことになったのです。
※ 「人類は月に行ってない!」という話は、まぁ機会があれば。
あらゆる可能性を検証してみる必要があると思います。
そのためにも、先ずは「UFO=宇宙人の乗り物」だと決めつけないことが必要でしょう。
鉄の山からの報告書
みなさんは「アイアンマウンテン報告」という言葉を聞いたことはありますか?
ニセ報告書[編集]
関連する存在として、ノンフィクション形式で書かれたでっち上げ文書というものがある。有名なものとしては、1967年に出版された『アイアンマウンテンからの報告:平和の可能性と望ましさについて』[31]が挙げられよう。これは、1966年に『ニューヨーク・タイムズ』紙に掲載された「平和への怯え」から株価が暴落したニュースに刺激され、ポール・リュインらがでっち上げたニセの報告書である。執筆には多くの学者やジャーナリストが協力したとされ、経済学者のジョン・ケネス・ガルブレイスもそのうちの一人だったといわれる。この報告書は、ある政府機関からの依頼で民間の調査委員会がまとめたものとして書かれ、戦争が消滅し完全な平和状態が実現されたあかつきには社会が崩壊すると結論付けていた。そして戦争肯定的とも受け取られかねないその過激な論旨から、発禁になったのだと設定されていた。これは極端な戦略思考に貫かれたシンクタンク報告書の書式を徹底して模倣したパロディだったが、出版された当時、多くの政府関係者がこの報告を本物だと考えたという。
このように「偽書」の類であるとされている代物です。
私は捻くれた人間なので、こういう可能性も排除しません。
「『一回偽物扱いしとけば、例え中に書いてあることが本質的でも、もう誰もマトモに相手しなくなるから、そうしとこう。』と考える人がいる。」と。
「陰謀論」という言葉は「CIAによって生み出された。」とも言われます。
「90%の真実に10%の嘘を混ぜる」手法であるとか、なにせ「諜報機関」が考え出した見事な手法がこの世界には盛り沢山です。
個人的に「アイアンマウンテン報告」は「中身を自分で検討してみるべき価値がある」と思っています。
ありがたいことに、下記リンク先からPDF形式で読むことができますので、是非ともご一読ください。
https://cruel.org/books/ironmountain.pdf
ありがとう山形さん。
ここでは特にこのお話に関連する部分を引用させていただきます。
戦争の性質:
戦争は、一般の想定とは異なり、国家によって表明された政治的価値や経済利益を拡張・防衛するための単なる政治的道具ではない。それどこか、戦争はそれ自体が、あらゆる現代社会構築のための基本的な組織原理なのである。通常、戦争主要因とされるのは、ある国家が他の国家の願望の明らかな障害となることである。しかしながらあらゆる外見上の国益の相違の根底には、戦争システムそれ自体による定期的な軍事抗争のダイナミックな必要性が存在しているのである。戦争準備状態こそは、現代社会システムを経済構造や政治構造より広範に特徴づけるものであり、むしろ政治経済構造は、戦争準備状態に包含されているのである。 平和への移行において予測される問題の経済分析は、社会システムの定義における戦争の広範な浸透ぶりを認識したものではなかった。一部の珍しくかつ部分的な例外をのぞけば、同じことが武装解除「シナリオ」モデルについても言える。このため、既存の調査の価値は、平和移行における機械的な側面にのみ限定されてしまう。こうしたモデルの特徴の一部は、実際の平和への移行に適用可能かもしれない。これは、そのモデルが単なる手続きにとどまらない本質的な平和計画とどこまで相いれるかにかかっている。このような平和計画は、廃止せんとする戦争システムの性格に関する完全な理解にたってのみ、立案可能なものであり、その理解はさらに、戦争システムが社会において果たしている機能の詳細な理解を前提としている。またそうした計画は、人間社会の安定と維持に必要な戦争機能に対し、詳細かつ現実的な代替案の構築を必要とするのである。
戦争を本当になくしたいのであれば、完全に戦争のことを理解し、さらに戦争が人類に果たしてきた「貢献」を代替できるものを見つける必要があるということ。
戦争の機能:
戦争の目に見える軍事機能については、何ら説明は不要である。それが自明だからというだけでなく、平和への移行にあたっては重要な問題とはならない。そうした機能は、平和の訪れとともに、その定義上から見て不要な存在となってしまうからである。またそれは、その背後にある戦争の非軍事機能に比べれば、社会的な重要性の面でも付属的なものでしかない。平和への移行にあたって重要となる戦争の非軍事機能は、以下の五つのグル ープに分類できる。
1. 経済的機能:
戦争は、古代社会でも現代社会でも、国家経済を安定させ、制御するため の有効なシステムを提供してきた。複雑な現代の経済において、その規模や有効性の面で戦争にいささかなりとも匹敵する代替手段は、何一つとして実証されたことがない。
2. 政治的機能:
継続的な戦争の可能性は、安定した政府の基盤である。それは政治的権威 の一般的受け入れの基礎を提供する。このおかげで社会は必要な階級区分を維持することが可能となり、国家というコンセプトに内在する余剰戦争力によって、市民の国家への従属を確実ならしめることができたのである。外部からの戦争の脅威を継続的にもっともらしく提示し続けられなかった政治支配グループは、現代においては早晩その勢力を失う運命にある。
3. 社会的機能:
戦争は軍事組織を媒介に、有史以来一貫して独特の方法で社会に奉仕して きた。それは、危険な社会逸脱者や破壊的な反社会的傾向を制御するまたとない手段だったのである。生命そのものへのもっともわかりやすい脅威として、また社会組織によってしか対応できない唯一の脅威として、戦争はもう一つ、同じくらい根本的な役割を果たしてきた。戦争は、人間行動を律する動機づけの力を、社会をまとめる忠誠心へと変換するための装置を提供してきたのである。このようにして、戦争は国家の有効性にとって不可欠な水準の社会的凝集力を確実に提供してきた。現代社会において、この機能を有効に果たし得た機構や組織群はほかには存在しない。
4. エコロジー的機能:
戦争は巨大な人口と、その生存に必要な物資供給との間に十分なエコロジー的バランスと保つための基本的な進化装置である。そしてこれは人間という種に独特のものである。
5. 文化的機能と科学的機能:
芸術の基本的な価値尺度を定義づけたのは、戦争への指向性であった。また戦争は、科学と技術の進歩における根本的な動機づけとして機能してきた。 現代社会においては、芸術はその形態に関係なく価値を表現するものであり、知識の探求はそれ自体が社会的価値を持つものだという考えは、現代社会では長期にわたり受け入れられてきた。だがその現代における芸術や科学の発展は、それと並行した兵器の発展に結果として生じたものなのである。
https://cruel.org/books/ironmountain.pdf 66-68p.より
実際に「国家」という、現代の「人間生活の基盤」となるもの運営する上でこれらの事実から目を背けることはできるでしょうか?
※ 「為政者側」の目線に立った時は、特に。
戦争機能の代替物:試案
戦争の非軍事機能を置換するものとして検討された、主な代替機構案を以下に挙げる。これらの本来の目的が、ここで検討したものとは異なる場合があるが、これはここでの適用可能性を排除するものではない。
1. 経済機能代替案:
a) 包括的な社会福祉計画。人間の生活の一般条件を最大限に高めることを目標とする。
b) 巨大な無制限の宇宙研究計画。実現不可能な目的を掲げる。
c) 恒久的な儀式化された超入念武装解除査察システム、およびその変種。
2. 政治機能代替案:
a) 遍在し、実質的に万能の国際警察。
b) 広く認知されて疑問の余地のない地球外からの脅威。
c) 大規模な全地球的環境汚染。
d) 架空の代替敵。
3. 社会機能代替案:
コントロール機能:
a) 平和部隊のモデルから派生するような各種計画。
b) 現代版の洗練された奴隷制。
動機づけ機能:
a) 環境汚染の強化。
b) 新興宗教な どの神話。
c) 社会化された流血ゲーム。
d) 以上の組み合わせ。
優生学の包括的適用計画。
5. 文化機能代替案:
代替機構提案不要。
科学機能代替案:
宇宙開発、社会福祉、および優生学計画の二次的必要性として派生。
架空の、地球外からの脅威。
さて、ここに書いてあることだけでも「現在の地球で進行中の状況」と比べてみてどう感じられますか?
結構、ここに書いてある通りの事態が進行しており、この先起こりそうなことばかりが並んでいませんか?
これは偶然なのでしょうか?どうなのでしょうか?(笑)
今から50年以上前に書かれた「アイディア」です。
※ ピーン!と来る人にはわかりやすい単語盛り沢山の。
目と鼻の先
さて、前回のピゲローさんが語ったことを思い出してみましょう。
司会者
「宇宙に進出すれば他の生命体に遭遇すると?」
ビゲロー氏
「どこにも行く必要ないよ?」
司会者
「地球上で見つかると?」
ビゲロー氏
「そうさ」(半笑い)
司会者
「例えばどこで?」
ビゲロー氏
「みんなの目と鼻の先だよ」(「そんなの当然だろ?」的な笑)
私が考えつくぐらいの「アイディア」です。
もっと賢い人は「当然思いついている」でしょう。
しかも「遥か昔」に。
とてもとても賢くて、一般人の私たちからすれば「宇宙人としか思えないほど」賢くて、しかも「お金も権力も長期的視野も何もかも」を持っている人々がいるとしたら?
「良い宇宙人」にしろ「悪い宇宙人」にしろ、それは「現れ方の違い」にしかすぎないのかもしれないとしたら?
その時の「人類のレヴェル」に合わせた姿で登場するのなら?
「宇宙で、今私のいる場所から一番遠い場所はどこ?」
と問いかけた時に返ってくる答えは
「あなたの背中だよ。」
という答えなのかもしれませんね。
まぁ、こういう考え方も、たまにはいいんじゃないですか?(笑)
以上、完全自称宇宙人からのグランドディスクロージャーでした。
また。
菊地成孔 / Mirror Balls (アルバム「アイアンマウンテン報告」より)
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